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3話 勇気を出して

 フェリクスが帰城した日の翌日。不在の母の代わりに使用人に縄で打たれた後は、屋根裏部屋の窓を開けて外の景色を眺めるのが日課になっていた。外を見ると、不思議と打たれた体と精神的に傷付いた心が和むのだ。無論、悲哀もある。


「良いなぁ………」


 そう呟けば、自分が箱庭から出られていないという事に悲しみを覚える。


『でも……貴女は人間だ』


 昨日訪れた隣国の王子様が言った言葉が、ずっと頭を過っている。

 まるで自分を道具だと言っているような言葉に心配になった半面、勇気を貰ったのも事実。その言葉を思い出す度、ビアンカの胸はトクトクと高鳴った。


(そうですね、殿下。………私だって、感情のある人なのだわ)


 やっと決意出来た。


(抜け出しましょう。絶対に気付かれないように)


 そう思った後は早かった。

 屋根裏部屋へと続く梯子(はしご)から廊下に降りると使用人に普通に見付かりそうなので、窓の近くにある大きな木に飛び移り、恐怖で震えながらも庭へと足を踏み入れる。ボロボロな薄っぺらい靴なので、芝生の感触がよく分かった。

 そのまま、庭師などの使用人に見付からないように屋敷を抜け出した。


「っ、ふふ。やった、やりました」


 まるで報告するように独り言を呟き、ビアンカは並木道を走り抜けた。走り抜けたと言っても、生まれてこの方満足出来る程に体を動かせる環境ではなかったので、すぐに体力が尽きてしまったが。でも、立ち止まって休憩しながら行くと、並木道を抜けた先の城下街へと辿り着いた。


「………素敵」


 緑を抜けた先に待っていた、活気のある街。そこは屋敷からずっと夢見ていた景色で、今から自分はそこに行くのだ。

 とても楽しみ。


 ***


 活気に溢れる城下街へと足を踏み入れたビアンカは、人々の突き刺さる視線に耐えながら歩いていた。

 人々の視線は、無論この服装。耳を澄ませば、すぐに分かるのだ。


「なぁ。あの子どこから来たのか、分かる奴いるか?」

「分かんないねぇ……心配だよ。私たちが予想も出来ないような虐待を受けて来たんだ。絶対にそうだ」

「ちょ、誰かあの子に声掛けてきたら?」


 人々の『虐待を受けてきた』という予想は的中しており、ビアンカは色々と気まずくなった。


(目立たず、出掛けたかったけれど………まぁ、この服装じゃ無理よね)


 よく考えて来れば良かっただろうか。そこまで考えて首を激しく横に振り、己の考えを否定する。酷い虐待を受けて、外の世界を何も知らなかったのだ。今日くらいは、別に良いだろう。先程、縄を持ってビアンカを打ちに行ったばかりなので、使用人は夜まで来ない。だから、思い切り楽しんで良いのだ。


(駄目よ。……私だって、感情のある人なんだから)


 こういう落ち込んだ時、フェリクスの言葉が身に沁みる。

 頑張って誰かに声を掛けてみようとした時、蚊が鳴く声のような細くか弱い唸り声が聞こえた。痛みに耐えるような声に、ビアンカは声がした建物と建物の間の方向に振り向いた。

 そこには、ビアンカよりも酷い服装を着た五歳程の男の子が胃のあたりに手を添えながらぐったりと体を横にしていた。その容姿はビアンカよりも痩せ細っていて、もう亡くなっているのかもしれないと錯覚を起こしてしまう程だった。

 だが、呼吸しているため息を引き取っているという事は無さそうだ。


「っ……、こんにちは」

「…………」


 放っておく事も出来ず勇気を出して声を掛ければ、男の子は屈み込んで見ているビアンカを見るためによろよろと顔を上げた。そしてビアンカを見たその瞬間、ふにゃっと弱々しく微笑んだ。


「………おねぇ、さんも……うらっ、ちゃうの?」

「え? 今、なんて」


 そう問い掛けた時、大きな陰がビアンカの側に覆い被さった。

 後ろを振り向くと、厳つい顔の男が立っていた。

 この時、気付いた。男の子が先程言った言葉は、『お姉さんも売られちゃうの?』なのだと。


「おい。うちの商品に変な事すんじゃあねぇ」

「っ………!」


 感情が(たかぶ)り、体が震える。鬼のような形相をしてビアンカを見下ろす男に妙な苛立ちが湧き、ビアンカはどうせ身長は届かないというのに立ち上がった。少しでも男に向き合うために。男の子は出来る力を全て使って、ビアンカのボロボロな袖を掴む。その気配が切なくて、ビアンカは拳を作りながら男に向き合った。恐怖などない。ビアンカの感情が昂っているのは、怒りからだった。


「……商品ですか」

「あぁ?」

「こんな小さな男の子を、売るのですか?」

「そりゃそうだろ。そのために母親から生ませたんだ」


 ビアンカはそれ以上に何も言えなかった。怒りの中に微かな恐怖が混じってしまったのだ。

 人身売買は許されない事という事はビアンカも知っている。普通に考えてあり得ない事だからだ。それを、この男は堂々と行なっている。それが許せない。


「………許せない」

「あぁ? 俺の商売に口挟むなや」

「こんなの商売じゃない。人身売買は重罪で、貴方は犯罪者です」


 男はとうとう怒りが限界に達したのか、ビアンカを殴ろうと拳を構えた。

 ビアンカは堂々とそれを受け止めようとした。こんなの、慣れ切っているからだ。


「っ、平気」

「駄目だよ。平気な訳がないんだ」


 漆黒のフードを被った男性が、ビアンカの腰に触れ、素早く引き寄せたと思うと、男の拳をたった一本の腕で受け止めた。男性の髪はフードを被っている故に見えないけれど、その男性の瞳と顔立ちは見覚えがあった。


「えっ………ふぇ、ふぇり」

「シー……」


 フードから見えた碧眼と整い過ぎている顔立ちを見て、ビアンカはその男性の名を言おうとするが、男性は人差し指を口の前に持って来て静かにと行動で示す。

 ここは城下街だ。隣国だとしても、お忍びで来ているであろう王子の名前を言ってはいけない。

 だが、彼が来てくれた事にビアンカは心底ホッとした。

 フェリクスは、視線をビアンカから男に移した。


「彼女が言ったように、人身売買は重罪だ。この事は陛下にも隣国の国王陛下にも告げた方が良いようだね」

「なっ………」

「ごめんね。商人だから、王族の方には贔屓(ひいき)してもらってるんだ」


 どうやら、商人という名目で城下街へ来ているらしい。

 まさか己の拳が腕だけで受け止められると思わなかったのか、男はよろっと体勢を崩しそうになったが、踏ん張って持ち堪えていた。


「でっ………えぇと」

「今は、言わない方がよさそうだね。………さてと」


 フェリクスはビアンカの腰から手を離し、男に何かを囁く。男はそれを聞くと、よろよろと血の気が引いたように去っていった。


「わぁ、ふふ。先程の姿が嘘のようだね」

「あの……?」

「大丈夫だよ。ちょっと弱みを偶々握っていただけで、それを言っただけだから」

「いえ、違くて………見逃して良いのですか?」

「あぁ、うん。平気だよ。あっちの方向には隠れて僕を護衛してくれていた騎士たちが居るから。捕まえてくれるだろう」


 聞きたい事がたくさんあるが、この人々の視線が集まっている中で問い詰めてはいけないと判断した。


「ねぇ、ビアンカ嬢。よければこのまま、一緒に城に行かない? このまま屋敷に帰っても………その」

「あっ………えっと、宜しいのですか?」


 囁かれる形で誘われて、ビアンカは緊張と羞恥で尋ねる事しか出来なかった。フェリクスは距離が近過ぎたかとビアンカから少しだけ距離を取り、「うん。もちろんだよ」と頷いた。


「流石に、来客の身なのだから、僕もそろそろ帰らないといけないし……」

「えっ、でん……じゃなくて。何も告げずに来たのですか?」

「ううん、違うよ。もちろん許可は取ってある」


 その事にホッとして、ビアンカは呆然としていた男の子を見て微笑んだ。


「でっ、では、この子も連れて行って良いですか?」

「もちろん。元々、そのつもりだったからね」


 口角が自然と上がる。ビアンカは、勝手に決めてはいけないと子供の方を向き、屈んだ。少し怯えたような眼差しだったが、ビアンカとフェリクスが助けてくれたという事は分かっているらしく、ビアンカが近付く事を拒否してはいなかった。


「えぇと………勝手に決めちゃったのだけれど、その………どことは言えないんだけど、ついて来てくれるかしら」


 男の子は、救われたと表情で語り、こくこくと何度も頷いた。


「ふふ。決まりね」


 その瞳を輝かせている様子が可愛らしくて、ビアンカとフェリクスは顔を見合わせて微笑んだ。

 男の子の目線から見れば、二人は眩しく映っただろう。

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