幕間 白い日の返事
三月十四日の朝、生徒会室の机には、三十九個の小さな袋が並んでいた。
「一つ足りません」
私は名簿と袋を照合する。
「誰の分?」
莉々香先輩が向かい側から覗き込んだ。
「差出人不明のチョコレートが四つありました。そのうち一人は誕生祭の受付で名乗り出たため、残り三人。個人名の分が十六人。放送部全体宛てが八人。生徒会役員を除く、誕生祭の運営スタッフ十二人。合計三十九です」
「四十人に配るんじゃなかった?」
「誕生祭の参加者全員からチョコレートを受け取ったわけではありません」
「じゃあ、どうして四十個買ったの」
「予備です」
ひよりが答えた。
袋の中身は、小さな焼き菓子と、莉々香先輩が一枚ずつ書いた礼のカード。特別な意味を付けないよう、文面はすべて同じにした。
『チョコレートと応援をありがとうございました。これからも放送を聞いてもらえたらうれしいです。宮本莉々香』
最初、先輩は相手ごとに違う言葉を書こうとした。
黒板を消すところが好き。髪型が似合っていた。花の世話をする姿が素敵だった。
私が止めた。
「せっかく返すのに、全員同じでいいの?」
「個別の褒め言葉を付けたら、また比較が始まります」
「そうかな」
「始まります」
文香先輩と梓が、同じカードを受け取った場合を想像すれば分かる。
片方は古参として筆跡を分析し、もう片方は文字の払いに意味を見いだすだろう。
「高橋さんには、何か別にお礼したかったな」
「企画者へは、当日直接伝えたでしょう」
「そうだけど」
「同じカードを渡してください。それが一番平和です」
莉々香先輩は納得しきれない顔で、最後の袋へリボンを結んだ。
「真白ちゃんには?」
「私はチョコレートを渡していません」
「誕生祭、手伝ってくれたでしょう」
「生徒会の仕事です」
「じゃあ、生徒会へお礼」
「文香会長やひよりもいます」
「みんなにあげる」
先輩は予備の袋を持ち上げた。
「一つしかありません」
「真白ちゃんが代表」
「公平ではありません」
「監視役だから」
「その言葉を便利に使わないでください」
「真白ちゃんもよく使ってるよ」
否定できなかった。
「でしたら、生徒会室へ置いてください。全員で分けます」
「小さいクッキー一枚を?」
「では、受け取りません」
「真白ちゃん、意外と頑固だね」
「意外ではありません」
莉々香先輩は少し考え、予備の袋を自分の鞄へしまった。
「分かった。これはやめる」
「最初からそうしてください」
「別のものにする」
「何もしなくて結構です」
昼休みになり、ひよりと莉々香先輩は袋を配りに出た。個人へ直接渡すとまた注目を集めるため、各クラスの担任と生徒会役員を通す。放送部全体宛ての分は、部長へまとめて渡した。
そこまで準備しても、噂は広がった。
『莉々香先輩から、ホワイトデーのお返しが届いた』
『全員同じらしい』
『筆跡は本人』
『リボンを結んだのは誰か』
最後の話題には、千夏先輩が作業を手伝ったことが関係していた。ファンクラブ内で「企画者だけ本人と一緒に袋詰めをした」と囁かれ始め、私は注意文を出そうとした。
しかし、その前に千夏先輩本人が会員向けの連絡へ書き込んだ。
『作業は生徒会室で、佐久間真白さんと小田ひよりさんの監督下に行いました。私が結んだリボンも、宮本さんが結んだリボンも区別はありません。作業者や包装の違いから、本人の感情を推測することを禁止します』
見事な対応だった。
「高橋先輩、変わりましたね」
放課後、生徒会室へ報告に来た千夏先輩へ伝える。
「同じ失敗を繰り返したくないだけです」
「宮本先輩とは、話せるようになりましたか」
「必要があれば」
「さきほど、一緒に袋詰めを」
「必要な作業でしたから」
「顔が赤いです」
「暖房が強いだけです」
どこかで聞いた言い訳だった。
昼の放送では、莉々香先輩が全校へ短い礼を伝えた。
『先月のバレンタインと、先週の誕生祭で、たくさんの贈り物やメッセージをいただきました。本当にありがとうございました』
教室では梓が目を閉じ、祈るように聞いている。
『一人ずつ放送でお名前を呼ぶことはできませんが、全部、大切に受け取りました。これからも、聞いている人が少し楽しくなるような放送を届けられたらと思います』
以前の莉々香先輩なら、このあと「みんな好きだよ」と付け足したかもしれない。
今日は言わなかった。
言葉を失ったのではない。伝えたい内容に合うものを、自分で選んだのだ。
「莉々香様、成長されたね」
梓が涙ぐむ。
「誰の立場なの」
「ずっと見守ってきた者」
「入学から一年も経ってない」
「時間の長さじゃない」
「それより、お返しのカードを比較しないで」
「もう写真に撮った」
「どうして」
「保管用」
「全員同じ」
「私のは私のだから」
取り上げる理由もないため、私は諦めた。
放課後、生徒会室の自分の机に、小さな封筒が置かれていた。
差出人はない。
開くと、放送部のリクエスト用紙が一枚入っている。曲名も歌手名も空欄で、メッセージ欄にだけ文字があった。
『誕生祭で隣にいてくれて、ありがとう。真白ちゃんがいてくれて、安心しました』
莉々香先輩の字だった。
カードではなく、放送部の用紙。贈り物でもない。これなら公平さとは関係ないとでも思ったのだろうか。
用紙の一番下には、小さく付け足されている。
『これは、みんなへじゃなくて、真白ちゃんへ』
私は周囲を確認した。
文香先輩は会議へ出ている。ひよりは職員室。生徒会室には誰もいない。
用紙を折り、引き出しへしまう。
捨てる理由がなかったからだ。
その日の帰り、放送室の前を通った。しかし莉々香先輩へは声をかけず、そのまま歩き過ぎる。
会えば、どんな顔をすればよいか分からない。
廊下の先まで来たところで、後ろから扉の開く音がした。
「真白ちゃん」
振り返ると、莉々香先輩が立っている。
「読んだ?」
「何をですか」
「机に置いたもの」
「差出人がありませんでした」
「字で分かるでしょう」
「匿名を希望しているのかと」
「匿名じゃないよ。真白ちゃんに書いたんだから」
先輩はいつものように笑った。
「お返し、あれでいい?」
「お返しを求めた覚えはありません」
「でも、言いたかったから」
「……受け取りました」
「よかった」
それだけで、莉々香先輩は放送室へ戻っていった。
追いかけない。返事も迫らない。
だから、残された言葉の意味を考えるのは、いつも受け取った側になる。
私は引き出しへしまった用紙を思い出しながら、生徒会室へ戻った。




