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必死で尽くしてきた王子に婚約破棄されたので、自分のために生きることにしました  作者: 小林翼


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第37話

 父からの手紙と、王家からの公式通知が同じ日に届いた。


 朝の食堂でゲルハルトが二通の封書を持ってきたとき、エリゼは麦粥を食べながら「ありがとうございます」と受け取った。レイナルトが向かいの席でそれを見ていた。


 公式通知を先に開いた。読んで、少し眉を動かした。


「何が書いてあった」


 レイナルトが聞いた。


「爵位格上げの通知と、辺境での功績への表彰状です。王家から」


「そうか」


「父の手紙も来ています。同じことが書いてあるかもしれません」


 エリゼは父の手紙を開いた。二通りに折られた便箋に、父の几帳面な文字が並んでいた。


 読み進めるにつれて、視界がじんわりと滲んだ。最後の一行まで読んで、エリゼはしばらく手紙を膝の上に置いたまま動かなかった。


「エリゼ」


 レイナルトの声がした。


「……泣いているのか」


「泣いていません」


「目が赤い」


「光が、目に入っただけです」


 レイナルトが何も言わなかった。エリゼは袖で目を拭って、麦粥に視線を戻した。



 その話は午後には農村まで広まっていた。


 マルタが「表彰されたとか!」と息を切らして畑まで来た。グスタフ村長も何かを持ってやってきた。農民たちが「やっぱりエリゼ様は」「当然だよ」「最初からすごいと思っとった」と口々に言った。


 ゲルハルトが満足そうに腕を組んで言った。


「エリゼ様はすごい方だったんですね。改めて」


「今さら」とエリゼは笑った。


「いえ、最初から認めていましたよ。ただ改めて——王都の方々にも知れ渡ったことが」


「でもゲルハルトさん」


 エリゼは言った。


「そんなことより、今年の秋麦の出来が少し心配で。北側の区画の水はけが、まだ本調子ではないんです」


 ゲルハルトがぽかんとした。


「今この話題ですか」


「大事な話ですよ。表彰されても麦は育ちませんから」


 ゲルハルトが吹き出した。こらえようとしたが、こらえきれなかった。肩を揺らして笑った。


「さすがエリゼ様です」



 夕方、一人で北側の区画を確認していると、レイナルトが来た。


 馬に乗ったまま、エリゼの隣で止まった。しばらく並んで、夕暮れの農地を見ていた。


「王都に戻る気に、なったか」


 また、その問いだった。


 今日で何度目か、エリゼはもう数えていなかった。ただ今回は、声がいつもと少し違った。問うというより——確かめている、という色があった。


 エリゼは答える前に、聞き返した。


「なぜそんなに聞くのですか」


 レイナルトが黙った。


 夕風が吹いた。麦の穂がさわさわと揺れた。遠くで農民の声がした。


 レイナルトが、馬の手綱を少し握り直した。


「……いてほしいからだ」


 静かな声だった。


 エリゼは動きを止めた。


 いてほしい。その三文字が、夕暮れの空気の中に溶けていった。それ以上の言葉はなかった。説明もなかった。ただ、その三文字だけがあった。


 エリゼはしばらく、麦畑を見ていた。


「……わかりました」


 やがて言った。


「覚えておきます」


 レイナルトが何も言わなかった。


 二人で並んで、夕陽が沈むまで畑を見ていた。


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