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第六話 星命という証

 旅路も六日目を迎えていた。


 街道はこれまでよりも広く整備され、往来する馬車の数も目に見えて増えている。


 朝靄の向こうには、高い城壁がぼんやりと姿を現していた。


「明日の昼には王都へ到着します」


 年嵩の神官が、窓の外へ目を向けたまま告げる。


 アスターは静かに頷いた。


 旅が始まってから六日。


 橋で足止めされた商人たち。


 境界の町で出会った鍛冶屋。


 短い旅だったはずなのに、村で暮らしていた十五年間よりも多くの人と出会った気がしていた。


 馬車は街道沿いの休憩所へ入る。


 石造りの井戸と、旅人が腰を下ろせる長椅子が並ぶだけの簡素な場所だった。


「少し休憩にしましょう」


 神官たちが馬へ水を与える間、アスターも井戸へ歩み寄る。


 桶を引き上げ、水で手を洗う。


 ひんやりとした感触が指先を包んだ。


「おい、お前」


 背後から声がした。


 振り返ると、同年代の少年が立っていた。


 紺色の旅装束に、腰には細身の剣。


 胸元には銀色の小さな徽章が留められている。


 どこか育ちの良さを感じさせる立ち居振る舞いだった。


「君に聞きたいことがある」


 少年は真っ直ぐアスターを見つめる。


「その教会の馬車に乗っているということは、王都へ行くのか」


「うん」


「教会学校か?」


「違うよ」


「では、騎士学校?」


「それも違う」


 少年は眉をひそめた。


「……では何のために?」


 アスターは少し考えた。


 教会から「調査」と言われたことを、そのまま話すべきか迷う。


 結局、短く答えた。


「呼ばれたから」


「それだけか?」


「うん」


 少年は納得できない様子で腕を組む。


「私はレオンという」


 名乗ると同時に、胸の徽章へ軽く触れた。


剣星(けんせい)の適性を認められ、王都の士官学院へ入学する」


 誇らしげな声だった。


「君の星命(せいめい)は?」


 その問いに、空気が静かに止まる。


 アスターはレオンの目を見返した。


 隠すつもりはなかった。


「ない」


「……何?」


「僕には星命がない」


 レオンは一瞬、冗談だと思ったように笑いかける。


 しかし、アスターの表情が変わらないことに気付くと、その笑みは消えた。


「そんなことが……あるのか」


「僕も、少し前までは知らなかった」


 レオンは何か言おうとして、言葉を飲み込む。


 やがて、小さく息を吐いた。


「失礼なことを聞いた」


「気にしてないよ」


 短いやり取りだった。


 だが、レオンはなおもアスターを見つめていた。


 憐れみではない。


 軽蔑でもない。


 理解できないものを前にした、人間らしい戸惑いだった。


 その時、不意に鋭い声が休憩所へ響く。


「どけ!」


 街道の向こうから、一頭の馬が勢いよく駆け込んできた。


 荷を積んだ馬車が車輪を取られ、御者が手綱を引き切れていない。


 馬は驚き、進路を大きく乱していた。


 旅人たちが慌てて道を開ける。


 悲鳴が上がる。


 しかし、一人だけ。


 井戸のそばで幼い少女が転び、その場から動けずにいた。


 馬車は一直線に少女へ向かっている。


 周囲は騒然となる中、アスターの視線だけが静かに動いた。


 暴れる馬。


 傾いた荷台。


 地面へ転がる水桶。


 井戸へ結ばれた太い縄。


 そして、風向き。


 ほんの一瞬で景色を見渡したアスターは、小さく息を吸った。


「レオン!」


 初めて、その名を強く呼んだ。


 「レオン!」


 アスターの声に、レオンは反射的に振り向いた。


「左だ!」


 その一言だけだった。


 理由を聞く暇はない。


 レオンは地面を蹴った。


 少女へ向かって一直線に駆け出す。


 一方、アスターは井戸の脇へ走る。


 太い縄をつかみ、結び目を力いっぱい解いた。


 乾いた音を立て、木桶が石畳へ転がる。


 周囲の旅人は何が起きているのか理解できず、ただ立ち尽くしていた。


 馬はなおも暴れ、馬車を引いたまま少女へ迫る。


「今!」


 アスターが縄を放り投げる。


 縄は荷台の前輪へ絡みつき、そのまま地面へ引きずられた。


 次の瞬間。


 前輪が縄を巻き込み、大きく軋む。


 わずかに速度が落ちる。


 その一瞬で十分だった。


 レオンが少女を抱きかかえ、街道の外へ飛び込む。


 馬車は二人の目の前を走り抜け、その先でようやく停止した。


 辺りが静まり返る。


 少女は泣きながらレオンへしがみついていた。


「大丈夫か」


 レオンは優しく声を掛ける。


 少女は何度も頷いた。


 御者も青ざめた顔で駆け寄ってくる。


「申し訳ない……本当に……」


 周囲から安堵の声が漏れ始めた。


「助かった……」


「危なかったな」


 誰かがレオンへ拍手を送る。


 やがて、その拍手は自然と広がっていった。


 レオンは少し照れくさそうに笑う。


「僕だけじゃない」


 そう言って振り返る。


 アスターは井戸のそばで、解けた縄を静かに巻き直していた。


「彼がいなければ、間に合わなかった」


 人々の視線が集まる。


 アスターは顔を上げると、小さく首を振った。


「助けたのはレオンだよ」


「違う」


 レオンははっきりと言った。


「君は最初から、僕を走らせるつもりだった」


 アスターは少し考えたあと、素直に答える。


「僕より速かったから」


 それだけだった。


 レオンは苦笑する。


「普通は、自分で助けようとする」


「それじゃ間に合わないと思った」


 アスターは暴れた馬へ目を向ける。


「僕が走るより、君が走った方が速い。」


「縄なら、僕でも投げられる。」


「だから役割を分けただけ。」


 レオンは言葉を失う。


 今まで、星命を持つ者こそ優れていると信じてきた。


 だが目の前の少年は違う。


 自分にない視点で状況を見ていた。


 年嵩の神官が静かに歩み寄る。


「見事な判断でした。」


 アスターは首を横に振る。


「運が良かっただけです。」


 神官は穏やかに微笑んだ。


「運だけで、人はあれほど冷静には動けません。」


 その言葉に、アスターは返事をしなかった。


 やがて休憩を終え、一行は再び馬車へ乗り込む。


 夕暮れが近づき、街道は黄金色に染まり始めていた。


 レオンは向かいの席へ腰を下ろす。


 しばらく窓の外を眺めていたが、不意に口を開いた。


「アスター。」


「何?」


「君は、自分に星命がなくて悔しくないのか。」


 アスターは少しだけ考える。


 村を追われた日のこと。


 父の短剣。


 リナのお守り。


 旅で出会った人たち。


 一つひとつを思い返しながら、小さく笑った。


「悔しかったよ。」


「でも。」


 窓の外へ目を向ける。


 沈み始めた夕日が、街道を赤く照らしていた。


「ないものを数えても、増えないから。」


「だったら、あるものを使うしかない。」


 レオンはその横顔を見つめる。


 その言葉は、自分がこれまで教えられてきた価値観とはまったく違っていた。


 馬車は静かに進む。


 その先には、王都の城壁が夕焼けの中に黒い影となって浮かび始めていた。


 明日、二人は新しい世界へ足を踏み入れる。

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