9話 外出①
床にへたり込んだヒルダは、琥珀色の瞳を限界までひんむいたまま、がたがたと小刻みに震えだした。
何やら顔を真っ赤にして、壊れたラジオのようにブツブツと、相変わらずバグったシステム音声みたいな言葉を聞き取れないほどの小声で呟いている。
ふと後ろを見れば、母ステラも、姉ルナも、妹フィアも、なぜか全員が頬を異様なほど朱に染め、腰が抜けたようにその場にヘナヘナと座り込んでいた。
……おいおい、急にどうしたんだ。
そんなに俺が勝ったのがショックだったのだろうか。
よく分からないが、彼女たちは熱い吐息を漏らしながら、消え入りそうな声で「い、行ってらっしゃいませ……」と、ついに外出を許可してくれたのだった。
◇
こうしてようやく勝ち取った初の外出。
目的は、ただ一つだった。
(もちろん――推し活、これに尽きるな)
世界ランキング一桁のトップランカーだった俺にとって、外に出るということはすなわち、ゲームの効率的な攻略のために、早い段階で手に入れられる強力な初期アイテムや武器の確保への下調べ。
さらに言えば、この世界のどこかにいるはずのメインヒロインたちを、一目だけでも生で拝んでみたいという欲望も確かにあった。
しかし、ゲーマーの悲しい習性というか、血が騒いでしまったのだ。
母ステラは衰えを知らない完璧な美女だし、姉ルナと妹フィアの美しさも、ゲームのメインヒロインたちと並んで遜色がないレベルの美少女だ。
この半年間で家族との関係は正常に、いや、それ以上に深く修正されていた。日常的なスキンシップも多くなり、前世では一人っ子だった俺にとって、彼女たちは心から愛らしく思える存在になっていたのだった。
(まあ、相手はゲームのNPCだけどな。だが、データだからこそ、俺は自分のやりたい事に自重など絶対にしないぞ!)
俺は固い決意を胸に、屋敷のメイドたちのことも思い浮かべた。
普段から献身的に尽くしてくれている彼女たちもまた、最高級のグラフィックを誇っていた。
特にさっき手合わせしたばかりのメイド長ヒルダなどは、素晴らしいプロポーションを持ち、武術の心得があるため凛としていて最高に格好良かった。
(ヒルダには、ぜひとも巫女服とか着てほしい。絶対に似合う)
プログラムだと分かっていても、実家の母親や姉妹、メイドたちの反応があまりにも可愛いものだから、俺のゲーマー精神に
「もっと色んな反応が見たい。差し当たって、衣装差分イベントを起こしたい」
という強烈な欲望が湧き上がってきた。
要するに、彼女たちに可愛い服をプレゼントしたくなったのだ。
我が男爵家は没落気味で貧乏だったため、実家の財布をあてにすることはできなかった。
だがそれ以上に、前世のオタクとして「自分自身の力で稼いだお金で彼女たちに服を買い(運営にお布施をし)、彼女たちの尊い姿を拝みたい!」という気持ちが強かった。
幸い、俺にはゲーム時代の知識があった。
この大陸全土を股にかけて商売を行っている大商会『ラプラス商会』。
どの領地にも必ず店舗を構えているあの商会に行けば、通常のメイド服はもちろんのこと、巫女服、バニーガール、ナース服、スク水、ブルマ、さらには各種学校の制服に至るまで、プレイヤー向けのあらゆるコスチューム装備が網羅されているはずだった。
(よし、まずはラプラス商会へ行って衣装の品揃えと、値段を確認だ。金策を考えるのはそれからだな)
意気揚々と男爵邸の門をくぐり、俺は生まれて初めて、この異世界の街並みへと足を踏み入れた。
レンガ造りの美しい建物と、真鍮のパイプからシュウシュウと白煙を上げる蒸気機関のギミック。
まさに十九世紀末のスチームパンクを体現した素晴らしいグラフィックだった。
だが、大通りに出てしばらく歩いた頃、俺の胸の中に強烈な違和感が這い上がってきた。
「……待て。なんだこれ?」
すれ違う通行人、馬車を御する御者、露店の店主、警備をしている衛兵。
――右を見ても、左を見ても、前を向いても、後ろを振り返っても。
視界に入る人間が、全員、恐ろしいほどの美貌を備えた女性しかいなかったのだ。
彼女たちは、俺を視界に捉えるたびにピタリと動きを止め、信じられないものを見るかのように目をひんむき、顔を真っ赤にして呼吸を忘れたようにこちらを見つめていた。
何なら、数人の美女が鼻血を噴き出してその場に卒倒するのすら見えた。
「あ……そういえば、このゲームの公式サイトに書いてあったな……」
脳の奥底に眠っていたフレーバーテキストが、ここでようやくパチリと繋がり、俺は思い出した。
(そうだった。このゲームの世界設定って、近代魔導汚染のせいで男女比が『1:200』の世界だったわ)
あまりにも男が少なすぎて、女性の貞操観念も逆転し、今や貴重な男を見るだけで、鼻血を出してしまう子までいると言う、おバカな基本設定。
この世界の男は、基本的にはデブばかりだ。
それなのに、細身の俺を見て、なぜ彼女たちは一瞬で男だと気づくのか。
その理由は、設定資料にハッキリと書いてあった。
この世界の女性たちは、この凄まじい男飢えの世界を生き抜く進化の過程で、目の前の生き物がオスであるかどうかを、本能だけで100%判別できるようになっているというのだ。
(設定資料集で見た時は『どんなエロゲだよ!』って笑ったもんだけど、マジでそのまんまかよ! マナクロの開発陣ってホント変態的だよな……)
俺はゲーマーとしての好奇心から、この街のモブがどれほど精密に作られているのか、ちょっとした検証実験を試みることにした。




