2話 日課
ゲームでは画面をポチポチやるだけで強くなれたが、この世界で生きるということは、自分の身体を動かす必要があるということだ。
三段腹を揺らしながら汗だくになって剣を振るうなんて、効率最悪だし、元現代人としてはだるくて耐えられない。
(だが大丈夫。アプデで追加された、新規勢向けの、5分で終わる超効率デイリークエストで、この問題は解決だ)
スタートダッシュに遅れた初心者が、出来るだけ早くゲームのメインステージに参加できるようにと実装された、運営公式の初心者救済メニュー。
ちょっとした脳内魔力パズルと、音に合わせて体の各部位にタイミングよく魔力を込めるだけのストレッチ。
たったこれだけで、レベルがどんどん上がり、完全な初心者でもストーリーをサクサクと進められるようになる、ぬるい仕様である。
「考えれば考える程、これしかない!」
俺は毎日、自室でそのデイリーをこなすことにした。
ただ、一つだけ誤算があった。
俺が転生したソシャゲが19世紀末の世界をベースにしている事だった。
ゲームがリリースされてから、毎年セルラン堂々一位の超大作、魔導ファンタジー戦術RPG――『マナ・クロニクル』
R15指定のスレスレを攻める過激な色気とグラフィック。
蒸気機関とファンタジーが融合した、退廃的かつ重厚なスチームパンクの世界観。
そして総勢五十名以上のヒロインたちが織りなす、素晴らしくもどこか切ないストーリー。
世界中で爆発的なヒットを記録した最大の要因は、開発陣が総力を挙げて組み込んだ、超高性能対話型AIエンジンだった。
その対話システムの精度は狂っていた。
メインヒロインたちは言うに及ばず、街を歩く名もなきモブNPCでさえ、プレイヤーの親密度や行動次第で無限に近い会話バリエーションを見せるという、現代の技術の粋を集めた神ゲーだった。
俺もこの世界観やストーリーはものすごく好きだし、ヒロインたちとの臨場感あふれる会話もおおいに楽しませてもらった口だ。文句なんて一つもない。
だが、19世紀末をベースにしたこの世界だという事は、現代人にとって命の次くらいに大事なものがない。
――そう、スマホとネットだ。
おかげで、俺は圧倒的に時間を持て余す事になった。
家の中でやれる事はすぐに尽きた。
仕方がないので、外に出ようとすると、「外は危険がいっぱいだから」と、家族に涙ながらに止められ、家から一歩も出られない。
屋敷に申し訳程度の本はあったが、『マナ・クロニクル』ガチ勢の俺からすると、真新しい情報は特になかった。
つまり、暇すぎて死ぬ。
「……ミニゲームでもやるか」
仕方がないので、俺は唯一ゲーム感覚で遊べるデイリークエストを、暇つぶしとして四六時中、やり続けた。
ステージをクリアする毎に難易度が上がり、プレイヤーを飽きさせない仕様は、ミニゲームながら「気合い入れすぎ。こっちが本編でもいい」と当時ネットで評判になったほどだ。
俺としては、本当にただの暇つぶしだった。
自室で、ポチポチと簡単なパズルゲームと、音に合わせて魔力を込めるリズムゲーム、ただそれだけの感覚。
――だが、そのお気楽なプレイの裏で、自分の肉体にどれほどの異常が起きているか、この時の俺は一ミリも気づいていなかった。
◇
初心者救済メニューの本当の正体。
それは、この世界の人間がやったら一秒で脳が焼き切れる多重魔導演算であり、周囲の重力を数百倍にして肉体に負荷をかける神域の鍛錬だったのだ。
前世のゲームの仕様では、このデイリークエストによるステータス上昇の恩恵は、毎日最初の初回クリアの1回のみと決まっていた。
だからユピテも、完全にそのつもりでいた。
しかし、ここはゲームのデータではなく、生身の現実世界。
システムによる一日の回数制限なんて、最初からどこにも存在しなかったのだ。
そんなことも知らず、ユピテは一日に何回も、何十回も、延々とそのデイリークエストをリピートし続けた。
「よし、100面クリア。ほんと面白いなこのミニゲーム。さて、次はどんなギミックが出てくるんだ?」
そんな軽いノリで、世界の並みいる強者達をあっさりと追い越し、誰も足を踏み入れたことのない未知の領域へと突き進んでいたのだった。
本来であれば、そんな特殊な訓練で異常な魔力を使用すれば、どれほど強靭な人間であっても一瞬で魔力が枯渇し、廃人になるのが道理である。
ユピテ自身は知る由もなく、ユピテの家族さえも全く把握していなかったが、元のユピテという身体が秘めていた魔力の総量は、生まれながらにして、規格外に多かったのだった。
今までは完全に宝の持ち腐れだったその規格外の魔力が、チートデイリーの連打という最高の形で噛み合ってしまった結果。
彼は一切の苦痛を感じることなく、ただの暇つぶし感覚で世界のパワーバランスを粉砕し続けていたのだった。
当然、そんな神の領域の莫大な魔力消費は、肉体にも恐ろしい速度で影響を及ぼす。
この世界の貴族階級における一般常識として、短期間での急激な痩身は、命を削るほどの凄まじい魔力消費を伴う、過酷な特訓の証とされていた。
だから、家族やメイドの勘違いも、ある意味妥当ではあったのかも知れない。
日に日にユピテの見事な三段腹の脂肪が消え去り、しなやかに引き締まった極上の細マッチョが形成されていく。
元のパーツの良さも手伝って、立ち姿だけで少女漫画の王子様のような気品を醸し出したユピテの姿を見て、実家の女性陣は、ドアの隙間から涙を流して震えていた。
『ルナ、見ましたか……? あの子、お部屋のなかで瞑想して、たまに少し体を伸ばしているだけに見えるのに……どんどん贅肉が削ぎ落とされ、肉体が引き締まっていく姿を。あれは、気絶するほどの魔力を一瞬で練り上げる、命がけの精神修行の証拠よ……』
母親のステラは、サファイアの瞳を潤ませながら、隣の長女にヒソヒソ声で熱弁を振るう。
『きっとあの子、お菓子を喉に詰まらせて死にかけた時、今までの自分の行動を深く恥じたのね。ユピテは今、想像を絶するほどの苦痛に耐えながら、必死に生まれ変わろうとしているんだわ……!』
『ええ、お母様。私もそう思います。ユピテの服の隙間から覗く引き締まった胸筋……ああ、あまりに神々しくて、気高いわ』
姉のルナも普段の氷の表情をどこかへ置き忘れ、頬を真っ赤に染めながら熱烈に同意していた。
『以前は視界に入っただけで「目が腐るだろクズ」と言われてたのに、最近はすっかりとそれも無くなりました。ドMな私からすれば、ユピテの暴言もご褒美だったので、それが無くなったのは少し寂しいですが、すべては、高潔な本物の雄へと覚醒したからなのですね。
不甲斐なかった自分を許してくれと、背中で語られているようで、あまりにも健気で……。危うくその場で押し倒して、襲ってしまうところでしたわ』
さらに、事情を知らないメイドたちの間でも、ユピテの変貌はオカルト級の美談として噂になっていた。
『ちょっと見ました!? ユピテ様の体、昨日よりさらに引き締まって、なんだか物凄い男の色気が出てきてるんですが!』
『知ってます! お部屋ドアを開けるたびにどんどん美少年になっていくんですよ! 寝る間も惜しんで命がけの魔導修行をされてるに違いないです……っ』
『私たちが配膳する短い時間すら瞑想されてるもんね。歩く姿を見るだけで、そのストイックさに身体が火照って、私、変な声が出そう……!』
◇
そんな女性たちの、超・好意的勘違いの視線など露知らず、俺は鏡の前でマッスルポーズをとりながら一人で満足げに頷いていた。
「よしよし、全然きつくないのに、肉体が引き締まっていくな。ご満悦だわ」
この時の俺の自覚としては、せいぜい物語中盤の雑魚に負けないLV.40くらい。
しかし実際のステータスは、この時点で世界のパワーバランスを一人で崩壊させるLV.150に仕上がっている事に、俺は全く気付いていなかった。
そうやって肉体の変化と共に、強くなっていく喜びを噛み締めていた、転生から数週間が経ったある日のこと。
俺は屋敷の中庭にある木の下で、頭を抱えて座り込んでいた。
「おかしい……どう考えても、この屋敷の人間の挙動、おかしいだろ……」
元々、前世がおっさんゆえに、家族やメイドたちのような美人には気後れしてしまい、積極的に会話をしていなかった。
だからこそ、気づくのが遅れたのだ。
数週間、この世界で過ごして、周囲の様子を観察し続けた結果――。
俺は、この世界における、あまりにも致命的なある真実に気づいてしまったのだった。




