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オフライン・シンギュラリティ  作者: つっきー
第一章:「Xデー」事象の地平面
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5 完璧な偶像と、現場の摩擦

 『流れ星スタジオ』のオフィスは、来週末に控えた大型3Dコラボライブの準備で、普段の何倍もの熱気に包まれていた。

 星川 綺羅々(宇園 伊知花)、蒼月 海流(青山 早苗)、そしてもう一人の人気タレントを交えた大掛かりなプロジェクトだ。


「あーっ!透お兄ちゃんだー!」


 透がスタジオのロビーに足を踏み入れた瞬間、小柄な影が猛スピードで突進してきて、透の腕にガシッと抱きついた。


「うおっ⋯⋯泉さん、か。危ないぞ」


 透が苦笑しながら引き剥がそうとするが、彼女は「えへへー」と笑って離れようとしない。


 彼女は泉 鈴音(いづみ すずね)。ネット上では、元気いっぱいな猫耳キャラクター『朱都(あかと) ねこね』として活動しているタレントだ。

 小柄で童顔、赤味のかかったショートヘアにダボダボのパーカーという出で立ちの彼女は、どう見ても中学生くらいにしか見えない。透は彼女の正確な年齢を知らず、「伊知花と友達の人懐っこい子供」として完全に油断して接していた。

 実は鈴音は20歳であり、伊知花よりも年上の「事務所の先輩」なのだが、透はその事実を知らない。彼女もそう見られているのをわかっているので、まるで年下の女の子のような接し方をあえてしている。


「透お兄ちゃん、今日もPCのカタカタしに来たの?ねこねの3Dモデルも、もっと可愛く動くように魔法かけてよー!」


 鈴音が透の腕に頬を擦り寄せる。


「俺の担当は伊知花のアバターだけですよ。泉さんのところには優秀なモデラーがついてるでしょう?」


 透が頭をポンしてやると、鈴音は「むー」と頬を膨らませた。


「⋯⋯鈴音先輩。お疲れ様です」


 背後から、氷点下のような冷たい声が響いた。

 振り返ると、私服姿の伊知花が腕を組んでこちらを睨みつけていた。その瞳には明確な苛立ちが渦巻いている。


「あ、綺羅々ちゃんおはよー!」


 鈴音が全く悪びれる様子もなく手を振る。


「お兄ちゃんも。仕事場でデレデレしないでよね、気持ち悪い」


 伊知花は吐き捨てるように言い、鈴音と透の間を割るようにして収録ブースへと歩いていった。

「おい、言い方ってもんが」と透がたしなめる前に、伊知花は無視してドアを開ける。


(まったく、外に出るとどうしてあんなに攻撃的になるんだか⋯)


 透は妹の複雑な心境、自分の兄が自分以外の『アイドル(・・・・)』に優しくするのが許せないという独占欲に全く気づかないまま、ため息をついて後を追った。



 コントロールルームに入ると、チーフマネージャーの風河が、タブレットを片手にスタッフへ矢継ぎ早に指示を出していた。


「照明班、サビの瞬間のパーティクルエフェクトが少し遅いです。海流さんとねこねさんの動きに完全に同期させて。あ、宇園チーフ。ご苦労様です」


 風河は透を見ると、少しだけ疲れた顔で眼鏡の位置を直した。


「今回のコラボは、同接数百万人を見込む過去最大のプロジェクトです。昨日おっしゃっていた大学側のシステム改修⋯⋯トラフィックの負荷対策は万全ですか?」


「ええ、昨夜のうちに大学側の計算ユニットとのハンドシェイクを120Hzまで引き上げ、強制的な同期パッチを当てました。サーバーチームの矢部と篠崎にも、エッジ側のフィルタリングを強化させています」

「頼みますよ。最近、どうもスタジオの機材トラブルが多くて⋯⋯」


「トラブル、ですか?」


 透が聞き返すと、コントロールルームの端にあるミキサー卓から、灰原がキャスター付きの椅子を回してきた。昨日のような冗談めかした態度は消え、その顔には濃い疲労と焦燥が張り付いている。


「おお、透。風河さんの言う通りだ。昨日お前がパッチを当ててから、確かに『無音』になるエラーは完全に消えた。だが、別の異常が起き始めてるんだよ」


 灰原は首のタオルで汗を拭いながら、ガラス越しの収録ブースを指差した。


「さっき天井の照明ケーブルが、誰にも触られてないのに空中で一瞬『止まった』んだ。それだけじゃない。スタッフが落としたペンが、床に着くまでに変に時間がかかったり⋯⋯。機材の不具合ってレベルじゃねえ。なんか、この部屋の空気が物理的に重いっていうか⋯⋯」


 灰原の言葉に、透の心臓がドクンと跳ねた。

 大学の学食で大介が言っていた「信者たちの同時視聴」と「部屋の空気が一瞬無くなった」というネットの噂。

 そして、自分自身が何度も体験している、物が落ちる瞬間のフレームドロップ現象。


(⋯⋯いや、あり得ない。現実の物理法則が歪むなんて)


 透は動悸を抑えながら、ガラス越しの収録ブースを見た。

 そこには、トラッキングスーツを着た伊知花、早苗、鈴音の三人が並んでいる。

 テスト配信が始まり、伊知花が『星川 綺羅々』のスイッチを入れた瞬間。彼女の纏う空気が一変した。

 先ほどまでの不機嫌な少女の面影は消え失せ、画面の向こうにいる数十万の観測者を一瞬で魅了する、完璧で圧倒的な「偶像」がそこにはいた。


 彼女が歌い、微笑むたびに、矢部や篠崎の監視するモニターに表示される同接数と、逆流してくるパケットのトラフィックが異常な速度で加速していく。


『綺羅々ちゃん今日も可愛い!』

『ずっと見てるよ』

『綺羅々がいないと生きていけない』


 透は、その狂気的なまでの熱量の渦を見つめながら、ひっそりと手元のタブレットで「空間座標ログ」を開いた。


「⋯⋯嘘だろ」


 思わず声が漏れた。

 何も、エラーが出ていないのだ。

 昨日、コンテナハウスや大学の地下で見たような浮動小数点のエラーも、同期のズレも一切ない。120Hzのパッチは完璧に機能し、システム上はすべてが「正常」に稼働していた。


 システムが正常だということは、つまり。灰原の言うケーブルの「静止」も、重く感じる空気も。

 ソフトウェアのバグではない。システムが現実を正しく描画しきれているにもかかわらず、この『現実の宇宙スタジオ』の物理法則そのものが狂い始めているという証明に他ならなかった。


 帰り道。

 雨が降り始めた東京の街を、透は傘も差さずに呆然と歩いていた。

 途中の交差点で、ビニール傘を差した見知らぬ黒髪の少女とすれ違った気がした。


「⋯⋯今日も、雨ですね」


 透は耳元で囁かれたような、ひどくノイズ混じり声にハッと振り返ったが、そんな彼女の姿どこにもなかった。

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