第45話
辺境に来て、一年が経とうとしていた。
春に出発した日のことを、エリゼは時々思い出した。王都の城門をくぐった瞬間の、あの解放感。馬車の窓から見た野原。指先に灯った小さな魔力の感触。
あの日から、一年。
今の辺境は、あの日エリゼが思い描いた以上のものになっていた。
収穫祭を開こう、という話が出たのはゲルハルトからだった。
「今年は周辺の領地からも声をかけてはどうでしょう。エリゼ様が来てから一年、辺境がここまで変わったということを、広く知ってもらう機会にもなります」
レイナルトが「エリゼはどう思う」と聞いた。
「やりましょう。農民の皆さんが一番喜ぶと思います」
「では、準備を頼む」
「はい。ただ——」
エリゼはレイナルトを見た。
「一緒に計画を立てていただけますか。辺境のことをよく知っているのは、レイナルト様ですから」
レイナルトが少し間を置いた。
「……わかった」
その夜から、二人で収穫祭の計画を立てた。
書斎のテーブルに地図を広げて、会場をどこにするか、何を出すか、どの集落に声をかけるか——話し合いながら決めていった。
初めてのことだった。
仕事の打ち合わせは今まで何度もあった。しかしこれは仕事とも少し違った。祭りをどんな形にしたいか、農民たちに何を感じてほしいか——そういう話をしながら、二人の意見が重なることが多かった。
「子どもたちが走り回れる広い場所がいいですね」
「東の広場なら、城からも近い」
「屋台を出すなら、農民たちが自分で出せるようにしたい。今年育てたものを持ち寄って」
「そのほうが誇りになる」
「そうです、そういうことです」
エリゼが身を乗り出すと、レイナルトが「近い」と言った。
「すみません」
引いたが、レイナルトは特に不快そうではなかった。むしろ地図を指さして「ここに焚き火を置けば、夜でも寒くない」と続けた。
そういう夜が、三日続いた。
ゲルハルトは二日目の夜、書斎の前を通りかかって足を止めた。
中から二つの声がしていた。エリゼが何かを説明する声、それにレイナルトが短く答える声、そして——笑い声が混じっていた。
エリゼのものだった。しかしその後に、もう一つ、低い、短い笑い声があった。
レイナルトが笑っていた。
ゲルハルトはしばらく扉の前に立っていた。それから、静かに廊下を歩き出した。
アンナ様、旦那様が笑っています。
心の中でそう言った。
計画が固まったのは、四日目の夜だった。
二人で出来上がった計画書を見て、エリゼが言った。
「楽しくなりますね」
「ああ」
「レイナルト様は、祭りが好きですか」
「……嫌いではない」
「それは好き、ということですよ」
レイナルトが「そうかもしれない」と答えた。
その横顔が、やわらかかった。
エリゼは計画書を丸めながら、今年の春、この人の無表情を初めて見たときのことを思い出した。あの顔と、今夜の顔は、同じ人のものとは思えなかった。
一年で、こんなに変わった。
そして自分も——きっと、変わった。
辺境の夜が、静かに更けていった。




