2話 心配してくれるという事。
結局、何にも出来ないまま一日が過ぎた。あと数時間以内に、第二王子フェリクスが我が家へ訪問するはずだ。
因みに、一時間前に両親は視察のために家を出ている。そのことは屋根裏部屋から確認したが、隣国の第二王子が来るという、一生に一度しかないだろうと思っているイベントを置き去りに視察に行ってしまう両親への呆ればかりで、喜びはあまりなかった。
しかも、第二王子と向き合うならば声は必須だ。だが、ビアンカは長年発声していない。ちゃんと出来るだろうか。
「ぁ………」
少し呟いただけで、喉に違和感が通る。本当は「あ〜」と声を伸ばすつもりだったが、それさえも出来ないようだ。この状態で一人で何とかしろなど、父は無理を言う。
自分勝手な御父様、なんて少しの悪態も付くが、全て心中でしか言えない。
ビアンカの世界は狭い。屋敷という小さな箱庭にずっと居る。
「たす、て……って……すが、たいだけ……っ、のに」
助けてって縋りたいだけなのに。そんなふうに言葉を発することも、今のビアンカには難しいものだった。
***
「失礼のないように。良いですね?」
屋敷内の大広間。外へと続く扉の前に並んでいる使用人たちは、フェリクスが来るのを待っている様子だった。もうすぐ使用人たちはフェリクスが来る前に門前で並び、フェリクスに当主が居ない事情を話す。怒り狂ってしまいそう、なんてビアンカは勝手な想像をしたが、第二王子がそれで良いのかという発想にも思い至った。
「はぁ………頷くぐらいしてください。じゃ、私たちはもう出るんで。………その格好が失礼に値しますけど、性格くらいは磨いておいてくださいね」
今度は思考に耽らず、ちゃんと頷いた。使用人一同は指示に従うばっかりのビアンカを嘲笑しながら、フェリクスがもうすぐ到着するだろうと大きな扉を開けて外へ出て行った。
ビアンカは、前に指示された通り応接室に行き、待機することにする。
応接室は一階だが、ここからだと門前の様子がよく見える。
二頭の馬が御者によってスピードを落とし、丁度門前で馬車を停めた。そんな隣国の王家の紋章が記された馬車から出て来たのは、噂以上に美しい人だった。
(………綺麗)
詳しい情報は分からないが、見た目だけ見れば紳士的な人のようだ。
噂通り金髪碧眼の容姿端麗、微笑みを絶やしていない完璧そうな人だった。彼に第一印象を抱くならば誰もがそう思うだろう。
(無礼にならないように。……無礼になりませんように……)
家庭教師をあの両親が雇ってくれるなんて夢のまた夢だ。それ故に、ビアンカの教養は母を真似たものしかない。しかも、その母が持っている教養のほんの一握り。これでも人を真似るのは得意なことなので、言葉遣いは良い方だと思うのだが、この枯れた声ではそれが活かせるかどうか分からない。
窓から見ていると、第二王子が使用人に何か言っている。使用人は穏やかな笑みを貼り付けながら何かを話していた。
大体、話していることは把握出来た。
普通ならば、来客が来る時は使用人以外に、当主やその夫人、居るならばその子供が迎えるのが礼儀だ。だが、当主とその夫人は視察という名目で娘と使用人に全て託しているし、娘はこのような格好なので、出迎えが出来ないのは当然だった。
貴族にとって地位が一番下な男爵家ならば、仕方がないと許されるのだろうが、我が家は公爵家だ。貴族では最高峰の爵位を持っている者が出迎えないのは、無礼だし隣国への侮辱と受け取られれも良い。
隣国の第二王子にこれはないだろう、とビアンカも思った。せめて娘である自分は出迎えなければと。だが、ビアンカは反論出来ない身だ。したくとも出来ない、というのが正確な答えだろう。
事情を把握した様子を見せた第二王子は、微笑みを絶やさず使用人について行く。その姿が見え、ビアンカの心臓はバクバクと再び嫌に高鳴った。
「だっ、じょぶよ」
一度声を出せば、枯れているというのに独り言が多くなった気がする。
応接室へと入ったフェリクスは、このビアンカの姿を見てどう思うだろう。きっと、驚愕するだろう。ボロボロな娘が公爵令嬢などと、思わないだろう。
「お嬢様。入っても宜しいですか?」
ノックと共にそんな声が聞こえて来た。いつもならば屋根裏部屋に無断で入って来るのに、第二王子が居るからと見栄を張っているらしい。
だが、ここで声を発すると第二王子に何か勘付かれてしまう。せめて、使用人がフェリクスを案内して退室するまでは、勘付かれないようにしなければ。
そう思い黙っていれば、使用人は今度は呆れたように「入りますね」と言って応接室の扉を開けた。
「…………ぁ」
「!」
微笑んでいた彼だったが、ビアンカの姿を見て驚愕した様子を見せた。目を見開いていても美しいとは、聞いていないが。
フェリクスは、まるで正反対なビアンカを見て目を見開いていた。当然だ。先程、扉越しにお嬢様と言われていた人なのだろうかと怪訝に思うのも不思議ではない。
フェリクスを案内した使用人は、にこやかに促す。
「どうぞ第二王子殿下。お座りください」
「ありがとうございます」
ハッとしたフェリクスは、使用人に微笑み、ビアンカの向かいのソファに座った。笑みを向けられた女性の使用人は頬を染め、退室して行った。だが、次は他のメイドが来て、ビアンカとフェリクスの前に紅茶を置き、御辞儀をして退室した。
「お初にお目に掛かります。僕はフェリクス・リーカ・ファラディア。ファラディア王国の第二王子です」
「…………」
「貴女のお名前をお伺いしても?」
御辞儀しかしないビアンカにも微笑を浮かべ、名前を聞いて来た。
その言葉にビアンカは冷や汗をかいていた。
(どうしよう。ただ服装が変な無言な令嬢だと思われてる……⁉︎)
ただ服装が変な無言な令嬢だとは、思われていない。だが、ビアンカは変な誤解をしてしまっていた。
(出来れば喋りたいけれど、あんな声でまともに話せるか分からないわ……)
取り敢えず俯いてしまったが、名を聞かれたからには名乗らなければ。だが、あのような枯れた声でまともに会話出来るかどうかも分からない。文字も書けないビアンカに、どうしろというのか。
「このっ、な声………でも……っ、よ、しい、でっ、すか?」
(…………紅茶を飲みたいわ。でも飲めない。飲むのが無礼なのか分かんないわ)
恥を忍んで、ビアンカは俯きながら声を発した。きっと変な声だと思われているだろう。本当の声は分からないが、枯れている声は誰でも変になる。今は、『このような声でも宜しいですか?』と尋ねたつもりだ。だが、本当に伝わっているだろうか。分からないと怒鳴られるだろうか。
不安に思い、恐る恐る顔を上げる。フェリクスはビアンカが予想していた反応よりも違った反応をした。
「っ、大丈夫かい⁉︎ その声………もうずっと何も口にしてないんじゃないかな? 口にしているとしても、少量だよね?」
何だか敬語が抜けている。だが、心配してくれていると少し呆然としてしまった。
「もっ、もうし、け」
「あぁ! 話さないで!」
「っ⁉︎」
机から身を乗り出して慌てたフェリクスは、先程の笑みを貼り付けていた人とは雰囲気が違った。何だか、隣国の第二王子にこれを思うのは不敬だが、可愛らしいと思ってしまったのだ。
漸く落ち着きを取り戻したフェリクスは、心配そうな表情のまま、口を開いた。
「大丈夫。無理に謝らなくて良いよ。無礼と思っているかもしれないけど、遠慮なく紅茶を飲んでね? 話の途中に出された紅茶を飲むのは、何も不敬程じゃないから」
ずっと経験していなかった優しさに目を潤ませ、ビアンカは御言葉に甘えてと紅茶を飲むことにした。目の前にある紅茶が入ったカップを緊張でカタカタ揺らしながら口に運んでも、フェリクスは不快だと思っていないようだった。
(やっぱり冷めてる………嫌がらせだろうけど、今はこれが丁度良い……)
使用人の嫌がらせだろうが、冷めている方が喉を通った。乾き過ぎた喉に冷たい紅茶がじんと沁みる。少し痛い気もしたが、それでも何かを飲んだという救いが胸を温かくした。
「……楽に、なったような気がします。ありがとうございます」
「良いよ。………でも、まだ何か違和感があるよね。僕の紅茶を飲んで?」
「えっ、でも」
遠慮なく己の紅茶を勧めて来るフェリクスに、それはどうなのかと思考を巡らせる。この場にはフェリクスとビアンカ以外誰も居ないが、今日までフェリクスはビアンカの存在すら知らなかったのだ。存在すら認知していなかった令嬢に紅茶を勧めて良いのだろうか。
そんなビアンカの考えが分かったのか、フェリクスは苦笑しながら言った。
「……実を言うと、飲んで欲しい。これは貴女の一助になるはずだよ?」
「……………承知致しました……」
ビアンカは少し照れ臭くなりながらも勧められた紅茶をゆっくり飲んだ。
「———やっぱり、この紅茶はあったかいですね……」
その瞬間フェリクスの体がピクッと小さく動き、真剣な目付きになった。
「……触れるのは一応やめておいたけど、服装と言い、やっぱり貴女は屋敷の者たちに虐げられているね? 貴族に出される紅茶が冷めているなんて聞いたことがない」
「………申し訳ありません。ですが、仕方なくって」
「何が!」
突然、この穏やかな第二王子から怒声に近いものが発せられ、ビアンカはビクッと肩を跳ね上がらせる。この部屋は防音されているため、フェリクスが帰路についた後に使用人から叱られるという問題はないだろう。彼は我に返り、ハッとした様子を見せた。
「ごめん。………でも、仕方ないということはないよ。あっ、そういえば、貴女の名前を聞いてなかったね。敬語も抜けてしまっていて………本当に、駄目だよね」
「そんなことはありません。………えぇと、私はビアンカ。ミドルネームはなく、ビアンカ・リカーヌと申します」
ミドルネームは両親が子に祝福を与える時に付ける。名前と家名の間に付けるのだが、ビアンカには祝福を表わすそのミドルネームが無かった。
「ミドルネームが無いなんて……本当に酷い。…………泣かないのかい?」
「泣けば、嗚咽が使用人に聞こえてしまうので」
嗚咽が屋根裏部屋の外へ響いてしまうと、母かその場に居た使用人が縄を持って今まで以上に叩かれる気がしてならない。それが怖くて、いつも泣けなかった。一度泣けば、嗚咽は抑えられないだろうから。
「……でも、ビアンカ嬢は人間だ」
「…………フェリクス殿下も、人間です」
「そうだね。……でも、思い返せば僕も、全然泣いてないなぁ」
少し遠い目をして呟く彼の横顔に、ビアンカは胸がギュッと締め付けられるようだった。フェリクスは、完璧な王子様だと噂を聞いて思っていた。それでも、実際に会うと違う。
(見た目で決め付けちゃ、駄目よね)
左胸に両手を添えながら、ビアンカはそう思った。
「………大丈夫ですか?」
「貴女は、まず自分の心配をした方が良いんじゃないかな?」
「私は、この生活に慣れ切っているので……」
「それを言うと僕も同じ言葉を返せてしまうね。……まぁ、もう違う話題にしよう。良いかな?」
「あ、はい」
そこから、ビアンカとフェリクスはお互いの環境や生活について話した。フェリクスは平然と己の生活を語るビアンカを眉尻を下げて心配そうに見ていたが、同じくビアンカもフェリクスが当然と言うように笑顔を貼り付けているのを、寂しそうに見詰めていたのだった。
「あっ……そういえば、陛下が話題に出していた御令嬢って、貴女の事だったのかもしれないな」
「陛下………が? 私を話題に……?」
「うん。名前は言ってくれなかったんだけど、社交界に一度も顔を出した事がないって言ってたからね。社交界に出ていないなら、貴女しか居ないだろう? ビアンカ嬢」
「そっ、それもそうですが………」
まさか、国王が自分を覚えているなんて夢にも思っていなかった。恐悦至極だが、社交界に身を出していないビアンカを何故知っているのだろか。
そんなビアンカの思考を読み取ったのか、彼は微笑んで口を開いた。
「国王陛下だからね。貴族名鑑は全て頭に入っているはずだよ」
「そう、ですか………そうですよね」
国王と王妃の顔すら知らないのに、一目見れば抱き締めてしまうような感じがしたのは、何故だろうか。




