第二巻 第三章 放送室の新入部員
西村さんが放送部へ正式に入部したのは、その三日後だった。
入部届の提出から一時間もしないうちに、非公認ファンクラブでは臨時会合が開かれた。
会場は、なぜか生徒会室である。
「ここを集会所にしないでください」
私が言うと、高橋千夏先輩は分厚いファイルを机の上へ置いた。
「集会ではないわ。校内秩序を守るための情報共有よ」
「そのファイルには何が」
「西村千尋の基本情報、登下校経路、放送経験、宮本莉々香への発言記録」
「尾行したんですか」
「していない。すべて公開情報と目撃証言」
「集めないでください」
千夏先輩は宮本先輩と同じ三年生だ。去年の誕生祭を企画し、体育館へ四十人規模の参加者を集め、完璧な動線を組み上げた実務派である。最初に本人の承諾を取っていなかった点は、大きな問題だったが。
本人は「ファンではない」と言い張るが、宮本先輩をアイドルのように見ている。
去年まで一度も直接話したことがなかったという事実が、その距離感をよく表していた。
「高橋先輩。宮本先輩とは、あれから話しましたか」
「三回」
「数えているんですか」
「業務上、記録しているだけ」
「内容は」
「一回目、『誕生祭、ありがとう』。二回目、『髪留め変えた? 似合ってるね』。三回目、『この前、資料を運んでたでしょう。頑張ってるところ、好きだよ』」
「一字一句覚えていますね」
「記録しているだけよ」
千夏先輩のファイルから、一枚の写真が覗いている。宮本先輩が校内放送用の原稿を読む横顔だった。
「それは何ですか」
「資料」
「梓から買いました?」
「写真の売買は禁止されている。個人的な交換よ」
「生徒会室で交換しないでください」
「真白、私を巻き込まないで」
部屋の隅で梓がカメラを抱え直した。
今日の臨時会合へ参加しているのは、千夏先輩、梓、ひより、そして生徒会長である文香先輩。ファンクラブ非会員は私だけだった。
「会長まで、なぜ座っているんですか」
「生徒会室で行われる情報共有ですから」
「会長の前にある会員証をしまってください」
「これは証拠品です」
「名前と会員番号が書いてあります」
「精巧な偽物ですね」
「会員番号、三番ですね」
「それ以上はいけません」
会長がさっと会員証を伏せる。
梓が感心したように見た。
「古参はやっぱり違いますね」
「江口さん、私は生徒会長として」
「会長。今さらです」
「小田さんまで」
ひよりは笑顔で紙袋を配った。
「クッキーを焼いてきました。宮本先輩の新しい学年をお祝いする桜型です」
「本人はいないのに?」
「皆さんで食べたほうが、先輩も喜ぶと思って」
この天然さだけは、誰にも勝てない。
千夏先輩がファイルを開く。
「議題に戻るわ。西村千尋は危険」
「何に対してですか」
「距離感よ」
「直接話したいなら、話せばいいでしょう」
「それが危険なの。私たちは宮本莉々香を一人の生徒として尊重し、適切な距離を守って応援してきた」
「本人の承諾を取らずに誕生祭を企画した人の言葉とは思えません」
「反省しているわ」
「次回計画、と付箋が見えます」
「反省を次回へ活かすの」
「次回を開かないでください」
梓が机へ身を乗り出した。
「私は高橋先輩に賛成です。西村千尋は、莉々香様を普通の恋愛対象として見ています」
「普通じゃない?」
「普通じゃない!」
「どちらなの」
「莉々香様はもっと、こう、全校の頭上に輝く星のような存在で」
「同じ校舎の三階にいる」
「真白は比喩を理解して」
「理解した上で止めてる」
会長が小さく咳払いした。
「宮本さんを神聖視しすぎることは、本人の負担になります」
まともな発言だ。
全員が会長を見る。
「何ですか、その目は」
「いえ。会長が一番まともなことを」
「私はいつでもまともです」
「さっき会員証を証拠品と言いました」
「それは別件です」
会長は姿勢を正した。
「西村さんが宮本さんへ好意を持つことは、規則違反ではありません。放送部へ入ることも同様です。周囲が勝手に敵視し、学校生活を妨げることがあれば、生徒会として対処します」
千夏先輩と梓は不満そうだが、反論しなかった。
「ただし」
会長が続ける。
「宮本さんが、真正面から恋愛感情を向けられて動揺する姿は、非常に――」
言葉が止まった。
「非常に?」
「教育上、注意深く見守る必要があります」
「今、別の言葉を飲み込みましたね」
「気のせいです」
「尊い、でしょう」
「言っていません」
「顔に出ています」
扉の外から、笑い声が聞こえた。
開けると、宮本先輩が立っていた。その隣に西村さんもいる。
「何の会議?」
「何でもありません」
「私の名前が聞こえたけど」
「新入部員の歓迎についてです」
会長が即座に答えた。
西村さんは机の上のファイルを見た。
「私の名前が書いてあります」
「個人情報の扱いに関する注意喚起です」
「写真も貼ってあります」
「高橋先輩!」
私がファイルを閉じる。
千夏先輩は咳払いした。
「校内新聞に載った写真を資料として」
「記事になる前の写真です」
「笹原さんから提供を」
「南も後で呼ぶ」
宮本先輩は状況を分かっているのかいないのか、ひよりのクッキーへ目を留めた。
「桜だ。かわいいね」
「どうぞ、宮本先輩」
「いいの? ありがとう。ひよりちゃん、こういうの上手だよね。すごく好き」
「ありがとうございます!」
ひよりは動じず、もう一枚を差し出す。
「先輩も、今日も素敵です!」
「ありがとう」
会話が終わった。
西村さんは少し目を見開いている。
「ひよりは強いね」
「ひよりだけは、先輩の言葉をそのまま受け取れるの」
「好きと言われても?」
「お菓子作りが、という意味ですよね」
「うん」
「でしたら、嬉しいです」
「なるほど」
西村さんが何かを学んだ顔をした。
梓は小声で呟く。
「天然同士の会話、無敵すぎる」
「梓が言う?」
「私は計算された信仰だから」
「余計に悪い」
宮本先輩はクッキーを半分に割り、西村さんへ差し出した。
「新入部員さんも、食べる?」
「いただきます」
「今日の発声、綺麗だったよ。前の学校でちゃんと練習してたんだね」
「ありがとうございます」
「原稿を読む時、最後の一文字まで丁寧なところ、好きだな」
室内が静まり返った。
宮本先輩が、しまった、という顔をする。
「恋愛の意味ではなくて」
「分かっています」
西村さんはクッキーを受け取った。
「でも、私は先輩がそういうところを見つけてくださるところが、恋愛の意味で好きです」
「……ありがとう」
宮本先輩の耳が赤くなる。
梓が私の腕を掴んだ。
「真白、取り締まって」
「何を」
「あれ」
「西村さんは何も違反してない」
「じゃあ莉々香様を」
「先に褒めたのは宮本先輩ですが、今回は意味も説明しました」
「役に立たない監視役!」
「規則にない恋愛を取り締まるつもりはない」
口にした瞬間、胸がちくりとした。
宮本先輩が、赤い耳のまま私を見る。
「真白ちゃんは、平気?」
「何がですか」
「その、西村さんが私を好きでも」
「私に聞くことではありません」
「そうだけど」
「先輩が決めてください」
少し冷たい声になった。
先輩の表情が曇る。
そのことが嫌なのに、うまく言い直せない。
西村さんが、私と先輩を交互に見た。
「宮本先輩。放送室の片付けが残っています」
「あ、うん。行こうか」
二人が部屋を出る。
扉が閉まると、梓が私の顔を覗き込んだ。
「平気じゃないんだ」
「平気」
「じゃあ、なんで怒ってるの」
「怒ってない」
「真白ちゃん」
ひよりが、桜のクッキーを一枚差し出した。
「甘いもの、食べますか」
「……もらう」
さくりと噛む。優しい甘さだった。
会長は何も言わなかった。
ただ、少し離れた席から私を見ていた。
その目があまりに穏やかなので、私は余計に腹が立った。




