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第6話 まだ見ぬ未来を探す者達

 石と鉄、そして生々しい人間の喧騒の匂いがした。

 三度にわたる魔獣との激戦を乗り越え、分厚い石積みの防壁に守られた街『ソゾム=ヴィーグ』の巨大なポートカリス(鉄格子大門)をくぐり抜けた一行。

 彼らを真っ先に包み込んだのは、辺境のアイナル村の静寂とは対極にある、むせ返るような強烈な熱気だった。


 足元に広がるのは、魔獣の血や泥にまみれた獣道ではなく、幾百年もの人の往来で表面が滑らかに磨き上げられた硬い石畳である。

 立ち並ぶ建造物は木造平屋の多い村とは異なり、堅牢な石造りの二階建てや三階建てがひしめき合い、時折、尖塔が狭い空を切り取るようにそびえ立っている。


 大通りには、荷台に山ほどの木箱や麻袋を積んだ巨大な荷馬車が、わだちの溝に車輪を軋ませながら行き交っていた。

 あちこちの露店からは、焦げた肉の脂、鼻を突く強烈な香辛料、そして安酒と汗の入り混じったむせ返るような匂いが漂い、鍛冶屋の店先からは甲高い鉄の槌音がリズミカルに響き渡っている。


 時折、それらに混じって鼻を突く悪臭を放つ建物があるが、それは魔導結晶を利用した共用便所だ。

 そして、何より目を引くのは、武装した冒険者たちの数の多さだ。

 傷だらけの革鎧を着込んだ剣士、怪しげなローブを目深に被った魔導師、巨大な荷物を背負う商人たちが、肩がぶつかるほどの密度でひしめき合っている。

 種族も様々で、人間だけではなく、エルフやドワーフ、ホビットの姿も多い。

 決して数は多くないものの、猫の耳と垂れた尻尾を持つ獣人も我が物顔で闊歩している。

「すごい人……。建物も、見上げるほど高い石造りばかりだ。それに、いろんな匂いが混ざり合って……息が詰まりそうだよ」

 

 旅慣れたエリカとライナスは目立たないが、ディオンは、田舎から出てきた少年のように目を丸くして、立ち並ぶ屋台や頭上の看板を忙しなく見回して感嘆の息を漏らした。

 その落ち着きのない態度は、見るものが見ればルーキー(冒険初心者)だとすぐに分かる。

 すると、その隣でアルベローゼが尖った長い耳を不快そうにパタパタと動かし、自慢の白樺の弓を背中に回してぷくっと頬を膨らませる。

「もう、カンカンカンカンうるさいなぁ。エルフの耳にはこの槌の音とか怒鳴り声、キンキン響いて最悪だよ。空気も鉄と汗の匂いばっかりで、森の澄んだ空気がもう恋しい……」


「がはは!何言ってんだ、この活気こそが『街』ってやつだろうが!」

 バハルが二・四五ガルイの巨体を揺らして豪快に笑う。


 行き交う人々が彼の威容と鈍く光る龍の鱗にギョッとして道を空けるが、本人は気にも留めていない。

 龍人は珍しいのだ。

「ほら、見ろよディオン!あの鍛冶屋の店先に並んでるツヴァイハンダー(両手剣)、すげぇ分厚さだぜ!あんなの、村じゃ絶対にお目にかかれねぇ!」

「感心してる場合じゃないよ、二人とも」

 はしゃぐ男たちに、アルベローゼがジト目を向けた。

「今日の戦いで、私の矢がもう一本も無いんだから。いくら弓の腕が良くても、弾切れじゃ空を飛ぶヴィルヘル(魔物)の的になるだけだよ」


 その現実的な指摘に、バハルもハッとしたように背中の大斧をドスンと石畳に下ろして、無骨な頭をガシガシと掻いた。

「俺の斧もひでぇ刃こぼれだ。今日一日、レーヴァ・シェールやらカチカチの甲殻ばかりを力任せに叩き割ってたからな。……しまったぜ、砥石を用意するのをすっかり忘れてた」


 アイナル村の周辺の森で、小動物や弱い魔物を狩るのとは訳が違う。

 今日一日だけでも、絶え間ない魔獣の襲撃は彼らの武装を絶望的に消耗させ、同時に精神をも確実にすり減らしていた。

「バハルさん、ディオンさん。歩きながらよそ見をするのは危険ですよ」

 エリカが、かつて聖都で暮らしていた頃と変わらぬ洗練された足取りで進みながら、周囲に鋭い視線を配る。


「ここは辺境の拠点。冒険者が多いということは、それだけ彼らが落とす金を狙う者も多いということです。浮かれた新顔の財布を狙うスリや、法外な値段を吹っかける商人がそこら中にいます。荷物から決して手を離さないで」


「うっ……気を付けるよ」

 ディオンが慌てて腰のポーチを強く押さえる。

 そのやり取りを微笑ましく見守っていたライナスが、眼鏡の位置を直しながら静かに提案した。

「エリカさんの言う通りです。皆、気を張って疲労が溜まっているはずだ。まずは宿を取りましょう。ゆっくり休んで、明日の準備に備えないといけませんね」


 その的確な提案に皆が頷き、一行は大通りから少し入った先にある、武装した冒険者が多く出入りしている中規模の宿屋の暖簾をくぐった。

 通されたのは、六人がけの丸テーブルが置かれた広い共有スペースを中心に、六つの小さな個室が扇状に配置されている構造の部屋だった。

 見知らぬ者同士でパーティを組むことが多い冒険者たちにとって、プライバシーが守られる個室と、作戦会議ができる共有スペースが一体となったこの「六室仕様」は、都市部におけるスタンダードな間取りである。


 それぞれの個室に重い荷物を下ろし、深い安堵の息を吐いた頃、窓の外の空はすでに深い夜……群青の浸食(十九時)を回っていた。


「明日は一日かけて、矢や砥石、食料などの買い出しをしましょう。ディオンの剣とバハルの斧は打ち直しが必要でしょう?そうなると、出発は三日後でどうでしょうか?」

 共有スペースに戻ってきたライナスが提案する。

「打ち直しの日数は明日にならねぇと分からねぇしな」

「私も賛成!もうお腹ペコペコだよー!」

 アルベローゼが一番に手を挙げ、口々に賛同した五人は、宿の一階に併設された賑やかな酒場へと足を向けた。


 焦げた肉の脂と、強い度数のエールの匂いが充満する酒場の片隅。

 木製のジョッキから溢れる泡を気にすることなく、乱暴に運ばれてきたエールを五人で勢いよく打ち鳴らし、ささやかな乾杯の声が響く。

「さて、聖都に向かう次の街は『フェルゼン・ハフト』です。ここからおよそ三十五ライン(三十五キロメートル)ですね」

 ライナスがテーブルの端に広げた羊皮紙の地図を指さす。

 すると、巨大な骨付き肉に豪快にかぶりついていたバハルが、口の周りを脂だらけにしながら身を乗り出した。


「今日移動したのが二十五ラインだろ?俺たちなら三十五ラインくらい、一気にいけるんじゃねぇか?」

 バハルの楽観的な提案に、エリカが思わずクスクスと上品な笑い声をこぼした。

「ダメですよ、バハルさん。無茶です。次の街へ行くには、途中の山岳地帯……『グリフト・ヘラー(猛禽の休息洞窟)』を越えなければならないのよ」

「猛禽の……?」

「この街に冒険者が多い理由でもあるのだけど……あそこは『フリューゲル・ハスト(巨大なグリフィン)』の生息地なの。素材が非常に高額で取引される代わりに、犠牲者も後を絶たないわ。それに、今日のような見晴らしのいい草原で戦うわけじゃない。切り立った崖や、身動きの取れない狭い山道よ。十分に準備して、ちゃんと対策を練ってからじゃないと確実に死にます。そうすると……フェル・フヴィーラの草原の休憩所で一泊が必要ですね。ここからは約二十四ライン(二十四キロ)です」


 元・特務魔導中隊長としての、冷徹な状況分析。

 エリカの淡々とした説明に、足場の悪い崖路で上空の死角から襲いかかってくる巨大なグリフィンの姿を想像し、バハルはブルッと身震いした。


 そのやり取りを見ていたライナスが、静かに口を開く。

「エリカさん……このパーティのリーダーは、貴女がなるべきだ。常に冷静で、戦闘部隊の指揮経験もある。元魔導師団のエース中隊長以上に、適任者はいない。……やってくれませんか?」


(それは元神聖騎士の貴方だって……)

 エリカの脳裏に、かつて聖都で教会神聖騎士団(ハイル・リッター)の中隊長として名を馳せたライナスの凛々しい姿がよぎる。

 だが、パーティの生命線である彼のようなヒーラー(回復役)が指揮やリーダーを兼任するのは、戦術的にリスクが高すぎることも理解していた。


 ディオン、バハル、アルベローゼは、村の防衛という局地戦の経験はあっても、長距離の過酷な旅や、未知の魔獣との複雑な戦闘経験は決定的に不足している。

 エリカは少しだけ視線を落とし、それから覚悟を決めたようにニコリと笑った。

「いいわ……私がリーダーをさせてもらう。その代わり……一つ提案があるの」


 彼女は深い緑の瞳で、四人の顔を順番に見渡した。

「リーダーとしてのお願い。みんな、年齢やアイナル村での立場なんかは気にしないで、これからはもっと気さくに話すのはどうかしら?丁寧な言葉も無しよ……ライナス?」

 不意に呼び捨てにされ、ライナスは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。

「私は構いませんよ。仲が良い方が、有事の際の連携もスムーズにいくというものです。賛成です……エリカ」


「私もさんせーだよ!堅苦しいのってめんどくさいんだよね!」

 アルベローゼがジョッキを片手に元気よく立ち上がると、すかさずバハルが突っ込む。

「お前、村にいる時からいつもと変わんねーじゃねーか!丁寧な言葉なんてできねーだろ」

「うるさいバハル!こういうのは気分の問題なの!」

 わはは、と明るい笑い声が弾ける。


「それがいいね。僕も大賛成だよ」

 ディオンも相好を崩したが、その瞳の奥には真剣な光が宿っていた。

 彼は空になったグラスを見つめ、静かに切り出した。

「ところで、兄さん……。あの話を……そろそろ、教えてくれないか」


 ディオンが口にした途端、その場が酒場の喧騒から切り離されたように、彼らのテーブルの上の空気だけがピンと張り詰めた。

 皆が触れたくても触れられなかった、この旅の根源に関わる『悪霊』と『過去』の話題。

「……ここでは、話すような内容ではありませんね」

 ライナスは周囲の喧騒と、酔っ払いたちの視線を一瞥し、静かに立ち上がった。

「宿の部屋に戻りましょう」

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