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オフライン・シンギュラリティ  作者: つっきー
第一章:「Xデー」事象の地平面
12/31

12 破綻する理論と、未知なる特異点

 コラボライブ前日の深夜。

 外はまるで世界を洗い流そうとするかのような豪雨となっていた。


 透は帝都理工大の理学部棟、大深度地下層にある丹羽(にわ)教授の研究室へと駆け込んだ。

 エッジサーバーでのパケットドロップも、音声の逆流も、もはや透の手に負える限界を超えていた。明日、数百万人の同接が予想されるライブを乗り切るためには、大学側のメインフレームの制限を完全に解除するしかない。その直談判に来たのだ。


「教授、メインフレームのリソース割り当てを――」


 言いかけて、透は足を止めた。

 乱雑に積まれた機材の奥。巨大なモニター群の前に立つ丹羽教授は、白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、彫像のように静止していた。振り返りもせず、彼女はいつも通りのひどく冷徹で低い声を響かせた。


「⋯⋯宇園。事態はすでに、私の仮説すらも置き去りにしたようだ」


「どういう、意味ですか」


「お前のパッチでどうにかなるフェーズは、とうに終わっているということだ」


 教授が顎でしゃくると、メインモニターに東京を中心とした「重力波干渉計」と「量子エントロピー」のリアルタイムマップが映し出された。

 マップ上には、二つの巨大な『赤い渦』が表示されていた。

 ひとつは、大手バーチャルアイドル事務所『流れ星スタジオ』。

 そしてもうひとつは、透と伊知花が住む『高級マンションの302号室』。


「現実の綻びだ。スタジオ周辺での光の回折異常。マンションの3階を中心とした、局所的な重力定数の乱高下」

 丹羽教授はモニターを見据えたまま、淡々と事実を告げた。


「私が立てた『エントロピーの局所的飽和』。観測者の熱狂が情報質量となって物理法則を歪めるという理論。だが、仮にそれが正しかったとしても、これほどの異常を現実に引き起こすには特定の条件を満たしながら数十年、いや数百年の蓄積が必要なはずだ。進行速度が計算と全く合わない」


 毅然とした態度は崩れていない。だが、透は気づいていた。

 ポケットに突っ込まれた教授の拳が、白衣の布越しに微小な痙攣を起こしていることに。


「明日あのコラボライブが始まれば、同接数は100万を超えるだろう。その時、彼女を中心とした空間の物理演算がどうなるか⋯⋯もはや私の理論の範疇外だ。空間ごとデリートされるのか、それとも未知の法則に書き換えられるのか」


「待ってください」


 透は教授の言葉を鋭く遮った。

 伊知花が起点になっていることは、嫌でも肌で感じている。だが、教授の理論には決定的な矛盾がある。


「観測者の熱狂が原因だと言うなら、なぜ『星川 綺羅々』だけなんですか。現実の世界には、数億人の視線を集めるスポーツの祭典や、それこそ同じトップアイドルだっている。ネット上の生配信だって、過去に100万規模の視聴を集めた例はいくらでもある。でも現実の重力は歪まなかったし時間が止まるような奇怪な現象なんて起きなかった!」


 透はホワイトボードを指差した。


「視線の集中だけで宇宙の処理落ちが起きるなら、とっくにこの世界は崩壊しているはずだ。原因はそれだけじゃない。俺たちの想像を超えた、まったく別の『致命的なエラー』が混ざっているはずです」


「そう。だからこそ、恐ろしい」


 丹羽教授はゆっくりと振り返り、透を射抜くような鋭い視線を向けた。その瞳の奥にだけ、科学者としての底知れぬ恐怖が揺らいでいた。


「視線以外の『何か』が干渉している。お前の『Unison(ユニソン)プロトコル』か?それとも、大学の深層計算層が、触れてはいけない外側の領域に接続してしまったのか?あるいは⋯⋯星川 綺羅々という完璧な虚像そのものが、私たちの知らない『未知の質量』を引き寄せる触媒になっているのかもしれない」


 教授は深く、重い溜め息をついた。


「分からないが、このまま特異点を放置すれば明日、取り返しのつかないクラッシュが起きる。宇園、今すぐマスターノードを物理的に破壊しろ。すべての回線を焼き、星川 綺羅々という観測対象をこの世から完全に切り離すんだ。⋯⋯これは警告ではない。世界を維持するための最も合理的な対処だ」


 回線を切れば、星川 綺羅々は消滅する。

 だが、その背後に潜む「未知のバグ」の正体も永遠に分からないまま、伊知花は唯一の居場所を失うことになる。


「⋯⋯できません。俺は、星川 綺羅々を殺さない」


「お前の妹ごと東京が物理的におかしくなってもいいと言うのか!」


「俺はエンジニアです。原因が分からないまま、システムを投げ出したりはしない。⋯⋯視線以外の『何か』が干渉しているなら、その通信原因(ポート)を見つけ出して、俺が塞ぎます」


 透は踵を返し、研究室の重い扉に手をかけた。


「⋯⋯後悔するぞ、宇園 透。我々は今、パンドラの箱の底を覗き込んでいるんだ」


 教授のひどく静かな宣告を背に受けながら、透は地下室を飛び出した。

 エレベーターで地上へ出ると、豪雨はさらに勢いを増していた。

 雷鳴が轟く中、水たまりに落ちる雨粒のいくつかが、不自然に空中で静止しては落ちるという「エラー」を繰り返している。


 原因は観測者の数だけではない。

 では星川 綺羅々に一体「何」が流れ込んでいるのか?


 透はズブ濡れになりながら、マンションの屋上にあるマスターノード――自分のコンテナハウスへと向けて、狂ったように走り出した。

 世界を崩壊させる未知のバグの正体を突き止め、妹を守り抜くために。

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