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必死で尽くしてきた王子に婚約破棄されたので、自分のために生きることにしました  作者: 小林翼


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第24話

 一週間後、レイナルトが騎士を五人連れて南の廃小屋へ向かった。


 エリゼは城で待った。


 待つのが苦手だとは思っていなかったが、この日は違った。地図を広げても頭に入らない。帳簿を開いても数字が滑っていく。リーナが「お茶でも」と持ってきてくれたが、半分しか飲めなかった。


 昼を過ぎた頃、馬の蹄の音が聞こえた。



 全員、無事だった。


 旅商人の三人は縄で繋がれて、騎士に連れられていた。文書も押収した。ヴェルナー組からの指示書、偽の噂の内容を書いた紙、領内の集落の名前が並んだ一覧——証拠は十分だった。


「国境まで送り届けて、二度と領内に入るなと伝えた」


 レイナルトが報告した。


「文書は王都の裁判所に送れば、ヴェルナー組への正式な抗議ができる」


「よかった」


 エリゼは息を吐いた。


 本当に、よかった。誰も怪我をしなかった。証拠も取れた。農民たちへの工作も、これで止められる。



「エリゼ」


 レイナルトが言った。


 エリゼは顔を上げた。「エリゼ」と呼んだのは確かだった。しかしその前に、一瞬別の音が聞こえた気がした。


「……今、何とおっしゃいましたか」


「エリゼ、と——」


「その前です」


 レイナルトが少し固まった。


「……お前が、いなければ気づけなかった」


 エリゼは数秒、言葉を失った。


「今、お前と呼びましたか」


 レイナルトが視線を逸らした。珍しいことだった。この人が目を逸らすのを、エリゼは初めて見た。


「……言い方が、悪かった」


「悪いとは思いませんけれど」


「令嬢に対して使う言葉では」


「気にしません。でも——」


 エリゼは少し考えてから、言った。


「せっかくなら、名前で呼んでいただけますか」


 レイナルトがエリゼを見た。


「エリゼ、でよいか」


「はい」


 エリゼは微笑んだ。


「喜んで」



 ゲルハルトが少し離れたところで、肩をわずかに震わせていた。笑いを堪えているのが、背中越しにわかった。


 レイナルトがゲルハルトの方をちらりと見て「余計なことを言うな」と先手を打った。


「何も言っておりません」とゲルハルトが答えた。声が微妙に上ずっていた。



 その夜、農民たちへの説明会を開いた。


 工作の経緯と、証拠の内容を全て話した。農民たちがざわめいた。川沿いの農夫が「だまされていたのか」と頭を抱えた。


「疑ってしまって、申し訳なかった」とマルタが言った。


「疑うのは当然のことです」とエリゼは答えた。「よそから来た人間を、すぐに信じる必要はない。これからも、おかしいと思ったら遠慮なく言ってください」


 説明会が終わった後、農民たちが口々にエリゼに礼を言った。ドルン村のグスタフ村長が「一杯おごるよ」と言った。


 城への帰り道、エリゼとレイナルトが並んで歩いた。


「お前が——」


 レイナルトが途中で止まった。


「エリゼが最初に気づかなければ、工作は広がり続けていた」


「村を回っていたからわかったんです。農民の皆さんが教えてくれました」


「それを動かしたのはお前だ」


 今度は「お前」を使ったが、レイナルトはすぐに気づいて口を閉じた。


 エリゼは笑った。


「エリゼです」


「……エリゼ」


 名前を呼ぶのに、まだ少し慣れていない、ぎこちない声だった。それがなぜかとても良かった、とエリゼは思った。


 夜空に星が出ていた。

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