4話 馬車の中で
お忍び用の簡素な馬車に乗り込み、ビアンカと男の子が隣に、その向かい側の席にフェリクスが座った。ビアンカはフェリクスと男の子が座れば良いと性別を理由に思ったのだが、フェリクスが婚約者以外の一人の令嬢と隣に座るのは王子としてのプライドが傷付くと言い、結果として向かい側の席になった。尤も、フェリクスにはまだ婚約者は居ないのだそうだ。
(お城……城下街から見ても凄かったけれど、近くで見たらきっともっと凄いのよね)
屋根裏部屋の窓から見ていても、王城は憧れを抱く程に素敵な作りをしていた。乙女心を擽る建物だが、普通の貴族女性は、そうは思わないのだろうか。
「……王城って、近くで見るともっと迫力があるんでしょうね」
「そうだね。僕も初めて見た時は驚いたよ。自国には使われていない素材がいっぱいあって」
「ふふっ、そうなんですか」
(えぇとつまり、フェリクス殿下のお城の方が大きいと)
こういうプライベートな場所では、必要な嘘以外は決してつかないのだろう。そこも良いなとビアンカは薄ら頬を染めながら微笑んだ。もちろん、良いなと思ったのは人としてだ。
フェリクスとばかり話して男の子を気まずくさせてはいけないので、ビアンカは隣で縮こまっている男の子に声を掛ける。
「ねぇ。貴方のお名前を聞いても良いかしら?」
「ぼ……僕の、名、えは………あ、ませ」
「え? えぇっと」
前のビアンカのように声が掠れているため、言葉が聞き取れない。自分もこうだったのだろうかと思うと、少し複雑だ。
困惑しているビアンカにフェリクスが助け舟を出す。
「孤児には、普通だと名前はつけられないんだ」
「そう、なのですか………」
納得したが、ビアンカは気持ちが分かってしまい同情する。ビアンカという名前があるが、この名前は親がつけたものではないとビアンカは知っていた。では、誰がつけたのか、という疑問は晴らせないが。
「ごっ、ごめ……」
「は、話さない方が良いよ。喉が痛むだろう?」
「…………」
ビアンカを心配してくれた時のように、フェリクスは同じく何も飲んでいないであろう男の子を慌てながらも心配してくれていた。彼は傷付いた人を放って置けない優しい人なのだと、改めて知り、胸が温かくなって口角が上がる。
「私が貴方と同じで喉を痛めていた時も、こうやって心配してくれたのよ。ふふ。優しいお方よね」
「は、はい」
「………でも、僕の身分としては人を心配していたら、いつかやらかしそうだから、ちょっと複雑かな。嬉しいは嬉しいけどね」
ビアンカが微笑みながら言えば、男の子は即答し、それにフェリクスは頬を染めながらも苦笑する。ビアンカはその様子が可愛らしく思えて、もっと笑みを深めた。
ビアンカからの温かい視線に耐え切れなかったのか、フェリクスは咳払いをする。
「………この子の名前を決めないかい? これからたくさん呼ぶ事になるだろうからね」
「あっ、そうですね。えぇと………」
それから二人はひたすら思いついた名前を言い合っていった。
「中々、決まらないね」
「そうですね。………あっ、これはどうでしょう。———エルト」
ビアンカが言った名前に、フェリクスは目を見開いた後に満足げな笑みを浮かべた。こんなに良い名前が出て来るとは思わなかった、と表情の変化で語っている。
「良いね。じゃあ、それにしよう。………エルト。今日から、これが貴方の名前だ」
エルトと名付けられた男の子は、嬉しそうに顔を綻ばせた。
その笑みが微笑ましくて、ビアンカとフェリクスは顔を見合わせて微笑んだ。
「あっ……着いたようだね」
急に停車し、外の景色を確認してからフェリクスが言った。ビアンカはフェリクスと同じように窓から外の景色を見る。そこは、視界に入り切らない程に大きい王城があった。
「ふふ。瞳が輝いているね。じゃあ、僕が先に降りようか」
「はい」
隣国の第二王子なのだから、ボロボロな令嬢よりも優先順位は高い。そう思い、ビアンカは頷いた。だが、フェリクスは馬車から降りた後、次に降りようとしていたビアンカに向かって手を差し伸べる。「………? えぇっと」と不思議そうに目を丸くするビアンカに、フェリクスは苦笑してその行動の意味をざっと教えてくれた。
「エスコートだよ。主に男性から女性にする事だね」
「そう、なのですか………ごめんなさい。私ったら、無知、で」
「仕方ないよ。ずっと………その」
言いにくそうにするフェリクスに、ビアンカは優しい人だと改めて思った。なんて言えば良いのか悩んだまま手を差し伸べる彼のその手に、ビアンカは己の手を重ねた。
「ありがとうございます。無理に言わなくて大丈夫ですよ」
「………ありがとう。……お気を付けて、レディ?」
微笑みビアンカをエスコートしてくれる彼に、少しドキマギしてしまった。
そして、馬車から降りる。
「ありがとうございます」
「ううん。………さぁ、おいで?」
フェリクスは視線をビアンカから自分はどうすれば良いのか戸惑っているエルトに移し、エルトに向かい受け止める姿勢に入った。だが、腕を広げており、歩かずに飛び込んで来てと言っているようだった。
エルトは恐る恐るだが、受け止めてくれるであろうフェリクスを信じて、エルトはえいっと馬車から飛び降りた。
「あっ………危なかった……大丈夫なのですか?」
「大丈夫だよ、ビアンカ嬢。これでも反射神経は良いんだ。……それに、子供はまず警戒して信用する、という事を覚えなければならないからね」
その言葉を聞き、確かに、とビアンカは納得した。
エルトは人を売っている厳つい男の話では孤児で、孤児という事はいつも危ない恐怖しかない環境で育ったという事だ。警戒心は高まっているものの、誰も信用は出来なかっただろう。だが、今はフェリクスを信じて彼に向かって飛び込んだ。危ないが、エルトは一つ成長したのだ。現に、今もフェリクスの腕の中で落ち着いている五歳程の男の子は、彼を信用し切っている様子だ。
「そうですよね………そうなんですよね。………それにしても、よくご存知ですね」
「ご存知、というか……母上の入れ知恵だよ」
「まぁ、ふふ。フェリクス殿下の御母様は、とても知的なお方なのですね」
フェリクスは少し顔が曇った様子で、エルトを抱き抱えた後に口を開いた。
「……そうだね。知識が豊富で、最後まで考えて結果を出す事が好きなお方だ」
そう、返事をした。




