第49話
翌朝、エリゼは父への手紙を書いた。
何度も書き直した。婚約の報告という、人生で二度目の婚約の話だ。一度目は、父に報告するまでもなく決まっていた。しかし今回は違う。自分で選んだ。自分の意志で、この人と歩いていくと決めた。
だからこそ、きちんと言葉にしたかった。
三度書き直した末に、短くまとめた。
——レイナルト様と、婚約しました。私が選んだ人です。お父様に報告できることを、嬉しく思います。
返信は、思っていたより早く届いた。
十日後。馬車の速度を考えると、父はほとんど即座に返事を書いたことになる。
エリゼは窓辺の椅子に座って、封を切った。
最初の数行は、レイナルトへの言葉だった。
「ヴォルフ伯爵閣下のことは存じ上げているが、辺境を愛し、民のために働く誠実な方と伺っている。娘をよろしく頼む」——父らしい、真面目な挨拶だった。
次の段落は、短かった。
——娘が今度こそ、自分のために選んだ相手がいると聞いて、父は泣いている。恥ずかしながら、この手紙を書きながらも涙が止まらない。お前が幸せであることが、父の何よりの望みだった。それだけは、伝えておきたかった。
エリゼは手紙をそこまで読んで、止まった。
もう一度読んだ。
三度読んだ。
涙が出た。
こらえようとしたが、無理だった。手紙を膝の上に置いたまま、声が出そうになるのを手で押さえた。
父が泣いている。あの不器用な父が、手紙を書きながら泣いている。
最初に泣いた夜のことを思い出した。婚約破棄の夜、部屋に一人でいて、なぜ泣いているかわからないまま泣いた夜。あのときはリーナだけがそばにいた。父は書斎にいて、エリゼは一人だった。
あの夜と今は、何もかもが違う。
「また泣いているのか」
声がして、エリゼは顔を上げた。
レイナルトが部屋の入口に立っていた。書斎に向かう途中で声が聞こえたのだろう、扉が少し開いていた。
「父からの手紙で」
「なんと書いてあった」
「泣いていると」
レイナルトが少し眉を動かした。それからゆっくりと部屋に入ってきて、エリゼの隣に座った。
いつもの距離より少し近かった。肩が触れるくらいの距離だった。
「見せてもいいか」
「はい」
手紙を渡すと、レイナルトが黙って読んだ。
少しして、手紙をエリゼに返した。
「……いい父親だ」
「そうですね」
「泣くのは、当然だ」
エリゼはもう一度、手紙の最後の段落を見た。
涙がまたにじんだ。
「最初に泣いた夜は、一人でした」
気がつくと、口に出ていた。
「断罪された夜、部屋に一人でいて——自分でもなぜ泣いているかわからなくて、一人で泣いていた」
レイナルトが黙って聞いていた。
「あのときは、これからどうなるかも、どこへ行けばいいかも、全部わからなかった」
「今は」
「今は、わかっています」
エリゼは手紙を折った。
レイナルトが、肩に手を置いた。そっと、しかし確かに。
「もう一人で泣くな」
静かな声だった。命令でも、慰めでもなかった。ただ、そうあってほしいという——まっすぐな言葉だった。
エリゼは頷いた。
「はい」
秋の光が窓から差し込んでいた。
エリゼはもう一度、父の手紙を胸に押しあてた。
ここに来て一年、失ったと思っていたものが全部、別の形になって手の中にあった。




