第48話
収穫祭の夜が更けても、城の中は静かに賑わっていた。
農民たちが帰り、使者も宿に引き上げ、ゲルハルトが後片付けを終えた頃——エリゼは城の屋上への階段を上った。
扉を開けると、夜風が頬を打った。
そして、人がいた。
レイナルトが手すりに腕をついて、夜空を見上げていた。一年前と同じ場所に、同じ姿勢で。
「また、眠れないんですか」
エリゼが言うと、レイナルトが振り返った。
「お前こそ」
「今夜は眠れそうになくて」
「……俺もだ」
エリゼは手すりの傍に立った。一年前と同じ場所に、今夜も並んだ。
空を見上げた。
満天の星だった。一年前と変わらない、降ってきそうなほど近い星が、漆黒の空を埋めていた。天の川が白く輝いていた。
やっぱり、綺麗だ。
何度見ても、そう思う。
「一年前、ここで何を思っていたか、覚えているか」
レイナルトが言った。
「覚えています」
エリゼは星を見たまま答えた。
「やっと息ができると思っていました。王都を出て、辺境に来て、初めてここで星を見て——ここにいていいんだと、思えた夜でした」
「そうか」
「レイナルト様は?」
少し間があった。
「……お前が来た頃、この空を綺麗だと思う気持ちを、どこかに仕舞っていた」
低い声が、夜風に混じった。
「アンナが亡くなってから、綺麗だと思っても、それを感じていいのかわからなかった。空も、緑も、農民の笑顔も——全部、遠かった」
エリゼは黙って聞いた。
「お前が来て、初めてこの空が綺麗だと思えた」
その言葉が、夜の空気に溶けた。
エリゼの胸が、静かに揺れた。
しばらく、二人で星を見ていた。
風が吹いた。エリゼの髪が揺れた。
「エリゼ」
「はい」
レイナルトが手すりから体を起こして、エリゼの方を向いた。
月の光が、その顔を照らしていた。無表情ではなかった。何かを全部決めた人間の、静かで真剣な顔だった。
「俺の傍にいてくれないか」
一息置いた。
「一生」
静かだった。飾りがなかった。余分な言葉が何もなかった。
それが、この人らしかった。
エリゼは少し笑った。
目が熱くなったが、今夜は泣かないと思った。泣くより笑いたかった。
一年前の夜、部屋に一人でいたとき、リーナが言った言葉を思い出した。
——奥様はこれから、好きに生きればいいんです。
好きに生きた一年が、今夜ここに来た。
「はい」
エリゼは答えた。
「喜んで」
レイナルトが少し目を見開いた。それから——微笑んだ。声はなかったが、確かに笑っていた。
エリゼが一歩進んだ。レイナルトの胸に、そっと額を当てた。
レイナルトの腕が、エリゼの肩に回った。
辺境の星空が、二人の上に広がっていた。
どこまでも続く、降ってくるほど近い星たちが、この夜を静かに照らしていた。




