第二巻 第四章 取材対象は三角形
四月の終わり、校内新聞の掲示板に大きな見出しが躍った。
『転校生、放送室へ――春の三角形を追う』
私は記事を三秒見た後、掲示板から剥がした。
「あっ!」
背後で南が叫ぶ。
「何をするの、佐久間さん!」
「許可を取ってない個人名と写真が載ってる」
「写真は後ろ姿です」
「私と宮本先輩と西村さんだって、本文に書いてある」
「報道の自由」
「校則の範囲でやって」
「じゃあ、訂正版を出す。『二年生生活指導担当S、三年生放送部員M、転校生N』」
「暗号にしても同じ」
南は記事を取り返そうと手を伸ばした。
私は頭上へ持ち上げる。
「返して」
「生徒会で預かる」
「徹夜で作ったのに」
「何をそんなに書くことがあるの」
「転校初日の公開告白、放送部への入部、毎日の昼食、下校時刻が重なる頻度。それに、監視役である佐久間さんが放送室を訪れる回数の増加」
「最後は関係ないでしょ」
「四月だけで九回」
「仕事です」
「監視役になる前は、放送室へ用事なんてほとんどなかったでしょう」
「数えないで」
南は鞄から小さな手帳を取り出した。
「西村さん入部後、宮本先輩の周辺へ現れる回数が増えている。これは一つの事実です」
「新入生関連の問題が増えただけ」
「具体的には?」
「放送部への仮入部希望者が多すぎて、廊下が塞がった。宮本先輩の担当する昼放送を聞くため、教室のスピーカー直下で席の取り合いが起きた。西村さんが初めて放送を担当した日には、二人の声の相性がいいと言った生徒と、宮本先輩は単独で完成されていると言った生徒が口論した」
「全部ファンクラブ絡みだ」
「だから監視してる」
「嫉妬ではなく?」
「違う」
「まだ何に対する嫉妬か言ってない」
「あなたたち、みんな同じこと言うね」
「皆が同じことを言う時は、自分を疑ったほうがいいよ」
「南にだけは言われたくない」
廊下の向こうから、昼の放送を終えた宮本先輩と西村さんが歩いてきた。
今日の放送は二人で担当していた。
私は教室で聞いていたので、放送室へは行っていない。これで九回という記録も増えない。
別に、回数を気にしたわけではない。
「真白ちゃん」
宮本先輩が私を見つけて手を振った。
隣を歩く西村さんが、一拍遅れて会釈する。
「記事、読んだ?」
「今、回収した」
「せっかく綺麗に撮れてたのに」
「先輩は気にしなさすぎです」
「後ろ姿だよ?」
「三人の関係を勝手に三角形と呼ばれています」
宮本先輩が記事を覗き込み、首を傾げた。
「三角形って、誰と誰と誰?」
「先輩と、西村さんと、私です」
「どうして真白ちゃんが入るの?」
「知りません」
胸の奥で、また棘が動いた。
自分でもおかしいと思う。
巻き込まれたくないのに、なぜ自分が含まれる理由を尋ねられて腹が立つのか。
「私は、理由が分かります」
西村さんが言った。
「言わないでください」
「まだ何も」
「言いそうな顔をしています」
「佐久間さんは、私に少し厳しいですね」
「全員に同じ」
「私には、特に」
「違います」
南が笑いを噛み殺している。
「記事にしないで」
「今の会話、音声で欲しかった」
「録音してたら没収」
「してないって」
「佐久間さん」
西村さんが私へ一歩近づいた。
「放課後、お時間をいただけますか」
「私に?」
「はい。二人でお話ししたいことがあります」
宮本先輩の目がわずかに見開かれる。
南は記事の余白へ何かを書き込もうとした。
私はペンを取り上げた。
「分かりました。生徒会室でよければ」
「人のいないところがいいです」
「じゃあ屋上前の階段は? 放課後なら静かだよ」
宮本先輩が提案する。
「ありがとうございます」
「私も行こうか?」
「二人で、と申し上げました」
「そっか」
先輩が、少し寂しそうに笑った。
どうしてそんな顔をするのだろう。
「宮本先輩には関係のない話です」
西村さんが付け加える。
「それはそれで、ちょっと気になるな」
「では、終わったあと佐久間さんから聞いてください。話すかどうかは、佐久間さんが決めることですが」
「うん」
宮本先輩は素直に頷いた。
そのやり取りが、妙に公平に思えた。
西村さんは自分の気持ちを隠さない。しかし、相手の領域へ勝手に入らない。
だからこそ、対処に困る。
放課後、屋上へ続く階段の踊り場で、西村さんは窓の外を見ていた。
春の風が、半分開いた窓から入ってくる。
「待たせた」
「いいえ。お呼びして、すみません」
「話とは」
西村さんは私へ向き直った。
「佐久間さんは、宮本先輩がお好きですか」
風が止まったような気がした。
「なんで、そうなるの」
「違いますか」
「私は監視役」
「それは役職です」
「生徒会の仕事として、先輩の周囲で起きる問題を」
「好きかどうかを聞いています」
「だから」
答えが出ない。
嫌いではない。当然だ。
放っておけない。気になる。笑っていれば安心するし、落ち込んでいれば、理由を知りたくなる。
けれど、それは監視役として長く関わったからだ。
「友達としては、大切」
ようやく出た言葉は、ひどく無難だった。
「そうですか」
「それだけ?」
「はい。確認したかっただけです」
「確認して、どうするつもりだったの」
「もし佐久間さんが宮本先輩を恋愛として好きなら、先に知っておきたかったのです」
「譲るため?」
「いいえ」
即答だった。
「それとこれとは別です。私は先輩を知りたいし、好きになれば、きちんと伝えます」
「じゃあ、なんで」
「知らずに傷つけるのは嫌だからです」
その言葉に、私は黙った。
宮本先輩と同じだ、と思った。
やり方はまるで違うのに、二人とも誰かを傷つけることを恐れている。
「西村さんは、先輩のどこが好きなの?」
「まだ、分かりません」
「それで恋愛だと言い切るの?」
「恋愛になりそうだ、と感じています。だから、知ろうとしています」
「声が優しかったから?」
「それもあります」
西村さんは窓の外へ目を向けた。
「優しい声は、帰る場所に似ています」
「帰る場所?」
「変ですよね」
初めて、彼女が困ったように笑った。
「父の転勤が多くて、家と呼ぶ場所が何度も変わりました。前の高校も、一年で辞めています」
「そうだったんだ」
「慣れています」
短い言葉だった。
慣れている人は、たぶん、そんなふうに言わない。
「母は?」
聞いてから、踏み込みすぎたと思った。
西村さんの目が、ほんの少し遠くなる。
「いません。幼い頃に別れました」
「ごめん」
「謝らないでください。ほとんど覚えていないので」
ほとんど。
では、少しは覚えているのだ。
「宮本先輩の声を聞いた時、懐かしいと思いました。理由は分かりません。もしかしたら、私は先輩の中に、勝手に何かを探しているだけかもしれない」
「それは、先輩本人を見てないってこと?」
少し強い言葉になった。
西村さんは目を逸らさない。
「その可能性もあります」
「認めるんだ」
「だから知りたいのです。私が好きなのが、宮本莉々香という人なのか、自分に都合のいい声なのか」
まっすぐすぎる。
自分の気持ちまで疑いながら、それでも手を伸ばす。
私にはできない。
自分の中の棘に、名前をつけることさえ避けている。
「佐久間さん」
「はい」
「あなたは、宮本先輩をよく見ています」
「仕事だから」
「私は、そういうことにしておきます」
また、その言い方だった。
階段の下から、慌てた足音が聞こえた。
「真白ちゃん?」
宮本先輩が顔を出す。
「まだ話してた?」
「なんでここに」
「たまたま通りかかって」
「屋上は立入禁止です。三年生の教室からも離れています」
「たまたま、すごく遠回りして」
「盗み聞きは」
「してないよ!」
声が大きい。怪しい。
その後ろから梓と南、それに会長まで現れた。
「全員、何してるの」
「私は真白を探しに」
「私は取材対象を」
「私は校内巡回です」
会長の言い訳が一番ひどい。
「生徒会長が三人を連れて?」
「途中で合流しました」
「会長、さっき『この階段なら声が反響するから聞こえるかも』って」
「江口さん」
「はい?」
「後でお話があります」
西村さんが、口元へ手を当てた。
笑っている。
「何がそんなにおかしいんですか」
「この学校は、賑やかですね」
「申し訳ありません」
「いいえ」
彼女はもう一度、窓の外を見た。
「嫌いではありません」
その横顔は、少しだけ寂しかった。




