4話 勘違い②
――だが、勿論この世界は現実であり、生きている人々も本物だ。
そして、ユピテの知らない所では、実家の女性陣やメイドたちの脳内は大爆発を起こしていたのだった。
その日の深夜、屋敷の一角にあるサロン。
普段なら静まり返っているはずの時間帯に、ヴァルハイト家の女たちは秘密裏に集結していた。
彼女たちは皆、顔をこれ以上ないほど真っ赤に染め、異常な熱を帯びた、ユピテ包囲網の談義を繰り広げていたのだ。
「命を削るような過酷な魔導修行を続け、あんなにも美しく優しくなったユピテ……。私、母親だけど誓ったわ。あの子の気高い魂に見合うだけの素晴らしい女性を、この私の手で厳選してあげるって。もちろん、最高権力を持つ第一夫人には私が一番信頼できる、女性を推薦するつもりよ……そう、例えば、私とかね」
母親のステラ・ヴァルハイトは、大真面目な顔でサファイアの瞳をギラギラと輝かせる。
「お母様、抜け駆けは良くありません。ユピテが私に歩み寄って、あの至近距離で私のリボンを褒めてくれたのは、不器用な彼なりの最上級の求愛行動よ。あの子がこれ以上魅力的になったら、他の女から拉致されてしまうわ……。そうなる前に、姉の私が、責任を持ってあの子の初めてを美味しく保護して差し上げないと……!」
姉のルナ・ヴァルハイトも、普段の氷の令嬢っぷりはどこへやら、拳を強く握りしめて荒い鼻息を漏らしていた。
「お母様もお姉さまも、私の既成事実を忘れてもらっては困るわ」
12歳の妹、フィア・ヴァルハイトが、ココアのカップを片手に、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「夜に、怖いから一緒に寝てくださいってお願いしたら、お兄様は困ったように笑って『仕方ないな』って同じ布団で寝させてくれたのよ。普通の男性なら考えられない神対応だわ。おかげで私、自分の心臓の音がうるさくて朝まで一睡もできなかったんだから……。今の所、私が一歩リードね」
その言葉を聞いた瞬間、ステラとルナの視線がピキッと凍りつく。
しかし、火花を散らす家族の横では、さらにメイドたちが限界突破した声を上げていた。
『聞いてちょうだい。ユピテ様が、私の胸元を、それはもう熱い視線でガン見されながら、お菓子を分けてくださったの。これはつまりプロポーズに他なりませんわよね!?』
『ユピテ様にお礼を言われたっ! 第一夫人の座はステラ様達に譲るとしても、末席なら今から婚姻届の準備をすれば滑り込めるわ!』
『使用人と貴族の恋なんて身分違いだけど……今の優しくて気高いユピテ様なら、ワンチャンあるよね?(じゅるり)』
メイド代表のヒルダをはじめとするメイドたちも、全員が獲物を狙う肉食獣の目で熱狂していた。
この世界において、男性から優しくされるということ、ましてや微笑みかけられるということは、それだけで魂を捧げるに値する奇跡なのだ。
どのようなシチュエーションであれば、ユピテの貞操を平和的に奪い、外堀を埋め立てられるか。
深夜のヴァルハイト男爵邸で、そんな愛が重すぎる、身内略奪会議が毎夜のように開催されていることなど――。
当のユピテは知る由もなかった。
◇
「……はは、なるほどな。みんなNPCだったわけか。道理で、いくらじっと見つめても、髪型を褒めても、我慢して同じ布団で寝かせてあげても、反応がパターン化してたんだな」
翌日、自室のベッドに腰掛けながら、俺はふっと大人の余裕を含んだ笑みを浮かべた。
前世のゲーム知識によれば、このゲームではキャラクター同士の好感度というシステムが、のちのメインシナリオの分岐や、戦闘時の連携バフに大きくかかわってくる。
当然、好感度は高ければ高いほどいい。
このゲームの売りは、高度AIによる自由な対話だった。
だが、元全サーバー一桁のトップランカーである俺の頭の中には、AIの思考アルゴリズムを徹底的に検証して導き出したすべての最適解の構文が叩き込まれていた。
相手の性格、服装、置かれた状況――それらの情報を視界に入れた瞬間、俺の脳内データベースが瞬時に高速計算を開始し、『いま、この相手に最も刺さる会話の最適解』を自動で導き出してくれるのだ。
それはメインヒロインだけでなく、名前すらない街のモブ相手にも遺憾なく発揮された。
それが、どんなに歯の浮くような甘いキザったらしいセリフであっても、俺は躊躇することなく最適解を声に出して選ぶことができる。
なぜなら、相手がデータだからだ。
もしこれが生身の人間(3次元)の女性相手なら、キモがられる恐怖や羞恥心がある。だが、相手がプログラムによって制御されたNPCなら話は別だ。照れる必要なんて1ミリもなかった。
ゲーマーとしてNPC相手に最も効果的なセリフを選択しているだけなのだ。
打算100%。
だからこそ、俺への精神的ダメージも恥ずかしさもゼロだった。
「でも……プログラムだとしても、俺の推しへの愛は変わらない。データだろうが何だろうが、エルザ先輩は俺の至高の神キャラなんだ。……推し活は全力でやらせてもらう!」
俺は拳を握りしめ、前方の青空を見上げた。
「よし。このバグが多めの健気なNPCたちを効率よく愛でながら、毎日、デイリークエストを欠かさずやってやる。
ある程度のレベルまで上がれば、外出許可をもぎ取って、ゲーム攻略に役立つアイテムや武器なんかも集めて、メインシナリオが始まる士官学校入学までに、完璧な状態にして、推し活を始めるんだ」
ここがデータの世界だと誤解した最強のオタク紳士。
彼が放つ、打算と効率のみで構成された、ノーダメージの無自覚無差別爆撃(最適解セリフ)が、これから世界中の女たちの脳内を文字通りバグらせ、狂わせていく勘違い無双劇。その物語の幕が今上がる。
――しかし、彼はまだ思い出していなかった。
このゲーム『マナ・クロニクル』の公式サイトの冒頭に、どんな狂った基本設定がデカデカと書かれていたかを。




