第十二章 舞台の外
誕生祭が終わったあとも、体育館には甘い匂いが残っていた。
参加者を全員見送り、忘れ物を確認する。椅子を畳み、展示パネルから写真を外し、視聴覚ブースの木箱を運び出す。
梓は一枚ずつ写真を箱へ戻していた。
「真白、この写真どうする?」
先ほど展示しなかった、私と莉々香先輩の写真だった。
「梓が撮ったなら、梓が持ってれば」
「いらないの?」
「いらない」
「一枚しかないよ」
「何の一枚よ」
「二人が一緒に写ってる写真」
私は手を伸ばしかけ、やめた。
「梓が保管して」
「分かった」
梓は写真をほかと分け、透明な袋へ入れた。
「何で分けるの」
「傷つかないように」
「ほかの写真も同じでしょ」
「これは文香先輩に送るから」
「送らないで」
取り返そうとすると、梓は写真を背中へ隠した。
「学校行事の記録」
「文香会長と同じ言い訳をしないで」
「莉々香様、真白と話してるときだけ少し声が低いんだよ」
「気のせい」
「放送を聞いてる人には分かる」
「私は分からない」
「分からないなら、まだ持ってなくていいね」
「勝手に審査しないで」
梓は答えず、箱を抱えて体育館を出ていった。
文香先輩は会場報告書を作成していた。
参加者四十人。負傷者なし。設備破損なし。食品事故なし。予定外の質問一件。本人の判断により回答。
最後の欄に、『全体として極めて意義深く、宮本莉々香さんと佐久間真白さんの良好な関係も――』と書きかけた跡がある。
「会長」
「消しました」
「書こうとはしたんですね」
「一瞬、会員向けの感想と混同しました」
「公式報告書に感想を書かないでください」
「書いていません。消しました」
「下書きからも消してください」
文香先輩は修正テープを重ねた。
「佐久間さん」
「何ですか」
「今日は、ありがとうございました」
「会長へ礼を言われることでは」
「会長としても、古参ファンとしてもです」
「二つを混ぜないでください」
「宮本さんが、自分の言葉についてあのように話すとは思いませんでした」
文香先輩はステージを見た。
すでにマイクも机も片づけられ、幕だけが垂れている。
「佐久間さんが監視役になって、よかった」
「まだ問題は解決していません」
「ええ。でも、宮本さんは今日初めて、四十人の顔を見た。ファンも初めて、宮本さんが戸惑う顔を見た。お互いに、相手を少し人間として見られたと思います」
その言葉に、私はすぐ返事をできなかった。
ファンたちは、遠くから莉々香先輩を理想化していた。莉々香先輩も、自分を応援する人たちを、顔の見えない誰かとしてしか知らなかった。
今日、ようやく両方に顔ができた。
「会長」
「はい」
「古参ファンという立場を、初めて少しだけ評価します」
「光栄です」
「少しだけです」
「十分です」
文香先輩は満足そうに報告書を閉じた。
体育館の隅で、莉々香先輩は最後の展示パネルを畳んでいた。
「宮本先輩。片づけは運営側で行います」
「私も参加者でしょう」
「主賓です」
「主賓でも、終わったら手伝うよ」
パネルは意外に重い。私は反対側を持ち、二人で倉庫へ運んだ。
狭い入口で角度を変え、壁へ立てかける。
「真白ちゃん、今日はありがとう」
「私は仕事をしただけです」
「私を呼んでくれた」
「ファンクラブに頼まれました」
「隣にいてくれた」
「運営担当です」
「本命の質問、止めてくれた」
「予定外の質問だったからです」
理由を一つずつ役目へ置き換えても、莉々香先輩は引かなかった。
「それでも、ありがとう」
「……どういたしまして」
「真白ちゃんも、少しは楽しかった?」
「忙しかったです」
「少しも?」
体育館を振り返る。
梓の大仰な写真題名。文香先輩の初放送への異常な詳しさ。千夏先輩が固まった顔。匿名有志が正体を隠しきれなかったこと。四十人の拍手。
「少しは」
「よかった」
先輩は嬉しそうに笑った。
またその笑顔へ、誰かが特別な意味を付けるのかもしれない。
私も、例外ではなくなり始めている。
翌週、生徒会とファンクラブの間で新しい取り決めが作られた。
一、莉々香先輩の発言から、本人の恋愛関係を推測して広めない。
二、特定の生徒を“本命候補”として追い回さない。
三、写真、音源、名前を使った企画は、事前に本人と生徒会の承諾を得る。
四、廊下や放送室前を塞がない。
五、本人へ返事を強要しない。
千夏先輩が会員向けに配布し、ひよりが一年生へ説明した。
「五番は、今回の質問のことですね」
「そう」
「あの質問をした子も、謝りたいと言っています」
「名前を公表する必要はないよ。これから守ってくれれば十分」
ひよりは頷き、用紙をそろえた。
「ファンクラブ、解散させないんですね」
「解散させる権限はないよ。それに、問題を起こさないなら、応援すること自体は自由」
「佐久間さん、少し優しくなりました?」
「最初から、応援することを禁止した覚えはないけど」
「莉々香先輩のことも」
「何?」
「最初より好きになりました?」
「監視対象として理解が深まっただけ」
「分かりました」
ひよりはそれ以上追及しなかった。ただ、文香先輩とよく似た笑い方をした。
南の新聞には、誕生祭の記事が掲載された。
題名は『四十人が聴いた、放送室の二年間』。
私と莉々香先輩の関係を推測する文章はない。代わりに、過去放送の展示と、莉々香先輩が語った「聞いている人を一人にしない」という言葉が紹介されていた。
「今回は、まともだね」
新聞部室で感想を伝えると、南は不満そうに唇を尖らせた。
「生徒会に三回も確認されたから」
「必要な確認」
「本命の質問を止めた佐久間さん、格好よかったのに。書きたかった」
「書かなくて正解」
「宮本先輩、ずっと佐久間さん見てたよ」
「見てない」
「写真あるけど」
「削除して」
「記事には使わない」
「そういう問題じゃない」
最近、自分でもこの言葉を使いすぎていると思う。
「次は、ファンクラブの匿名音源提供者を追おうかな」
「やめて。本人たちは匿名を希望してる」
「もう顔が割れてるって聞いたけど」
「それでも」
「佐久間さん、守るもの増えたね」
「生活指導だから」
「便利な言葉」
南の指摘を無視し、私は部室を出た。




