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第十五話 先手

 調査局の執務室。


 机いっぱいに広げられた王都の地図には、赤い印と青い印が幾重にも書き込まれていた。


 事件現場。


 積み替え地点。


 荷の搬入経路。


 それらを結ぶ線は、王都を網の目のように覆っている。


 アルベリウスは静かに口を開いた。


「昨日の張り込みで分かったことは二つ。」


「敵はこちらの存在を知っている。」


「そして、こちらの動きを利用している。」


 部屋は静まり返る。


 誰も異論はなかった。


 エレナが一枚の報告書を机に置く。


「昨夜、新たな被害はありませんでした。」


「各地区の見回り隊からも異常なしとの報告です。」


「静かすぎるな。」


 ベテラン調査官が腕を組む。


「警戒して動きを止めたのか。」


「それとも……。」


 言葉は続かなかった。


 アルベリウスは視線をアスターへ向ける。


「君はどう考える。」


 アスターは地図を見つめたまま答えた。


「敵は止まっていません。」


「根拠は。」


「止まる理由がないからです。」


 部屋の視線が集まる。


「私たちが見つけたのは積み替え場所の候補だけです。」


「荷の行き先も、目的も分かっていません。」


「敵から見れば、計画を変える必要はないと思います。」


 ベテラン調査官が口を開く。


「だが、昨夜は何も起きなかった。」


「本当にそうでしょうか。」


 アスターは静かに問い返した。


「事件が起きなかったのではなく、私たちが見つけられなかっただけかもしれません。」


 その言葉に、部屋の空気が変わる。


 アルベリウスは頷いた。


「続けなさい。」


 アスターは地図の一点を指差した。


「私たちは事件が起きた場所ばかり見ています。」


「ですが、敵は荷を動かしています。」


「なら、事件ではなく『荷が動かなければ困る場所』を調べるべきです。」


 エレナが帳簿をめくる。


「生活物資を扱う市場……。」


「病院。」


 ベテラン調査官が続ける。


「軍の補給倉庫もある。」


 アスターは頷いた。


「もし私が相手なら、荷が必ず通る場所を押さえます。」


「そこを見れば、次に動く場所を予測できます。」


 しばらくの沈黙のあと、アルベリウスは地図の前へ歩み出た。


「受け身では後手に回る。」


 一本の炭筆を取り、王都中央の市場へ印を付ける。


 続いて、軍補給倉庫。


 中央診療院。


 商人組合。


「ここが止まれば、王都は混乱する。」


 調査官たちは地図を見つめた。


 これまで事件を追っていた視線が、初めて未来へ向けられる。


 アルベリウスは全員を見渡した。


「本日より調査方針を変更する。」


「事件現場ではない。」


「次に狙われる場所を守る。」


 その時、執務室の扉が勢いよく開いた。


 一人の伝令が息を切らして駆け込んでくる。


「局長!」


「中央市場から緊急連絡です!」


 部屋の空気が一変する。


 アルベリウスは短く命じた。


「内容を。」


 伝令は荒い息を整えながら報告した。


「市場へ向かう荷馬車が、予定時刻を過ぎても一台も到着していません。」


 アスターは静かに地図へ視線を落とした。


 昨日立てた仮説。


 そして、今朝変更した方針。


 その答えが、王都の中心で動き始めていた。


 中央市場。


 普段なら朝早くから威勢のいい声が響く市場は、どこか落ち着きを失っていた。


「まだ来ないのか。」


「野菜も肉も足りないぞ。」


 商人たちは何度も街道の先へ視線を向ける。


 調査局の一行は市場へ到着すると、すぐに状況の確認を始めた。


 アルベリウスは市場長へ尋ねる。


「遅れているのは何台だ。」


「四台です。」


「いずれも西街道を通る予定でした。」


 エレナは帳簿を確認する。


「四台とも違う運送業者です。」


「ですが、積み荷はすべて生活物資ですね。」


 パン用の小麦。


 乾燥肉。


 薬草。


 保存水。


 どれも王都の暮らしに欠かせない品だった。


「運送業者は違う……。」


 アスターは小さく呟く。


「なら、狙われているのは業者じゃない。」


 アルベリウスが頷く。


「荷そのものか。」


「いえ。」


 アスターは首を横に振った。


「届ける時間です。」


 その言葉に、調査官たちが顔を上げる。


「時間?」


「はい。」


 アスターは市場へ並ぶ空の荷台を見渡した。


「荷は届かなくても、昼までには店が開きます。」


「人は品物がないことを知り、不安になります。」


「もし同じことが王都中で起きたら……。」


 ベテラン調査官が静かに息をのんだ。


「混乱が広がる。」


「はい。」


「目的は荷ではなく、人の動きを乱すことかもしれません。」


 その時、一人の見張りが駆け込んできた。


「局長!」


「西門です!」


「荷馬車を発見しました!」


 調査局は一斉に西門へ向かう。


 門の外には四台の荷馬車が並んでいた。


 御者たちは疲れ切った表情で事情を説明する。


「街道で橋の補修が始まっていて……。」


「迂回を指示されました。」


「誰にだ。」


 アルベリウスが尋ねる。


「工事の監督だと言っていました。」


「ですが、迂回路へ行くと誰もいなくて……。」


 御者は首を振る。


「遠回りして戻ってきたら、この時間です。」


 エレナが周囲を見回す。


「橋の補修なんて予定、ありましたか。」


「ありません。」


 調査官が即座に答えた。


 アスターは静かに考え込む。


「橋は壊れていましたか。」


「いいえ。」


「いつも通りでした。」


 アスターはアルベリウスを見た。


「偽の工事です。」


「橋を止めたかったんじゃない。」


「荷馬車を止めたかった。」


 アルベリウスは短く頷いた。


「誰かが街道を支配した。」


「しかも武力ではなく、言葉だけで。」


 市場へ戻る途中、荷馬車は再び動き始める。


 荷は無事だった。


 市場も、やがていつもの活気を取り戻していく。


 しかし、アスターの表情は晴れなかった。


「局長。」


「何だ。」


「今日の目的は荷を盗むことじゃありません。」


「では。」


「調査局がどこまで動くか。」


「それを確かめたかったんだと思います。」


 アルベリウスは足を止めた。


 しばらく黙って街道を見つめる。


 やがて、静かに口を開いた。


「敵は王都を試し。」


「そして、我々も試している。」


 アスターは頷いた。


 事件は防げた。


 だが、それは勝利ではない。


 敵は姿を見せることなく、王都の物流を乱し、調査局の対応を見極めていた。


 見えない相手との戦いは、まだ始まったばかりだった。

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