第23話
翌日の午後、エリゼは一人で南の街道を歩いた。
農民の外出着を借りた。侯爵令嬢らしい格好は全部脱いで、くたびれた麻のスカートと上着。髪も簡単に結い直した。すれ違う旅人が振り返らなかったから、変装は成功していると思った。
百メートルほど後ろを、レイナルトとゲルハルトが別々の方向から、農夫に見せかけた格好でついてきていた。エリゼから見えない距離を保ちながら。
廃小屋は、街道から外れた林の中にあった。
かつて農具を保管していたらしい石造りの小さな建物で、屋根の一部が落ちていた。近づくと、中から複数の人の声がした。
エリゼは小屋の裏側に回った。崩れた壁の隙間から、人影が二つ見えた。外にも一人いるかもしれない。
エリゼは壁際にしゃがんで、地面に手を当てた。
土の中に魔力を送り込む。細く、静かに。根を這わせるように、小屋の外壁に沿って蔓を伸ばしていく。できるだけ薄く、できるだけ静かに——見えない糸を壁に沿わせる感覚で。
蔓が壁の隙間に入った。
聞こえてきた。
声が、土を通してエリゼの手のひらに振動として届く。植物魔法の応用——蔓が音を拾い、根を通してエリゼに伝える。うまくいくかどうかわからなかったが、やってみると、思いのほかはっきり届いた。
二人の男が話していた。
「——今週中に、あと三つの集落に流す。そうすれば、組合の再編も崩せる」
「ヴェルナー様は来月までに結果を出せと言っておられる」
「わかってる。例の令嬢が問題だ。あいつが来てから、農民が言うことを聞かなくなった」
「追い払えないのか」
「簡単じゃない。辺境伯がついてる。下手に動けば、国境問題になる」
「ならもっと巧妙に——令嬢の評判を落とす話も、用意してある。王都から持ってきた話だ」
エリゼは手を動かさず、聞き続けた。
王都の話。エリゼの婚約破棄のこと。それを使って農民の不信感をさらに煽る計画。「冷たく高慢な令嬢が、辺境を食い物にしようとしている」——という噂を、もっと広く流すつもりだという。
十分だった。
エリゼは蔓をゆっくり引き戻した。立ち上がって、林の外へ戻る。
街道に出たところで、農夫の格好をしたレイナルトが待っていた。
「どうだった」
「全部聞こえました」
エリゼは手のひらを見た。蔓が残した細い跡がある。
「ヴェルナー組の指示で動いています。来週、もう一度ここに集まる約束をしていました」
「来週か」
「はい。次は、あなたが待っていれば、証拠ごと捕まえられます」
レイナルトが無言でエリゼを見た。
「……植物魔法で、会話が聞こえたのか」
「蔓を這わせました。うまくいって良かったです。ちゃんと届くかどうか、やってみるまでわからなかったので」
「よくそんな発想が」
「封印していた間に、ずっと本を読んでいたので」
エリゼが答えると、レイナルトがわずかに目を細めた。
怒っているのではなく、呆れているのでもなく——なんというか、苦笑に近い表情だった。エリゼはそれを初めて見た気がした。
「帰るぞ」
「はい」
二人で街道を歩いた。後ろからゲルハルトが合流した。
「どうでしたか」
「全部わかった」とレイナルト。
「エリゼ様のおかげですね」とゲルハルト。
レイナルトが何も言わなかった。
しかしエリゼの隣を、半歩だけ近い距離で歩いていた。




