第24話 聖誕祭へ向けた戦盤
聖都ルーン・ヴィークを敷き詰める重厚な石畳に、真珠を砕いたような細かな粉雪が舞い降りる季節となった。
空を覆う鉛色の雲とは対照的に、街を彩る街路樹には色とりどりの魔導ランタンが飾り付けられ、無数の淡い光が雪景色を温かく照らし出している。
大通りのあちらこちらから、屋台で熱されるシナモンと魔導焼き林檎、そして甘口のスパイスワインの香りがふわりと漂い、行き交う人々の頬を綻ばせていた。
この世界に生きるすべての者が、一年で最も心待ちにする祝祭――『神聖聖誕祭』の到来である。
この世界では、世界の理と魔導を司る「魔導父神ゾル」、命と慈愛を育む「魔導母神ルナ」、そして天と地を包括しすべてを統べる絶対神「創世至高神エテルナ」の三柱が深く崇められている。
冬の澄み切った夜空の下、家族でささやかながらも温かな食卓を囲み、神々の大いなる恵みに感謝を捧げるこの祝祭は、平民にとってはかけがえのない家庭の団欒の時間であった。
一方で、聖都に居を構える貴族たちにとっては、その意味合いが大きく異なる。
己の家の威信と財力、そして抱える魔導師たちの力を誇示するための、きらびやかで華やかな夜会が連日連夜にわたって繰り広げられる、一年で最も苛烈な「社交の季節」でもあった。
白亜の王立魔導学園。
二学期の授業も終わりに近づいたある日の放課後、エリカは親友たちからの熱烈すぎる誘いに挟まれ、ひどく頭を悩ませていた。
「ねえエリカ!今年の聖誕祭、絶対に私の家の夜会に来てくれなきゃ嫌よ。魔導の大家として、王都で一番豪華で最高の夜にするって、お父様も張り切っているんだから!」
見事な金色の縦ロールを揺らし、活発なセレナがエリカの両手をギュッと握りしめて身を乗り出してくる。
彼女の瞳は期待でキラキラと輝き、有無を言わさぬ圧を放っていた。
すると、隣に立っていたファミールが、理知的な瞳の奥で銀縁の眼鏡をクイと押し上げ、静かに、けれど断固とした口調で割って入った。
「いいえ。我が子爵家のパーティーこそ、エリカには相応しいわ。今年は王都中から名を馳せた一流の魔導師たちが集う、極めて知的で洗練された晩餐会になるはずよ。エリカの知的好奇心を満たせるのは、うちの夜会だけね」
「ちょっとファミール、私が先に誘ったのよ!エリカには豪華な食事と音楽で、日頃の疲れを癒してほしいの!」
「社交において順番は関係ないわ、セレナ。それに、騒がしいだけのパーティーでは彼女が疲れてしまうでしょう?」
バチバチと、二人の間に青白い火花が散る。
どちらも魔導に関わる名家の令嬢であり、当日は主催者側の家族として、実家のパーティーから絶対に抜け出すことはできない立場だ。
だからこそ、学園で一番大切に想っている親友のエリカを、どうしても自分の家にお招きしたくてたまらないのである。
身分を越えて自分を求めてくれる二人の愛情に、エリカの胸は温かくなった。
だが、ある現実的な問題が彼女の心に冷たい影を落としていた。
「あ、あのね、二人とも。誘ってくれるのはすごく嬉しいの。でも……ごめんなさい。私、平民だし……貴族の夜会に着ていけるような、ちゃんとしたドレスを持っていないの。だから……」
エリカが申し訳なさと恥ずかしさに視線を落とし、辺境の村出身の平民である自身の境遇を口にすると、セレナとファミールは一瞬きょとんとし、それから顔を見合わせた。
「「任せなさい。私がエリカのドレスを用意するわ」」
見事に一言一句違わずハモった二人は、お互いの顔を指差して、くすくすと大笑いし始めたのである。
その笑顔に、エリカの心に張り詰めていた糸がふっと緩んだ。
しかし、事態はさらに複雑な方向へと転がっていく。
その数日後……週に一度の放課後、ジュリアンによる精神負荷軽減魔法の施術を終えた後のことだった。
いつもの煩わしい頭痛と、どす黒い殺意が凪いだ静かな特別実習室で、教師のジュリアンから思いがけない言葉をかけられたのだ。
「エリカ。もし予定が空いているのなら、今年の聖誕祭は我がランバート子爵家の夜会へ来ないか。実は……弟のテオも、君に正装した姿を見せたいと、随分とはりきっているんだ。君さえ良ければ、だが」
穏やかに微笑むジュリアンの大きな手には、銀の箔押しが美しく輝く、双剣と百合の紋章が刻まれた子爵家の正式な招待状が握られていた。
冬の柔らかな陽光が斜めに差し込む、図書室の片隅。
古い羊皮紙と乾いたインクの匂いが漂う静かな空間で、エリカは机の上に並べた三通の封筒を前に、身を縮めるようにして座っていた。
一つは、薔薇の香水が微かに香るセレナの伯爵家のもの。
もう一つは、純白の封筒に流麗な飾り文字が躍るファミールの子爵家のもの。そして――。
「……あのね。二人とも、相談があるの」
「改まってどうしたのよ、エリカ?聖誕祭の予定なら、もう私の家のパーティーに来るって決まりでしょう?」
セレナが快活に笑い、エリカの肩をポンと叩く。
しかし、隣のファミールが眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「あら、セレナ。私の誘いだってまだ生きているわよ。……それでエリカ、一番右端にあるその三つ目の封筒は一体何?」
エリカは震える指先で、最後の一通を二人の前にそっと押し出した。
そこには、ランバート子爵家の高貴な紋章――双剣と百合のレリーフが、鮮やかな青い封蝋で誇り高く刻印されていた。
「実は……ジュリアン先生からも、実家の夜会に来ないかって、誘われてしまって」
――――一瞬……図書室の空気が、高度な氷結魔法で凍結されたかのように静まり返った。
「………………え?」
セレナの口がポカンと半開きになり、ファミールの指から高級な羽ペンがコトリと音を立てて滑り落ちる。
「エ、エリカ。今……なんて言ったの?誰に誘われたって?」
「……ジュリアン先生です。テオくんも、一緒にって」
「「………………キャアアアアアアアアアッ!?」」
静寂を切り裂く、鼓膜を突き破らんばかりの黄色い絶叫が図書室に響き渡った。
「こら!そこ、静かにしなさい!」と、奥から司書教諭が血相を変えて飛んできたが、顔を真っ赤にした二人の興奮は一向に収まらない。
声のトーンこそ落としたものの、その熱量は凄まじかった。
「嘘でしょ!?あの氷の騎士とも噂される、女子生徒には誰も寄せ付けないジュリアン先生が、一介の教え子を自分の家の夜会にエスコート!?それってもう、ただの『お気に入り』の枠を完全に超えてるわよ!」
「セレナ、落ち着きなさい!……でもエリカ、これは間違いなく学園を揺るがす一大事よ。女子全員がひっくり返る大ニュースだわ。しかも、あの静かなる貴公子テオドール様もいらっしゃるなんて……。なんという贅沢な悩みなのかしら」
鼻息の荒い二人を前に、エリカはオロオロと視線を彷徨わせるしかなかった。
「それで……どうするの?まさか、誰かを断るなんて、エリカの優しさじゃできないでしょう?」
セレナが心配そうに覗き込むと、エリカは泣きそうな顔で小さく頷いた。
「二人とも、私にとって生まれて初めてできた、本当に大切な親友だもの。どちらの家にも絶対に行きたい。でも、先生にも……その、いつも助けてもらっている恩義があるから、どうしても断れなくて……」
エリカの本音を聞いたファミールは、やれやれと一つ深い溜息をつくと、分厚い革張りの手帳をバンッ!と机に広げた。
その瞳には、名門貴族の令嬢として長年培われてきた『舞踏会のハシゴ』に対する恐るべき戦術眼が宿っていた。
「……わかったわ。こうなったら、全部行くしかないわね!」
「全部?!」
セレナの叫びをよそに、彼女は猛烈な勢いで、手帳にペンを走らせ始めた。
カリカリカリと、数式を解くような小気味良い音が響く。
「いい、エリカ。これは一セグ(一分)の狂いも許されない、クロム(秒)単位の『強行軍』よ。まず、茜の帰還(17時)にセレナの伯爵邸へ入りなさい。セレナ!ここでは伯爵家としての格と豪華さを見せて、エリカの馬車に最高の物を用意するの!そして群青の侵食(19時)には出発よ」
「ええ、任せて!私の家の一番速い馬車を出すわ。柔らかいクッションを敷き詰めて、エリカが移動中に少しでも休めるように手配しておく!」
「そして燈火の安息(20時)に、我が子爵邸へ到着。ここでは高名な魔導師の集いがあるから、エリカの圧倒的な魔力を見せつけてやるのよ。静寂の警鐘半(21時半)には出発。私の子爵家の高速馬車で、ジュリアン先生の元へ送るわ。最高の馬を二頭立てにして、王都の石畳を全力で駆け抜けさせる!」
二人が瞬く間に立てた計画は、まるで一つの無駄のない高度魔法を構築するかのように、完璧で恐ろしいほどの完成度を誇っていた。
「友情も、先生への義理も、全部守り抜く。それが私たち三人の絆よ、いいわね!」
セレナの力強い宣言に、エリカは思わず瞳を潤ませた。
「……あ、で、でもドレスの事なんだけど……」
エリカが思い出したように、昨日、故郷のアイナル村から届いた重い木箱の話を切り出した。
「村のお父さんとお母さんから、信じられないくらい沢山の仕送りが届いたの。『王都の友達に引け目を感じないように』って手紙が添えられていて……。村での生活を切り詰めて、私にこんなにたくさん……」
殊勝に涙を浮かべるエリカを見て、セレナとファミールは顔を見合わせ、まるで悪戯を企む妖精のように微笑んだ。
「エリカ。その大切なお金は、あなたが本当に欲しい可愛い靴やリボン、それにいつか買うかもしれない高価な魔導書に使いなさい」
「ドレスはね……もう私たちが共同で、王都一の仕立て屋に発注してあるんだから!」
驚いて目を見張るエリカに、二人は優しく笑いかけた。
「一生付き合う親友に贈る、最初の聖誕祭のプレゼントよ。平民だとか貴族だとか、そんなの私たちには関係ない。あなたは私たちの自慢の『親友』なんだから、王都の誰よりも最高に輝いてもらわなきゃ困るの」
胸の奥がじんわりと熱くなる。自分の中に巣食い、折に触れて顔を出す悪霊の冷たい闇すら、この温かさがあれば乗り越えていける気がした。
三人は図書室の片隅で、誰にも聞かれないように小さな手を取り合い、聖夜の成功を固く誓い合った。
(やり遂げてみせます……みんなのために)
エリカは心の中で、神々への祈り――(神々の聖なる祝福を)と、静かに唱えた。
友情と誇り、そして誰にも言えない隠された闇を小さな胸に秘めて。
九歳の天才魔導士は、白銀に染まる王都の夜を駆け抜ける、愛と絆の強行軍へと身を投じる準備を整えたのだった。




