第二十四話 街の声
朝の市場は、人で賑わっていた。
それでも、活気があるとは言えなかった。
野菜を並べる老人は、何度も街道の方へ目を向ける。
肉屋の棚には、干し肉が二本。
昼前には売り切れる量だった。
ガイウスは腕を組んだ。
「これでも昨日よりは多い。」
アスターは答えず、人の流れを目で追った。
買い物を終えた者は足早に帰る。
立ち話をする者はいない。
商人たちは互いの荷を気にしながら歩いている。
「街が警戒していますね。」
「襲われるのは街道だ。」
「ええ。」
アスターは小さく頷いた。
「ですが、恐れているのは街の人たちです。」
ガイウスは何も言わなかった。
その言葉を否定できなかったからだ。
二人は市場を抜け、鍛冶屋へ向かう。
炉の火は燃えている。
だが、打たれているのは剣ではなく、荷車の車輪だった。
職人が汗を拭う。
「今月で三十台目だ。」
ぼやくように笑った。
「盗賊より、この仕事が先に俺を潰す。」
ガイウスが肩をすくめる。
「悪いな。」
「謝る相手が違う。」
職人は槌を置き、割れた車輪を指差した。
「道が荒れてるんじゃない。」
「わざと壊されてる。」
アスターの視線が止まる。
「見分けられるんですか。」
「ああ。」
職人は車輪の縁をなぞる。
「石にぶつけた傷じゃない。」
「楔を打ち込まれた跡だ。」
木目に沿って細い亀裂が走っている。
力任せではなく、壊れやすい場所を狙った傷だった。
アスターは静かに目を細めた。
「壊すことに慣れている……。」
職人は苦笑する。
「直す俺も慣れちまったがな。」
店を出ると、風が街路を吹き抜けた。
鐘の音が遠くで鳴る。
ガイウスが歩きながら尋ねた。
「何が見えた。」
アスターは少し考え、ゆっくりと答える。
「敵は荷物を狙っていません。」
「人も必要以上には傷つけていない。」
「では何を?」
アスターは市場を振り返る。
荷車を待つ商人。
値札を書き直す店主。
品切れを知らせる札。
「信用です。」
「……信用?」
「街道が危険だと思わせれば、人は運ばなくなります。」
「運ばなければ、市場は痩せる。」
「市場が痩せれば、街も痩せます。」
ガイウスは足を止めた。
敵は荷を奪っているのではない。
街の血の巡りを止めている。
そう考えると、半年続いた襲撃が一本の線でつながった。
そのとき、詰所から若い兵士が駆けてきた。
「隊長!」
息を切らしながら敬礼する。
「商業組合の代表がお見えです!」
ガイウスはアスターと顔を見合わせた。
「話を聞こう。」
二人は足早に詰所へ向かった。
街の声は、まだ終わっていなかった。
守備隊の詰所には、商業組合の代表をはじめ、数人の商人が集まっていた。
机の上には帳簿が積まれている。
紙の端は擦り切れ、何度も開かれた跡があった。
「これが、この半年の取引記録です。」
代表の男が帳簿を開く。
「運べなかった荷。」
「延期になった契約。」
「廃業した商人。」
静かな声だった。
だが、一枚めくるたびに街の傷跡が現れる。
ガイウスは帳簿を見つめたまま拳を握る。
「こんなに……。」
「守備隊を責めるつもりはありません。」
代表は首を振る。
「皆さんも命を懸けてくださっています。」
「ですが、人は待ってくれません。」
「品が届かなければ、別の街から買います。」
「一度失った信用は、簡単には戻らない。」
部屋に沈黙が落ちる。
アスターは帳簿を閉じた。
「一つ、お聞きしたいことがあります。」
代表が顔を上げる。
「襲われた商隊で、一番困っているのは誰ですか。」
代表は少し驚いた表情を見せた。
「……運送組合です。」
「荷を失った商人ではありません。」
「運べない街という評判が広まってしまった。」
「依頼そのものが減っています。」
アスターは静かに頷く。
敵は物資ではなく、信用を奪っている。
その仮説が、街の声によって裏付けられた。
ガイウスが地図を広げる。
「なら、どう動く。」
部屋中の視線がアスターへ集まる。
アスターはしばらく地図を見つめていた。
街道。
橋。
森。
村。
赤い印。
青い印。
やがて一本の道を指差す。
「ここです。」
「北街道ではない?」
兵士が首を傾げる。
「敵も私たちが北街道を警戒していることを知っています。」
「だから、こちらが動けば避けます。」
「では?」
「次に狙われるとしたら、人が安心し始めた道です。」
代表が息をのむ。
「東街道……。」
アスターは頷いた。
「確証はありません。」
「ですが、待っていても街は痩せ続けます。」
「一度だけ、こちらから賭けに出ます。」
ガイウスは目を閉じる。
半年間、自分は確実な答えを探し続けてきた。
だが、確実さを求めるだけでは何も変わらなかった。
ゆっくりと目を開く。
「……責任は私が取る。」
部屋の空気が変わる。
兵士たちも商人たちも、黙って頷いた。
それは勝算への賛同ではない。
立ち止まらないという覚悟への賛同だった。
詰所を出ると、夕日が城壁を赤く照らしていた。
アスターは東の空へ目を向ける。
風は穏やかだった。
だからこそ、不自然だった。
「明日、動きます。」
その一言だけを残し、アスターは歩き出す。
街の人々が失ったものを取り戻すための最初の一歩が、静かに踏み出された。




