第二巻 第二章 好きの意味を決める人
校内食堂の窓際に、四人で座った。
宮本先輩と西村さん。その向かいに私と、勝手についてきた梓。
放課後の食堂には部活前の生徒が何人もいる。三年生である宮本先輩の姿を見つけた途端、あちこちの視線がこちらへ集まった。
先輩本人は気づかず、期間限定の桜ソーダを眺めている。
「綺麗だね。真白ちゃんもこれにすればよかったのに」
「私は紅茶で十分です」
「桜色、似合いそう」
「飲み物に似合うも何もありません」
「あるよ。真白ちゃん、かわいい色が似合うから」
隣で梓が手を合わせた。
「新学期最初の御言葉……」
「拝まないで」
「佐久間さん」
西村さんが呼ぶ。
「いつも、このような感じなのですか」
「だいたいそう」
「宮本先輩は、あなたをよく褒めるのですね」
「私だけじゃないよ」
「そうだよ。西村さんの髪も綺麗だし」
「ありがとうございます」
「落ち着いてるところも素敵だね」
「ありがとうございます」
「それから、笑うとちょっと幼くなるところ、かわいい」
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」
西村さんは一度も目を逸らさなかった。
宮本先輩のほうが先に視線を外す。
「……平気なんだ」
「何がですか」
「いや。みんな、たまに固まるから」
「宮本先輩は、今の言葉を恋愛の告白としておっしゃいましたか」
「違うよ」
「でしたら、褒め言葉として受け取りました」
「うん」
「私が先輩を好きだと申し上げたのは、恋愛の意味です」
「う、うん」
梓がテーブルを叩いた。
「ちょっと待って。なんでそんな堂々と言えるの」
「隠す理由がありません」
「莉々香様が困ってるでしょう!」
「宮本先輩は、断ることもできます」
「断らせるような状況を作ること自体が」
「梓」
私が止める。
西村さんの言い方はまっすぐだが、強引ではない。
宮本先輩が答えに困っていることにも、たぶん気づいている。
「西村さん、宮本先輩はそういう話に慣れてないの」
「人気があるのに?」
「自覚が薄いの」
「人気があることは、去年、真白ちゃんに教わりました」
「四十人を集めて、ようやくだけどね」
「四十人?」
西村さんが首を傾げた。
梓の目が輝いた。
「去年の誕生祭には、四十名ほどの同志が集い――」
「最初は本人の承諾も取ってなかった」
「体育館後方には私が集めた莉々香様の御姿が年代順に展示され――」
「一年分だけ」
「視聴覚ブースでは歴代の校内放送を自由に拝聴できて」
「隠れ放送部ファンの技術力は認めるけど、許可を取るまで大変だった」
「真白、説明の邪魔」
「事実を補足してるの」
宮本先輩は両手でグラスを包み、肩を小さくしていた。
「その話、本人の前でする?」
「莉々香様の偉大さを新参者へ伝える必要があります」
「入会はしません」
「なんで!」
「私はファンになりたいのではなく、恋人になりたいので」
梓の口が開いたまま止まった。
私は紅茶を一口飲んだ。味がよく分からない。
西村さんは桜ソーダの泡を見ながら、静かに続けた。
「とはいえ、今日会ったばかりです。宮本先輩のことを、私はまだ知りません」
「ちゃんと好きになれそう、って言ってたね」
「はい。声を知っていましたから」
「校内放送を?」
「以前、この学校の文化祭へ来たことがあります。父の転勤の話が出ていて、こちらへ来る可能性があったので、近隣の高校を見て回っていました」
「そこで私の声を聞いたんだ」
「迷子のお知らせでした」
「もっと格好いい放送がよかったな」
「優しい声でした」
西村さんの表情が、ほんの少しだけほどけた。
「泣いている子へ話しかけるような声でした。あの声の方がいる学校なら、来てみたいと思ったんです」
宮本先輩が黙る。
軽い褒め言葉を投げるのは得意なのに、真正面から言葉を返されると弱い。
私は何度か見たことがある。先輩は、本気の感謝や好意を向けられると、どこへ置けばいいのか分からない顔をする。
「それなら、放送部へ見学に来る?」
「そのつもりです。前の学校でも放送部でした」
「経験者なんだ。嬉しいな」
「私もです」
「機材、古いけど大事に使ってて。部長はちょっと細かいけど、優しいし。昼の放送は曜日で担当が違うから――」
宮本先輩の声が明るくなる。
好きなものについて話している顔だ。
西村さんは、じっとその顔を見ていた。
胸に刺さった棘が、少し深くなった気がした。
「真白」
梓が小声で呼ぶ。
「何」
「顔、怖いよ」
「普通」
「莉々香様の横に転校生がいるから?」
「違う」
「じゃあ、転校生が莉々香様を見てるから?」
「どう違うの」
「主語が」
「どちらでもありません」
向かい側で宮本先輩が話を止めた。
「真白ちゃん、どうしたの?」
「何でもありません」
「疲れた?」
「誰のせいだと思っているんですか」
「私かな」
「珍しく正解です」
「ごめんね」
あまりに素直に謝られて、言葉に詰まる。
先輩は私の紅茶のカップを見た。
「冷めてるでしょう。温かいの、買い直そうか」
「結構です」
「でも」
「本当に大丈夫ですから」
「そう?」
それでも心配そうに私を見る。
西村さんの視線が、宮本先輩から私へ移った。
何かを確かめるような目だった。
「佐久間さん」
「はい」
「宮本先輩は、誰にでも優しいのですね」
「そう」
「あなたには、特に」
「違う」
答えが早すぎた。
梓が横で、にやりとする。
「真白、まだ何も聞かれてないよ」
「聞かれました」
「『特に』のあと、何も言ってない」
「文脈で分かります」
「そっか」
西村さんは微笑んだ。
「では、そういうことにしておきます」
何が、そういうことなのか。
問い返したかったけれど、聞けば負けるような気がしてやめた。
食堂を出ると、廊下の角から小柄な生徒が転がり出てきた。
「痛っ」
「ひより?」
ひよりだった。手には空の紙コップが四つある。
「何をしているの」
「会長から、食堂の混雑状況を見てくるように言われて」
「四つも飲んだの?」
「これは、その、後ろの方々の分で」
ひよりの背後から、三人の生徒が恐る恐る顔を出した。
全員、見覚えがある。去年の誕生祭で受付をしていたファンクラブ会員だ。
私はこめかみを押さえた。
「会長が偵察を?」
「いいえ。会長には廊下を見るようにとだけ」
「じゃあ、後ろの三人は?」
「たまたま会って」
「紙コップを耳へ当てていたのはなぜですか」
「壁越しに音がよく聞こえるかなって」
「帰って」
「はい」
三人が散った。
ひよりは申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんなさい。でも、転校生さんが宮本先輩とデートするって、もう噂になっていて」
「まだ一時間も経ってない」
「新聞部の笹原さんが、速報を」
廊下の先から足音がした。
笹原南が、大きなスケッチブックを胸に抱えて走ってくる。
「佐久間さん! 転校生、直球告白、監視役同席の四者会談という情報は事実ですか!」
「事実じゃない」
「どの部分が?」
「四者会談」
「では、転校生と直球告白と監視役同席は事実」
「記事にしないで」
「校内の関心事です」
「個人の恋愛は校内記事にしない」
「恋愛なの?」
宮本先輩が驚いている。
「先輩は黙っていてください」
「告白された本人が一番分かっていませんね。これは面白い」
「面白がらないで」
笹原さんは西村さんへ目を向けた。
「西村さん、ひと言お願いします。宮本先輩のどこに惹かれましたか」
「まだ分かりません」
「え?」
「分からないから、知りたいのです」
南のペンが止まった。
西村さんは穏やかに、しかし迷わず言った。
「好きという言葉を、言った側ではなく、聞いた側に決めさせる方ではないと思いました。それを確かめたいです」
宮本先輩が息を呑んだ。
私は、去年の冬を思い出す。
先輩の何気ない「好き」で傷ついた子たち。そのたびに、自分が誰かを傷つけたのだと怯えていた先輩。
そのことを、西村さんはまだ知らないはずだ。
けれど、たった半日で、先輩の中心にあるものへ触れかけている。
「南」
私は低い声で呼んだ。
「今の言葉も記事にしないで」
「……分かった」
珍しく素直に、南はスケッチブックを閉じた。
「今日はね」
「明日もだめ」
「厳しい」
西村さんは私たちを見回してから、宮本先輩へ頭を下げた。
「案内、ありがとうございました。放送部には明日、伺います」
「うん。待ってる」
「放課後のデートも、楽しかったです」
「あれ、デートだったのかな」
「私はそう思っています」
「そっか」
「次は、二人でお願いします」
宮本先輩がまた固まる。
梓が息を吸う。
南がスケッチブックを開き直す。
「はい、全員そこまで!」
私の声が廊下へ響いた。
新学期初日から、監視役の仕事は去年より増えていた。




