表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
必死で尽くしてきた王子に婚約破棄されたので、自分のために生きることにしました  作者: 小林翼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/17

第16話

 眠れない夜があった。


 季節の変わり目のせいか、それとも昼間の作業で頭が動きすぎているのか、布団に入っても目が冴えて仕方がなかった。次の水路の補修計画、ドルン村の土壌改良の順序、来月植え付ける種の種類——考えることが多すぎて、思考が止まらない。


 エリゼは諦めて起き上がった。


 上着を羽織って廊下に出た。城の中は静かで、使用人たちもとっくに眠っている。ふと、以前ゲルハルトが「屋上からの眺めがいい」と言っていたのを思い出して、階段を上った。



 屋上の扉を押すと、冷たい夜風が頬を打った。


 そして、人がいた。


 石造りの手すりに腕をついて、夜空を見上げている長身の人影。黒い髪が風に揺れていた。


 レイナルトだった。


 エリゼは一歩下がりかけた。邪魔をするつもりはなかった。しかしその動きに気づいたのか、レイナルトが振り返らないまま言った。


「見ていけ」



 空を指していた。


 エリゼは扉の傍に立ったまま、上を向いた。


 声が出なかった。


 星が、降ってくるようだった。


 王都でも星は見えた。しかしそれは、街の灯りに薄められた、控えめな星だった。ここは違った。漆黒の空に、数え切れないほどの星が、ぎっしりと敷き詰められている。天の川が白い帯になって空を横切り、その両脇をびっしりと星が埋めていた。


 手を伸ばせば届きそうな距離に、星がある。


 そんな錯覚を起こすほど、近かった。



 気づいたら、手すりの傍まで歩いていた。


 レイナルトの隣、少し間を空けて立った。二人で並んで、夜空を見上げた。


 しばらく、何も言わなかった。言葉が要らなかった。


「この土地の唯一の自慢が、この空だ」


 レイナルトが言った。


 低い声が、夜風に混じった。


「農地は痩せている。人は少ない。冬は長い。誇れるものが何もない土地だが——空だけは、誰にも負けない」


 エリゼはしばらく星を見てから、答えた。


「十分すぎる自慢です」


 レイナルトが少し動いた気がしたが、横顔は見えなかった。


「王都に、こんな空はありません。私、二十年生きてきて、星がこんなに多いことを知らなかった」


「……そうか」


「来てよかったと思う理由が、また一つ増えました」


 レイナルトが何も言わなかった。


 風が吹いた。エリゼの髪が揺れて、頬にかかった。払いながら、ふと隣を見ると、レイナルトがまっすぐ空を見ていた。


 その横顔が、昼間とは違って見えた。


 昼間のレイナルトは、常に何かを考えている顔をしている。領地のこと、農民のこと、次の仕事のこと。しかし今夜は——ただ空を見ていた。何も考えていないのか、あるいは言葉にならないことを考えているのか。


 どちらにしても、静かな顔だった。



 どれくらい並んでいただろう。


 城の時計が遠くで鳴った。夜中の二時を告げる音だった。


「そろそろ休みます」


 エリゼは言った。


「おやすみなさい、レイナルト様」


「ああ」


 扉に向かいかけて、エリゼは振り返った。


「ありがとうございました。眠れそうです」


 レイナルトはまだ手すりに腕をついたまま、こちらを向かなかった。


「……どういたしまして」


 それがひどくぎこちない言葉に聞こえて、エリゼは思わず小さく笑ってしまった。笑ったことに気づかれないよう、すぐに扉の中に入った。



 部屋に戻って布団に入った。


 さっきまでの思考の騒がしさが、嘘のように静かになっていた。


 眠れそうだ、と思った。しかし目を閉じると、満天の星の代わりに、レイナルトの横顔が浮かんだ。あの静かな顔。あの「どういたしまして」という不慣れな言葉。


 胸のあたりが、ざわざわしていた。


 これは何だろう、とエリゼは思った。


 答えを探しているうちに、いつの間にか眠っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ