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必死で尽くしてきた王子に婚約破棄されたので、自分のために生きることにしました  作者: 小林翼


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第29話

 王都では、春が来ていた。


 しかし城の中の空気は、春らしくなかった。


 外交晩餐会の翌日から、廊下の空気が変わった。侍女たちが目を逸らすようになった。侍従たちが声を潜めるようになった。アルフォンス第二王子は、それに気づきながら、気づかないふりをした。



 前夜の晩餐会は、隣国の使節団を迎えた正式な外交の席だった。


 テーブルには十二カ国の代表が並び、料理は七品、楽団は二十人。王城の外交行事の中でも、もっとも格式の高い部類に入る宴だった。


 問題が起きたのは、五品目が出た頃だった。


 シャルロットが、隣に座った使節の一人と会話をしていた。愛想が良く、よく笑い、社交的に見える彼女は、場の雰囲気を和らげるのが得意だった——少なくとも、王都の夜会程度では。


「あちらの国では、男性が家事を全部されるんですって? まるで使用人みたい」


 シャルロットの声は、楽団の間奏の静寂に乗って、テーブル全体に届いた。


 一瞬、場が凍りついた。


 彼女が言った「あちらの国」とは、その使節が代表として来ている国のことだった。そしてその国では、家事の分担は誇り高き文化として根付いていた。侮辱と取られても仕方のない一言だった。


 使節の顔色が変わった。



 アルフォンスは即座に立ち上がって、シャルロットの言葉を「冗談でございます」と取り繕った。隣国の言語で謝辞を述べて、話題を変えた。その場は何とか収まった。


 しかし宴が終わった後、外務卿がアルフォンスを廊下に呼び止めた。


「殿下。今夜の件は、正式な書状での謝罪が必要かと存じます」


「わかっている」


「また、シャルロット嬢への——」


「わかっていると言った」


 アルフォンスは廊下を歩きながら、奥歯を噛んだ。


 書状。謝罪の文面。送り先の確認。使節団への手土産の選定。明日の朝には全部整えなければならない。


 こういう後始末を、以前は誰がやっていたか。


 アルフォンスは廊下の突き当たりで、立ち止まった。



 エリゼがやっていた。


 シャルロットが場で何か言うたびに、さりげなく話題を変えていた。外交書状の言い回しを、アルフォンスが悩む前に整えてくれていた。使節団への手土産も、相手国の文化に合わせて選んでくれていた。


 当時は当たり前だと思っていた。令嬢として優秀なのは知っていたが、それが自分の負担をどれだけ減らしていたかを、考えたことがなかった。


 今夜、その全てが自分の仕事になって——初めてわかった。


 どれほどの量だったか。


 アルフォンスは部屋に戻り、机に向かった。


 謝罪の文面を一人で書き始めながら、遠い辺境で何かをしているらしい、あの静かな背中を思い出した。


 追い払った背中を。


 その夜、文書は朝まで完成しなかった。


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