好きなときにするもの
「あなたは人一倍体力もあり力も成人の男性以上。そこは認めましょう」
銀縁の眼鏡をかけたメイド服を着た初老の女性が鋭い目をアメに向ける。
スカートをぎゅっと握り下を向くアメとその隣にいて真面目な表情をするシェールが横に並んでいる。
「いいですか。私たちメイドのお仕事はやればいいというわけではありません。心! 心でお仕事をするのです! アメさん分かりますか?」
「……はい」
「分かっているのならお客様の前でテーブルを蹴るなどの行動はしないはずです!」
「それは……虫がいたから」
「敬語を使いなさい!」
「メ、メイド長。私がちゃんと見ていなかったのが悪いんです。アメだけの責任じゃありません」
「ええそうですとも。シェールさんはアメさんの教育係なのですから当然責任があります」
メイド長のお説教に口を挟んだシェールもすごい剣幕で怒られる。それからしばらくメイド長からくどくどとメイドたるものの心得を説教され、アメたちが解放されたのは一時間後だった。
肩を落としてとぼとぼと歩くアメの頭にシェールが手を置く。
「まったく、よくあんなに言うことがあるものよね。あんなのしょっちゅうだから気にしなくていいって。それよりもさ、あのとき私を助けてくれたんでしょ、ありがと」
「シェール先輩あの男に触られて困ってた。ついでに虫もいたからテーブル蹴ったら壊れてしまった」
「いいよいいよ、あの変態野郎もこれでビビったはずだし。でもたしかにあんなに簡単にテーブルが壊れると思わなかったけど、腐ってたのかな?」
説教されたあととは思えないしてやったり顔のシェールと、少し暴れ足りないといった様子のアメが歩いていると前の方が騒がしくなる。
それが何なのかをいち早く気がついたシェールがアメを壁際に引っ張る。
「もっと後ろに下がって! もっと壁に背中がつくギリギリまで」
小声ながらも必死に下がれと指示を出すシェールに従いアメは下がると、シェールが壁に背を向けたまま前を向く。
「いい? たぶん今から貴族でも結構位の高い人がここを通る。通り過ぎるまでは頭を下げて目を合わせないように!」
「えぇ~、逃げたらダメ?」
「逃げる姿を見られたら処罰されるんだからダメ! ちゃんとやる!」
「は~い」
シェールに怒られてしぶしぶ返事をしたアメは位の高い人とやらを待つ。すぐに人だかりがやってきてアメたちの前にやってくる。頭を下げたまま通り過ぎるのを待つアメの耳に聞き慣れた名前が聞こえてくる。
「ジャンティ王子、この度はお力添えありがとうございます」
「私は大したことはしていない。そもそも貿易に関してアゲエール公以上に詳しいものなどいないはず。これは当然の結果ではないかと」
「なんと嬉しいお言葉! ジャンティ王子にお褒めいただいたとあればこのアゲエール全身全霊で結果を出して見せましょう」
アメからは足しか見えないがジャンティ王子にゴマをする貴族の姿が目に浮かぶ。偉い人に何かいい感じのことを言って気に入られようとする、ここで働きだしてよく見てきた光景だったからこそアメにも想像できた。
ジャンティ王子もそんな世界にいるのかと思い、そのままふとジャンティ王子の顔を思い浮かべてしまう。
「はぁ~やっと行った。ほんとっ、あいつの声聞くだけでムカつくわぁ。アメ、もう行ったから頭上げてもいいよ……ってどうした?」
胸を押さえるアメの顔をシェールが覗き込んでくる。心配そうな顔をするシェールと目が合ったアメは自分の胸を押さえる手を見る。
「ドキドキする」
「ドキドキ? 熱とかあるの?」
シェールがアメのおでこに手を当てるが首をかしげる。
「熱はなさそうだけど、他にのどが痛いとか、体が怠いとかない?」
そのような症状はないアメが首を横に振るとシェールは困った顔をする。心配した顔のシェールを安心させるためにも何か言おうと考えると同時にふとカエルだった頃からこのドキドキはあったことを思い出す。
この体にある記録から心臓がドキドキするときは命の危機が迫ったときと知ったけど、そうじゃない気がしてモヤモヤしていた。このモヤモヤを晴らすチャンスだとアメは意気込む。
「シェール先輩、聞きたいことがある」
「なによ改まって。まあいいけど、何?」
シェールなら答えをくれそうだと期待を持ってアメはカエルだった頃から感じていた胸のドキドキの謎を打ち明ける。
「王子を前にすると胸がドキドキする。これ何?」
「はっ? えっ? ドキドキ? 王子を前にすると? えっと……それって」
驚き目を泳がせたシェールが答えを知っていると確信したアメは、シェールに一歩近づき期待の目を向ける。
「ちっ、近いって。あぁもう、あれよあれ!」
「あれって何?」
「あぁ~好きってこと! 愛よ! 恋よ!」
「好き? 愛? 恋?」
言葉の意味が分からないわけではないけど、言葉の意味する感覚が分からない。
「好きってことがこう……恋になって愛になる? とにかく好きってこと! あぁ~もう、分かれ!」
「アメはジャガイモふかしたの好き。それは愛?」
「いや、ふかしジャガイモとジャンティ王子を同列にするのはどうなのよ」
すんと冷静になって呆れた顔のシェールがアメを見てくるが、それよりもふかしジャガイモとジャンティ王子の共通点を考えることに忙しくて頭をフル回転させる。
「シェール先輩、アメはふかしジャガイモを愛しているから食べる。じゃあジャンティ王子も食べればいい?」
「あ、あんた……どっちの意味でも怖いこと言うわね」
どっちの意味のどっちも分からないことを聞く前にシェールがアメの肩に手を置いて首を横に振る。
「いい、愛してるってことは相手のことが好きすぎるってこと……たぶん。 とりあえず食べるのはダメだから。分かった?」
背伸びして両手を大きく広げたりして愛を説明してくれるが、やっぱり分からないアメは何をしていいのかを尋ねる。
「じゃあ何すればいい?」
「いや、何って……なんだろ?」
頭をかきむしって悶絶したシェールだが、すぐにに人さし指を立て何か思いついた顔でアメを見てくる。
「あれよあれっ! 愛する人にはキスをする」
「キス?」
「え、あぁ~あれこうなんか、唇でほっぺにチュ……ポンって触れるって言うか……うん、それ」
顔を赤くして手をバタバタさせ説明してくれるが、まったく想像できなくて首をひねる。
「分からない。見せて」
「はっ⁉ なっ、なにを言ってんのこの子は! 見せられるわけないでしょそんなの! そ、そもそも見せる相手もいないし」
目を泳がせながらしどろもどろになるシェールの両手をアメが握ると、体をビクッと震わせたシェールが冷や汗を垂らしながらアメを見てくる。
「アメはシェール先輩が好き。だからキスしたい」
「は? え? 何を⁉ 好きってそういう、あ、いやあってるかもしれないけど、ちょっと違うって言うか?」
キスが何なのか分からないアメはシェールに言われたことを思い出しながら行動に移す。
「唇でほっぺにポンであってる?」
「は? ちょっと何する気? なんか違うくない!」
体を逸らして背中に力を溜めるとシェールのほっぺに狙いを定める。逃げようとするシェールが逃げないようにガッチリと掴むと一気に踏み込む。
「ポン!」
「ぎゃぁぁっ⁉」
アメ渾身のキスでシェールが叫び声をあげて吹き飛んで床を転がっていく。
「ちょっとおぉっ! 何すんのよ。めちゃくちゃ痛いじゃないの!」
涙目のシェールが頬を押さえてアメに文句を言う。
「ダメだった?」
「ダメにきまってるでしょ!」
即答されて困るアメは自分の唇を押さえて考える。
「今のキスじゃないでしょ。どうみても頭突きにしかみえない」
「分かんない。じゃあシェール先輩やって」
「はっ? な、ななななななんで私が⁉」
「シェール先輩はアメのこと好きじゃない?」
「あんた何を言ってんの……いやまあ、嫌いではないけど……ってなによ?」
アメはシェールを掴むと自分の頬を向ける。
「や、やらないから」
「だめ?」
「あたりまえ……ぐぅ……ぬぐぐぐぅ。か、軽くよ軽く」
頬を赤くしたシェールがアメに顔を近づけるが止まってしまう。揺れるシェールの吐く息がアメの頬をくすぐってくる。やがて唇が頬に優しく触れてすぐ離れて行く。
一瞬の出来事だったがなんだかシェールが近くにいてくれて嬉しい気持ちが湧き上がってくる。
顔を真っ赤にして襟元を摘まんでパタパタさせるシェールに引っ付くとアメは突然のことにおどろくシェールの頬に唇でポンと触れる。
「できた?」
耳まで真っ赤にして自分の頬を押さえるシェールがアメのことを見てくる。先ほどとは違いシェールの頬の感触が残るアメの唇に触れる。
なんでかは分からないけど、嬉しい気持ちになってくる。そうと決まればやることは一つ。
「キスのやり方分かった。ちょっと行ってくる」
「い、行ってくる? どこによ?」
「王子のとこ!」
早く行きたい気持ちを押さえられないアメは手をグッと握って宣言するとシェールが目を真ん丸にして驚く。
「じゃちょっと行ってくる」
床を蹴るとジャンティ王子が歩いて行った方へと全速力で駆ける。
「はぁあああっ⁉ アメ、待って! やめ! とまれぇええええ‼」
なんてシェールの声が後ろでしているとは知らずにアメはるんるんで廊下を走る。




