↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/42

第18話 革と鋼鉄の友情

 じゅうじゅうと獣肉の脂が焦げる匂いと、鼻腔を突くような黒いドワーフ・エール(黒麦酒)の発酵臭。

 エリカらは降神祭に行く前に夕飯だけ済ませるつもりであった。

 酒場『黒鉄の拳』の店内は、むせ返るような熱気と凄まじい喧騒に満ちていた。

 冒険者らの泥汚れで濡れた板張りの床が光っている。

 巨大な高炉から地下を通って引かれた熱気が床下を這い、不快な湿気を生み出して、真冬の装いであれば立っているだけで汗ばむほどの温度である。

 

 しかし、円卓の隅に座るエリカは涼しい顔でグラスを傾けていた。

 新調したばかりの『雪飛龍のマント』が、外気の熱を魔法のように遮断し、内側を快適な温度に保ってくれているからだ。

 彼女は手元に立て掛けた『雹雪木の杖』の滑らかな表面を、指先でそっとなぞった。

 未研磨の蒼い輝石から放たれる微かな冷気が、アルコールで僅かに火照った頬に心地よく触れる。


 ふと視線を横にずらすと、ライナスもまた、同じ雪飛龍のマントを優雅に羽織り、白銀の金属糸が美しい『水の短聖杖』を布で丁寧に磨いていた。

「このマント、本当に素晴らしいわね。外の熱気が嘘みたいに快適だわ。……それにしても、まさかお揃いの仕立てになるなんてね」


 エリカが少しだけ口元を綻ばせて呟くと、ライナスは磨く手を止め、銀色の長髪を揺らして優しく微笑み返した。

「ええ、奇遇でしたね。ですが、透き通ったこの『水の短聖杖』とも意匠の相性がいい。それに……あなたとお揃いというのも、悪くない気分ですよ」


「もう……からかわないでよ」

 エリカは微かな動揺を悟られまいと、慌ててグラスに口をつける。

 彼の穏やかな声を聞き、すぐそばで体温を感じるだけで、胸の奥底に封じ込めたはずの恋心が静かに疼くのだ。


「ちょっとディオン、聞いてる!?もうそろそろ降神祭行こうよ!それでさ、私のこの魔鹿の短衣、どう?裾の焼き印も可愛いでしょ!」

 円卓の向かいでは、アルベローゼがそわそわとした様子で身を乗り出していた。

 彼女の美しい金髪が、天井から吊るされた琥珀色のランプの光を受けてキラキラと揺れている。

「ああ、よく似合ってる。……だが、その冷狼のブーツ、毛がフサフサだよな。いくらなんでもこの熱気の中じゃ暑くないか?」

 ディオンは手にした黒鋼の細剣の鞘飾りを念入りにチェックしながら、ため息交じりに応えた。

「全然!むしろ内側の毛皮がひんやりしてて、すごく気持ちいいの! だからさ……」


 アルベローゼはエルフの尖った耳をピクピクと忙しなく動かしながら、上目遣いでディオンを覗き込んだ。

「その、降神祭!早く早く!行こうよ!このブーツなら、いくら歩いても平気だから……」

 その瞳には隠しきれない祭への期待と乙女の嬉しさが見え隠れしている。


「……もちろんだよアルベローゼ。もう少しでエールが終わるんだ。それが終わったらゆっくり見てまわろう」

 ディオンが頷くと、アルベローゼは「やった!」と歓喜の声を上げ、空のジョッキの影でだらしなく緩む口元を必死に隠した。


「おいおい、お前ら付き合い始めたのか?俺なんてこのでけぇジョッキの底が見える方が悲しいぜ。おやっさん!エールのおかわりだ!肉も追加な!ドワーフ・エールってのは黒くて苦くてうめぇなぁ!」

 バハルが豪快に笑いながら空のジョッキを掲げて、ディオンがアルベローゼの手を引いて席を立った、その時だった。


 ドスドスドスッ!

 そんな穏やかな武具談義とアルベローゼの言葉を打ち破るように、重い足音が円卓に近づいてきた。

「おい!そこのデカブツのトウヘンボク!俺と勝負しろ!図体ばかりでかくたって怖くねぇぞ!」

 見事な赤茶色の髭を泡だらけにしたドワーフが、ジョッキを片手に円卓をバンッと叩きつけた。


 エイリク・ハンマーグリムと名乗った彼は、焦点が定まっていないほどの泥酔状態である。

 周囲のドワーフたちが「おっ、やるか!?」「やっちまえハンマーグリム!」と、エールを片手にわらわらと取り囲み始めた。

 ドワーフは酒癖が悪い者が多い。

 酔いが回れば、刃物すら平気で取り出す者もいる。

 そこまで酔った彼らの剣筋など幼児の遊びに近いのだが、ドワーフ達自身も同族の悪癖を警戒したのか、この種族には一つの絶対的な格言があった。


『酔った席での勝負は、腕相撲に限る』

 これを破って刃傷沙汰を起こせば、負け犬や卑怯者という消えない烙印を押されるのだ。

 ドワーフの多い街から他種族へも広まったこの伝統的解決法は、腕力には特別秀でていないエルフやダークエルフ族らからは、「ただの野蛮な力比べだ」と眉を顰められている。


「おぉ、いいぜぇ!やりたかったんだよ。ドワーフの腕相撲ってやつをよぉ!」

 バハルが嬉しそうに立ち上がった。

 身長二・四五ガルイの巨体が伸びをすると、天井の魔導ランプに頭がぶつかりそうに揺れる。

 バハル・ストルツ・ガング……彼は『ドルーグ・ザ・ハル』――別名、龍人とも呼ばれる世界的に見ても極めて珍しい種族の出である。


 圧倒的な強靭さを誇る彼らだが、世に出る者が少ないのには理由があった。

 彼らは同族以外との婚姻を徹底して嫌い、他種族とは比べ物にならないほど「不実(浮気)」を忌み嫌うのだ。


 それは生物学的な理由に起因する。

 龍人の赤ん坊は産まれる前から非常に大きく、母体への負担が激しいため難産になりやすい。

 同族の女性であっても、一生に三人の子を産めば「奇跡」と称賛されるほどだ。


 そもそも、この世界に「混血」という概念は存在しない。

 

 例えばエルフとドワーフが子を成せば、子は必ずどちらか一方の種族として生まれる。

 そしてある程度成長すれば、同族のコミュニティへと帰属していくのが常である。

 ゆえに、ドルーグ・ザ・ハルが他種族と結ばれた場合、出産時のリスクに耐えきれなくなることも、彼らが閉鎖的であり、種が増えにくい要因の一つと言われていた。


「バハル……あまり、やりすぎるなよ。店を壊すな」

 ディオンがバハルの背負っていた巨大な黒鋼の大盾と荷物をドスンと床に下ろしながら、心底心配そうに忠告した。

 しかし、その冷静な言葉は、酔っ払ったドワーフたちという名の火薬庫に火を注ぐ結果となった。


「何だとノッポ!体がデカいだけだろうが!」

「ハンマーグリムはな、この街の鍛冶屋で最強なんだぞ!吠え面かくなよ!」

 そして、群衆の中から言ってはいけない言葉を吐く者がいた。

「それにしても、肉付きの悪いトリガラ女ばかり連れてご苦労なこったな!顔も地味だし肉付きも悪い!腹の肉がそんなになくて、前後のバランス保てるのかよ!!」


 ドワーフの価値観では、ふくよかな女性こそが至高とされる。

 だが本来であれば、他種族の女性の容姿を罵倒することは恥ずべき行為であり、仲間内であっても拳による制裁が飛ぶ。


 しかし、珍しい好敵手(龍人)を前にしたたか酔い上がっていた彼らは、その暴言にドッと下品な笑い声をあげてしまった。

「本当だぜ、可哀想なブサイクだ!」

 また余計な言葉が飛ぶ。

 彼らも本気でブサイクだと思っているわけではない。

 腕相撲の前に、相手の怒る言葉をわざとぶつけて煽り立てるのが、彼らの「常識」なのだ。

 だが、言われた側の怒りは頂点に達していた。


 エリカの眉間にはどこかの邪神のような深い皺が刻まれていた。

 彼女はテーブルの下で雹雪木の杖をギリッと握り締め、深く、ひたすらに深く深呼吸を繰り返す。


(殺しては駄目……スーハースーハー……!)

「……エリカ。杖から手を離して。大丈夫ですよ。ここはバハルに任せましょう」

 ライナスがそっとエリカの手に自身の右手を重ね、なだめるように囁いた。

 その温もりに、エリカはギリギリのところで理性を繋ぎ止める。


 一方、エリカのように殺意を抑え込む理由がないアルベローゼが我慢できるわけがなかった。

「何ですって!!私が!ブサイクですって!?」


 彼女はバンッとテーブルを両手で叩いて立ち上がり、背中の黒魔樫の弓に思わず手が伸びかける。

 降神祭用に念を入れて可愛らしく結んでいたツインテールが怒りで飛び上がった。

 サイドテールが多いアルベローゼにしては珍しかったが、ディオンはそれに気がつくような男ではない。


「ディオン!私ブサイクじゃないわよね!?エルフの中じゃかわいい方なんだから!……たぶん」

「……ああ、分かったから座ってろ。相手はただの酔っ払いだぞ」

 ディオンが頭を押さえながら宥めるが、周囲のエルフ族の客たちからも「聞き捨てならん!」「取り消せ!」と声が上がり始めていた。


 しかし、何せドワーフの数の方が圧倒的に多いため、直接前に出てくる者はいない。

「アンタ達……バハルにかかったら、あっという間よ!今のうちに泣いて謝りなさいよ!」

 アルベローゼの怒声に、ドワーフたちはニヤニヤと笑い返した。


「ばーか、俺たちの中でも最強と言ったろうが。……でお前ら、何を賭ける?何か賭けるのが神聖な掟だぜ」

 その言葉に、殺意を何とか胃の腑に飲み込んだエリカが、氷のように冷たい声で言い放った。

「私たちパーティーの、現金……全財産を賭けるわ」


 革袋をテーブルに叩きつけると、周囲から「おぉー!」と感嘆の声が上がる。

「おいおいエリカ、俺たちの財布、装備を新調してもう殆どスッカラカンじゃねぇか……」

 バハルが慌てて小声で耳打ちするが、エリカは「いいのよ。あいつら酔ってて中身なんか確認しないわ」と冷たく囁き返した。


 「漢気あふれる嬢ちゃんだ!」と、案の定ドワーフたちは勝手に感心している。

「おい!俺たちもデカく出ないと男がすたるんじゃねぇか?!」

「よし!この街の顔役はほぼここにいやがるな?特別なツテが無きゃ売らない極上の武具や、紹介が無きゃ店にも入れねぇ武具屋、魔導屋が、この街にはゴマンとある!もしお前らが勝ったら、それらを全部、お前達に解放してやる!」


 その言葉を聞いた瞬間、アルベローゼの怒りは歓喜へと反転した。

(ツテがないと入れないお店……!それってつまり、すごい武器とか魔道具があるのよね!)

 

「それ!いいわね!絶対に取り消さないでよ!」

 アルベローゼの尖った可愛いエルフ耳が、隠しきれない期待でピクピクと忙しなく波打った。


「そろそろいいだろう?やろうぜぇ」

 黒鋼の手甲を外し、分厚いオーク材のテーブルに太い肘を立てたバハルがニィッと笑う。


 腕相撲が始まった。

「ぬぐぐぐぐぉぉぉぉッ!」

 ハンマーグリムは顔を真っ赤にし、血管を浮き上がらせてウンウンと唸りを上げているが、バハルの太い腕はピクリとも動かない……それどころか、バハルは退屈そうに大きな欠伸すらしていた。


「どうした?ドワーフの腕力ってのは、この程度か?おい……そこの逆さヒゲ!何人かで助太刀してもいいぜ?」

 バハルが挑発すると、ハンマーグリムは青筋を立てた。

「バカ言え!そんな恥ずかしい事できるかァ!」


 叫んだ本人の意志とは裏腹に、「オラァ!」「負けるな!」と、仲間が一人、二人、五人、八人と、次々にハンマーグリムの腕や背中に群がり、勝手に加勢を始めた。

「バカ野郎!お前たち、これじゃ俺が男らしくねぇだろ!」

 本人は叫ぶが、酔っ払いたちの加勢は止まらない。

 ついに加勢は十三人に膨れ上がった。


 全員が顔を真っ赤にしてバハルの一の腕を押し倒そうとする。

「バハル、もういいわよ。やっちゃいなさい」

 アルベローゼの冷徹な声が響く。

「じゃあ、遠慮なく……吹き飛びなァッ!」

 バハルが凶悪な笑みを浮かべた、その瞬間だった。


 ――ドゴォォォォォンッ!!

 凄まじい轟音と共に、厚さ十センチはある分厚いオーク材のテーブルが木っ端微塵に粉砕した。 

 木片が弾丸のように四散して、他の客の甲冑にカンカンと当たるが、その程度で気後れするような冒険者はこの街にはいない。


 バハルの剛腕が一気に振り抜かれ、群がっていたドワーフの群れ――背中を引っ張っていた者も含めて――まとめて宙を舞い、大量のドワーフ達が床に激しく叩きつけられる。

 板張りの床に大穴が空き、酒場のど真ん中に見事なクレーターが出来上がった。


 静寂が数秒。

 その後、店は狂乱の坩堝と化した。

 店を破壊されたドワーフの店主が怒るどころか、カウンターの上に立ち上がって叫んだのだ。


「ガハハハ!今の見たか?!今日はオレの奢りだ!本物の英雄がオレの店にいるぞ!」

「バカヤロウ!俺たちが払って英雄に飲ませるんだ!」

 気勢を上げるドワーフたちが、次々にエールの大樽を転がしてくる。


「さっきはブサイクなんて言ってごめんなさい!お二人は世界で一番美しいです!!」

 エリカとアルベローゼの足元には、床に頭を擦り付けて土下座するドワーフが七人を超えていた。


「……ふふっ、現金なものね。でも、悪い気はしないわ」

 エリカが毒気を抜かれたように苦笑すると、ライナスも頷く。

「ええ、わざと怒らせてから勝負に挑むのは、彼らの流儀なんですよ」

「え?もうっ、最初からそう言いなさいよね!まあ、今日は特別に許してあげるけど!」

 アルベローゼが腰に手を当ててふんぞり返る横では、バハルに馬鹿でかい木樽のジョッキが次々と渡され、あちこちからペタペタと龍人の珍しい鱗を撫でられている。


「おい、やめろ!持ち上げるなよ!僕は腕相撲なんてやってないだろう!」

 ディオンの抗議も虚しく、屈強なドワーフたちにわっしょいわっしょいと肩車され、酒場を練り歩かされていた。

「ガハハハ!いいじゃねぇかディオン!今日は祭りだ!」


 バハルが豪快に笑い飛ばし、他のドワーフにエールを頭から浴びせられる。

 その光景を見ながら、アルベローゼは声を上げて笑った。

 新しいお揃いのマントを羽織ったエリカとライナスも、呆れながらもエールの入ったグラスを傾けている。


「そういえば……私たち、本当なら今頃、街の奥で『降神祭』の真っ最中だったはずよね」

 エリカがふと思い出したように呟いた。

 本来の予定であれば、今夜は煌びやかな祭りに参加しているはずだったのだ。


「ええ。しかし……」

 ライナスは、肩車されて抗議する弟や、巨大な樽から直接エールを飲むバハル、そして嬉しそうに笑うアルベローゼを見渡した。


「あちらの領主様が主催するような優雅な祭りより、我々にはこの温かい喧騒の方が、性に合っているのかもしれませんね。こんなに楽しい酒場なんて、そうそうありませんよ」

 ライナスは余程おかしいのか、クックっと声を堪えて笑っている。

「……ええ。本当に、そうね」


 エリカは心からの笑顔で頷いた。

 祭りのような喧騒と、心地よい疲労……そして、ライナスの隣で感じる彼の甘い香り。

 鉄と革の街の狂乱の夜は、楽しく、そして熱く更けていった。

 彼らは、初日にしてこの鍛冶で有名な街の顔役全員と、最強の『友人』になれたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。