第二巻 第一章 監視役は終わらない
始業式が終わった日の放課後、私は生徒会室へ呼び出された。
呼び出した張本人である長谷川文香会長は、机の向こうで指を組み、いかにも重大な話を始めそうな顔をしていた。
「佐久間さん。まずは進級、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「一年間、よく頑張りましたね」
「まだ一年間は頑張っていません。生徒会へ入ったのは去年の秋です」
「細かいことはよいのです」
「よくありません」
私は会長の机を見た。
一番下の引き出し。その奥に、宮本莉々香非公認ファンクラブの古い会員証が隠されていることを、私は知っている。
去年、誕生祭の企画が持ち込まれる少し前に発覚した事実である。
学校では冷静沈着、有能で公平な生徒会長として知られる長谷川文香先輩は、宮本先輩の古参ファンだった。
しかも、ただのファンではない。
私と宮本先輩が並んでいるだけで、ときどき小声で「尊い」と漏らす、かなり面倒な種類の人である。
「それで、用件は何でしょう」
「特別監視役の任期についてです」
私は姿勢を正した。
待ち望んでいた話だ。
「年度が替わりましたから、当然、終了ですよね」
「継続です」
「聞き間違えました」
「継続です」
「会長、年度が替わりました」
「はい」
「宮本先輩の非公認誕生祭も、無事に終わりました」
「はい」
「本人も、自分の発言が誤解を招く場合があると理解しました」
「はい」
「では、なぜ」
会長は机の上へ一枚の紙を置いた。
新年度生活指導上の注意事項、とある。
その下に、入学式当日に一年生のあいだで起きた問題が箇条書きにされていた。
一、三年生の宮本莉々香から「リボン、似合ってるね」と言われた生徒が、入学初日に恋愛相談を求めて保健室へ駆け込んだ。
二、同じ生徒に想いを寄せていた別の一年生が泣いた。
三、宮本莉々香を廊下で見かけた一年生七名が、放送部への仮入部を希望した。
四、そのうち二名は放送経験がなく、三名は人前で話せず、一名はマイクが怖い。
「マイクが怖いという一名は、なぜ放送部へ入ろうとしたんですか」
「宮本さんが『声、綺麗だね』と言ったそうです」
「入学式だけで何をしているんですか、あの人は」
「新入生の緊張をほぐそうとしたようです」
「成果が逆方向です」
私は紙を置いた。
「とはいえ、宮本先輩は三年生です。受験もありますし、私も二年生として仕事が増えます。これまでのように常時監視するのは」
「新年度になっても、自然に『宮本先輩』と呼んでいますね」
「前からそうです」
「親しい響きになりました」
「会長」
「失礼しました。生徒会長として二人の良好な連携を確認しただけです」
「頬が緩んでいます」
「緩んでいません」
扉が勢いよく開いた。
「会長! 真白を監視役から外すって本当ですか!」
梓だった。
「誰から聞いたの」
「ひよりちゃん」
梓の後ろから、小田ひよりが顔を出した。私と同じ二年生で、生徒会の庶務。そして、宮本先輩のファンクラブへ所属していることを一切隠さない公然会員である。
「ごめんなさい。廊下で、任期のお話があるみたいって言っただけなんです」
「私は外すとは言っていませんよ」
会長が微笑む。
梓は胸を撫で下ろした。
「よかった。真白がいなくなったら、誰が莉々香様を俗世の誤解から守るんですか」
「本人に発言を控えていただけば済む話です」
「莉々香様からお言葉を奪うなんて!」
「言い方を選んでと言っているの」
「真白は分かってない。『ノート取るの丁寧だね。そういうところ、好き』の一言で、世界平和に何歩近づくと思ってるの」
「その一言で去年、二人が絶交しかけたのを忘れた?」
「世界平和には犠牲も必要だよ」
「友達を犠牲にしないで」
ひよりが、おずおずと手を挙げた。
「でも、宮本先輩、前より気をつけていますよ。今日は一年生へ『恋愛の意味じゃないけど』って先に言っていました」
「そのあとに何を言ったの」
「『一生懸命な子、好きだよ』って」
「前置きがあっても駄目です」
「一年生は床に座り込んでいました」
「ほら!」
私は机へ両手をついた。
その時、控えめなノックがした。
「どうぞ」と会長が答える。
「失礼します」
宮本先輩が入ってきた。
後ろには西村千尋さんがいる。
梓の目が細くなった。
「なぜ二人で」
「校舎の案内中です」
「まだ!?」
「放課後に、生徒会室も見ておきたいと言われて」
宮本先輩は困ったように笑った。
「真白ちゃんがここにいるって話したら、西村さんも来たいって」
「私に用が?」
「ありません」
「ではなぜ」
「宮本先輩のことを一番よく知っていそうなので」
「本人が隣にいます」
「本人が、自分を一番よく知っているとは限りません」
静かな言い方だった。
宮本先輩は反論せず、少しだけ目を伏せた。
私は朝の棘を思い出した。
会長だけが、ひどく興味深そうに私たちを見比べている。
「西村さん。転入初日はいかがでしたか」
「皆さんに親切にしていただきました」
「宮本さんの案内は」
「楽しかったです」
「そうですか。それで、放課後のデートは」
「会長!」
私と宮本先輩の声が重なった。
西村さんは平然としている。
「今からです」
「行くの!?」
今度は梓まで加わった。
「校内の食堂で、お茶を飲みます」
「それなら、ただの休憩でしょう」
「私がデートだと思っていれば、デートです」
「一人で定義しないでください」
思わず口を挟むと、西村さんが私を見た。
「佐久間さんも来ますか」
「なぜ私が」
「監視役なのでしょう」
「まだ引き受けるとは」
「佐久間さん」
会長が両手を組み直した。
「新入生への影響、ファンクラブの動向、そして転校生との新たな関係。総合的に判断し、宮本さんの特別監視役を継続してください」
「最後の一つは生活指導の範囲外です」
「宮本さんの言葉によって校内の人間関係に混乱が生じる可能性があります」
「西村さんは混乱していません」
「周囲が混乱しています」
梓が大きく頷いた。
「今、私がすごく混乱してる」
「あなたは黙って」
「真白ちゃん」
宮本先輩が私の袖を軽く引いた。
「来てくれたら、助かるかも」
「私が?」
「西村さん、冗談が通じなさそうだから」
「冗談を言っているのは、いつも先輩です」
「それはそうなんだけど」
先輩は眉を下げた。
そんな顔をされると、断りにくい。
この人は、それを分かってやっているのだろうか。
たぶん、分かっていない。
「……校内の食堂までです」
「ありがとう、真白ちゃん」
「私も行く!」
「梓は関係ないでしょ」
「監視役を監視する役」
「そんな役はない」
「では私も」
会長が立ち上がりかけた。
「会長は仕事をしてください」
「校内風紀の現状確認です」
「机の上に未決裁の書類が積まれています」
「……残念です」
声に出ています、と指摘する前に、ひよりが笑った。
「真白ちゃん、今年も忙しくなりそうですね」
まったく嬉しくない予言だった。




