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第九話 調査局の朝

 翌朝。


 鐘の音が、まだ静かな王都に響き渡る。


 教会の中庭には朝露が残り、掃除をする修道士たちの箒が石畳を擦る音だけが聞こえていた。


 調査局の扉を叩く。


「入りなさい。」


 昨日と同じ、落ち着いた声だった。


 部屋へ入ると、アルベリウスはすでに机へ向かっていた。


 窓は開け放たれ、朝の風が書類の端を揺らしている。


 机の上には三つの羊皮紙。


 封がされたまま積まれていた。


「座りなさい。」


 椅子へ腰を下ろす。


 アルベリウスはすぐには話し始めなかった。


 一枚目の封を切り、目を通す。


 二枚目を読む。


 三枚目は開かず、そのまま机へ戻した。


「不思議そうな顔をしているな。」


「三枚目は読まないんですか。」


 アルベリウスは小さく笑う。


「読む必要がないからだ。」


 アスターは首をかしげる。


 机の上へ置かれた羊皮紙を見る。


 封蝋の色は青。


 昨日見たものと同じ教会の印だ。


「……届いた場所ですか。」


 アルベリウスは目を細めた。


「なぜそう思った。」


「一枚目と二枚目は違う封蝋でした。」


「でも三枚目だけ同じです。」


「昨日、局長が確認した案件なら、急ぎではないと思いました。」


 アルベリウスは答えず、封筒を指先で軽く叩く。


「半分正解だ。」


 封を切り、中から羊皮紙を取り出す。


「内容は昨日の続報だ。」


 紙を差し出す。


 アスターは目を通した。


南門で紛失した財布、巡礼者の荷袋の底から発見。


荷袋の内布が破れ、隙間へ落ち込んでいた。


 紙から顔を上げる。


「盗難ではなかった。」


「そうだ。」


 アルベリウスは頷く。


「思い込みは、人の目を曇らせる。」


 部屋に短い沈黙が流れる。


 そのとき、廊下を慌ただしく走る足音が聞こえた。


 扉が勢いよく開く。


「局長!」


 息を切らした若い調査官だった。


 エレナが後ろから追い掛けてくる。


「失礼します。」


 若い調査官は一礼し、すぐに報告を始めた。


「西区で倉庫荒らしです!」


「被害は食料だけ。」


「鍵は壊されていません。」


 アルベリウスは立ち上がらない。


「続けなさい。」


「昨夜の見回りでは異常なし。」


「朝になって管理人が気付きました。」


 若い調査官は地図を机へ広げる。


 赤い印が一つ。


 川沿いの倉庫街だった。


 アルベリウスは地図を見る。


 そして、何も言わずアスターへ視線を向けた。


「どう見る。」


 突然の問いだった。


 まだ現場も見ていない。


 話を聞いただけ。


 それでも答えを待っている。


 アスターは地図を引き寄せた。


 指先が赤い印の上で止まる。


 次に、窓の外へ目を向ける。


 王都を流れる運河。


 朝日を受けて光る水面。


 そして、地図へ視線を戻した。


「……一つだけ。」


 部屋の全員が息を潜める。


「確認したいことがあります。」


 アルベリウスの口元が、わずかに緩んだ。


 「確認したいことがあります。」


 部屋が静まり返る。


 若い調査官が口を開こうとしたが、アルベリウスは軽く手を上げ、それを制した。


「聞こう。」


 アスターは地図へ目を落とした。


「管理人は、いつ倉庫を閉めましたか。」


 若い調査官は手元の報告書をめくる。


「昨日の日没前です。」


「最後に被害を確認したのは。」


「閉める直前だ。」


「見回りは。」


「夜半に一度。異常なし。」


 アスターは小さく頷いた。


「では、まだ分かりません。」


 若い調査官が眉をひそめる。


「食料だけがなくなったんだぞ。」


「盗難だろう。」


 アスターは首を横に振った。


「そうかもしれません。」


「でも、それを決めるには早いです。」


 アルベリウスは椅子から立ち上がる。


「現場へ行こう。」


 その一言で部屋が動き始めた。


 エレナは必要な書類を革鞄へ収める。


 若い調査官は地図を丸め、腰に差す。


 アルベリウスは帽子を手に取ると、扉へ向かった。


「調査とは、机の上で終わるものではない。」


 振り返らずに言う。


「事実は現場に残る。」


 王都の西区。


 倉庫街は運河に沿って建ち並び、朝から荷車が忙しく行き交っていた。


 麻袋を担ぐ労働者。


 船から荷を降ろす船員。


 掛け声と木箱のぶつかる音が絶えない。


 その一角だけ、人だかりができていた。


「調査局だ。道を空けてくれ。」


 若い調査官の声に、人々が左右へ下がる。


 倉庫の前には、青ざめた表情の管理人が立っていた。


「朝、扉を開けたら……。」


 震える声で中を指す。


 アスターは倉庫へ足を踏み入れた。


 乾いた木の匂い。


 薄暗い室内。


 棚には食料が並んでいる。


 だが、一角だけぽっかりと空いていた。


 足を止める。


 誰よりも先に床を見る。


 次に壁。


 最後に天井。


 アルベリウスは何も言わず、その様子を見ていた。


 アスターはゆっくり歩く。


 扉の前。


 棚の裏。


 窓際。


 視線が、床板の継ぎ目で止まった。


 しゃがみ込み、指先で木目をなぞる。


「どうした。」


 若い調査官が覗き込む。


「ここだけ。」


 指先で軽く叩く。


 コン。


 隣を叩く。


 コツ、コツ。


 音が違う。


 アスターは立ち上がり、倉庫全体を見回した。


 棚の配置。


 運び込まれた木箱。


 積まれた麻袋。


 そして、管理人の靴。


 ゆっくりと息を吐く。


「局長。」


 アルベリウスが頷く。


「気付いたことを話しなさい。」


 アスターは床板から視線を外さない。


「盗まれたとは、まだ思いません。」


 若い調査官が目を見開く。


「何だって?」


「この倉庫には、まだ見ていない場所があります。」


 その言葉に、管理人の表情が固まった。


 アルベリウスだけが静かにアスターを見つめていた。


 その目には、試すような色はもうなかった。


 代わりに浮かんでいたのは、小さな興味だった。

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