第十二話 交差する痕跡
翌朝。
王都の空は雲一つない青空だった。
しかし、調査局の執務室には重い空気が流れている。
机の上には、昨夜整理された報告書と王都の地図。
赤い印は増え続けていた。
アルベリウスは全員を見回す。
「昨日までの情報では足りない。」
「今日からは確認に入る。」
調査官たちが静かに頷く。
「班を分ける。」
「西区、南区、港湾地区。」
「三方面を同時に調べる。」
エレナが羊皮紙を配り始めた。
「調査項目は四つです。」
「現場。」
「管理人への聞き取り。」
「搬入記録。」
「周辺住民の証言。」
若い調査官が苦笑する。
「ずいぶん地味だな。」
アルベリウスは視線だけを向けた。
「地味な仕事を怠る者に、真実は見えない。」
部屋が静まり返る。
「アスター。」
「はい。」
「君は私と来なさい。」
調査官たちが持ち場へ向かう中、アスターはアルベリウスの後に続いた。
向かった先は、西区でも港でもなかった。
王都中央にある商人組合。
二階建ての石造りの建物には、朝から多くの商人が出入りしている。
受付の男がアルベリウスを見ると、すぐに頭を下げた。
「お待ちしておりました。」
奥の部屋へ案内される。
室内には、大きな机と帳簿が積み上げられていた。
「こちらが荷の出入りを記録した帳簿です。」
男が数冊の分厚い帳簿を机へ置く。
アスターは思わず目を見開いた。
「全部ですか。」
「今月分だけですが。」
男は苦笑した。
「毎日これくらいあります。」
アルベリウスは一冊を開く。
「アスター。」
「はい。」
「事件だけを見るな。」
帳簿を指で軽く叩く。
「事件が起きていない日も見なさい。」
アスターはその意味を考えながら頁をめくる。
荷車。
積荷。
到着時刻。
出発時刻。
同じような数字が並んでいる。
最初は何も分からない。
しかし、何頁も読み進めたところで手が止まった。
「……局長。」
「見つけたか。」
「この倉庫です。」
帳簿の一行を指差す。
「事件が起きる前日だけ、搬入量が急に増えています。」
アルベリウスは帳簿を見る。
隣の倉庫。
さらに別の日の乾物店。
どちらも同じだった。
「偶然でしょうか。」
アスターが尋ねる。
アルベリウスは首を横に振る。
「偶然かどうかは、まだ判断しない。」
「まずは事実を増やす。」
その時、扉が勢いよく開いた。
息を切らした調査官が飛び込んでくる。
「局長!」
「港湾地区の班から伝令です!」
アルベリウスは立ち上がる。
「報告を。」
「搬入記録と実際の荷の数が……。」
調査官は一度息を整えた。
「一致しません。」
部屋の空気が張り詰める。
アスターは静かに帳簿へ視線を落とした。
事件を追っていたはずだった。
だが、追うべきものは荷物ではない。
記録そのものが、誰かの手で書き換えられているのかもしれない。
その可能性が、初めて現実味を帯び始めていた。
商人組合を出たアルベリウスとアスターは、その足で港湾地区へ向かった。
昼を過ぎた港は、多くの荷車と人で賑わっている。
船から降ろされた荷は次々と倉庫へ運び込まれ、商人たちの威勢のいい声が飛び交っていた。
事件の気配など、どこにもない。
だが、その活気の中にこそ違和感は紛れていた。
「局長。」
港湾地区を担当していた調査官が駆け寄る。
「例の帳簿です。」
一冊の帳簿が差し出される。
アスターは頁をめくった。
搬入された荷の数。
運搬した商人の名。
倉庫番号。
一見すると、何の問題もない。
だが、現場で積み荷を数えていた調査官が口を開く。
「帳簿では百二十箱。」
「実際は百十七箱でした。」
「数え間違いではないのか。」
別の調査官が尋ねる。
「三度確認しました。」
「倉庫の管理人も百十七箱で受け取ったと言っています。」
その場に沈黙が落ちた。
アスターは帳簿を見つめたまま問いかける。
「この帳簿は、誰が書くんですか。」
「荷を受け取る担当者だ。」
「書いた後に修正できますか。」
調査官は少し考えた。
「書き直すことはできるが、修正すれば跡が残る。」
アスターは帳簿を光にかざした。
紙に不自然な傷や削った跡はない。
「後から書き換えたわけではない……。」
その言葉に、エレナが静かに続ける。
「最初から違う数を書いた可能性があります。」
アルベリウスは腕を組む。
「つまり、現場ではなく記録の段階で虚偽が混じっている。」
「はい。」
アスターは頷いた。
「でも、それだけなら盗みとは結び付きません。」
「荷を隠したいだけなら、帳簿を書き換える必要はない。」
アルベリウスはアスターを見る。
「では、何のためだ。」
問いかけに、アスターはすぐには答えられなかった。
帳簿。
倉庫。
乾物店。
酒蔵。
荷の流れ。
頭の中で点を結び直す。
しかし、一本の線にはならない。
「……まだ足りません。」
アスターは静かに首を振った。
「何が足りない。」
「共通点です。」
「荷の種類も違う。」
「場所も完全には一致しない。」
「記録だけでは目的が見えません。」
アルベリウスは小さく頷く。
「分からないことを分からないと言えるのは、調査官として大切な資質だ。」
その時だった。
港の見張り台から鐘の音が響いた。
港へ一隻の大型商船が入港してくる。
商人たちは一斉に動き出し、荷役の準備が始まる。
アスターはその光景を見つめていた。
荷が運ばれる。
帳簿へ記される。
倉庫へ運び込まれる。
また別の店へ届けられる。
王都は、人ではなく”流れ”によって動いている。
その流れのどこかを操ることができれば、一つの事件では終わらない。
街そのものを揺るがすことさえできる。
アスターは無意識に王都の方角へ視線を向けた。
まだ見えない。
だが、この事件は倉庫でも港でも終わらない。
誰かが、王都全体の流れに手を伸ばしている。
その確信だけが、少しずつ形になり始めていた。




