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第8話 ギルの不在

 その日の朝は、いつもと同じだった。

 同じ時間に起床し、ドミトリを抱きしめてから、朝食をとる。

 けれど、ギルベルトの気配がなかった。

「ギルは?」

 メイドに尋ねるも、首を傾げるばかり。

「さあ、エル様。今日もマナー教育をいたしましょう」

 そう言ってきたマーヤにも、エルネスタは尋ねる。

「ギルはどこにいるの?」

 マーヤは一拍置いてから、「さあ……。私はなにも」と少しだけ低い声で答えた。


 なぜだろう。いつもはもっと生活の音に溢れているはずなのに。


「くん……」

 足元に居たドミトリが、鼻を鳴らす。

 ドミトリは大人しい大型犬ボルゾイだが、少し落ち着かない様子で、身体を震わせていた。

「もしかして……ドミトリは知ってるの?」

 ドミトリはつぶらな黒い瞳で、エルネスタを見つめた。そして、彼女のドレスの裾に鼻を押し当てる。まるで、何かを示したいみたいに――。


 そのときだった。


 広間の扉が開くと同時に、エルネスタの両親が入って来た。

「エルネスタ。少しいいか」

 

 メイドたちの空気が、少しだけ張り詰める。


「なんですの?」

 エルネスタは両親の方へ近づく。


 母が、エルネスタにすっと封筒を差し出した。紅色の封蠟には、セレスティーヌの家の印が入っている。

「これは……」

「セレスティーヌ様からあなた宛てに。素敵なお茶会の招待状よ」

「お茶会?」

「ええ。明日、セレスティーヌ様が貴族の友人たちを招いてお茶会を開催するそうなの。少人数――それも、セレスティーヌ様のご友人だけなら、人見知りのあなたでも、大丈夫でしょう」


 エルネスタは先日の、社交晩餐会のことを思い出す。

 誰と挨拶を交わすことなく、物を浮かしただけ。大失敗だった。

 

「きっと従姉妹として、エルネスタを気にかけてくださっているのね」

 

 エルネスタは小さく頷いた。

 きっと、そうなのだろう。

 でも――。

 狩りに行ったことを、「汚らわしい」と吐き捨てたセレスティーヌの顔が浮かんで、胸がざらつく。


「あの」

 エルネスタは口を開いた。

 ずっと気になって、頭を支配していたこと。


「ギルはどこかに行ったのですか?」


 ややあって、口を開いたのは父だった。

「ギルベルトは、用事で遣わせている」

「用事……」


 父は何も答えない。


「いつ頃戻られるのですか……? 明日には?」


 父は少しだけ視線を落としてから、

「二週間ほどだ」

 と低い声で言った。

 

「二週間……」

 エルネスタの足元がふらつく。

 がちゃがちゃと、物音がした。

 マーヤははっとして、近くにあった花瓶に手を伸ばした。


 エルネスタは胸の前で、封筒をぎゅっと握った。


 大丈夫、大丈夫だ。

 たった二週間。いつも通りに過ごせばいいだけ。

 二週間経ったらまた、あの金属音とブーツを雪で踏みしめる音が聞こえるはずだ。


 そう思おうとしても、ずっと胸が落ち着かなかった。


 

 

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