第7話 狙撃手の秘密
その日の夜。エルネスタはなかなか眠れなかった。
目を瞑ると浮かぶのは、狩りの場面。陽の光が生い茂る葉に遮られ、音が雪と森に消えて溶けていくような。静まり返った中で唯一聞こえた、銃弾の音。標的を狙う視線、躊躇いなく引き金を引く指先、鹿に向けて「いただきます」と言ったギルベルトの顔――。
エルネスタは自身の小さな手を見つめた。
……手を繋いだ。
あまりにも大きさが違った。けれど、怖いとか、しっくりしないとかはなかった。嬉しくて、心強くて、でもどこか胸がくすぐったい。
(眠れないなら……いっそ)
エルネスタはベッドから抜け出た。
ドミトリと一緒なら眠れるかもしれない。ガウンを羽織って、寝室を抜け出る。
廊下を歩いていると、窓の外から、ふと銀色の煌めきが見えた。
廊下の扉から、エルネスタは外へと出る。
金属音と、雪を踏みしめる音が同時に鳴った。
「エル様」
声をかけたのはギルベルトだ。外で一人佇んでいる。
「ギル。何をしてるの」
「銃の手入れを」
ギルベルトははっとしたように、エルネスタを見た。薄手のネグリジェにガウン。ベッドから抜け出たのだとすぐに分かる。
「……エル様。館に戻りましょう。今晩は雪が降っていないとはいえ、外は寒い」
ギルベルトはエルネスタの方へやってきた。そのまま二人は館の中へと戻る。
広間に入って、ギルベルトは暖炉に火をつけた。
エルネスタとギルベルトは暖炉近くに座る。
広々した間は、夕食時は人が多くて賑やかだったが、夜中の二人しかいない今は、火の粉がぱちぱちと小さく爆ぜる音だけが響いていた。
「ギルは眠らないの?」
三角座りをしたエルネスタが尋ねる。
「眠りますよ。深くは眠りませんが」
「それは……わたくしを守るため?」
ギルベルトは何も答えなかった。その代わりに、
「慣れています」
とだけ呟く。
少しだけ間が空いた。
エルネスタの脳裏に、手慣れた動作で引き金を引いたギルベルトが浮かぶ。
「戦は好きでしたの?」
「嫌いです」
間髪入れず言い切ったギルベルトに、驚いたようにエルネスタの睫毛が小さく揺れる。
「……では、なぜ?」
「生きるためです」
「生きるため……」
「勝たなければ母国を守れない。そのために自分ができるのは、一人でも多く敵の兵士を射殺することです」
物々しい言葉に、エルネスタの肩が少しだけ揺れた。
「ギルも怖かったの?」
ギルベルトは、パチパチと爆ぜる暖炉の火をじっと見つめた。
その灰色の瞳に、炎の赤がゆらゆらと映り込んでいる。
「……怖かったです。引き金を引くたびに、自分の心が削れていくような音がしました」
ギルベルトの肩が、僅かに震えている。
嘘偽りのない、狙撃手の告白。
ギルベルトはエルネスタを見遣り、その小さな、まだ何にも染まっていない手を見つめる。
「ですが、今は違います。……守るべき標的が目の前にいる。今の自分には、恐怖を感じている暇はありません」
エルネスタは息を呑んだ。
自身を見つめる灰色の瞳は、いつもと同じで、何も語らない。
けれどその奥に、ふっと風が吹けば消えてしまいそうな、揺らぎを見た気がした。
エルネスタは小さな手で、ギルベルトの頬に触れる。
なぜかは分からない。
言葉も出てこない。
けれどどこか、死に近い彼を、繋ぎ止めておきたい――そう思った。
「エル様にひとつ、秘密を教えます」
「秘密?」
皓々とした月の明かりが窓から差し込んで、銀髪に細い光の環を作る。
「自分の位置を知る方法です」
「ギルがいる場所……」
ギルベルトは窓の外の雪景色を指さしながら、エルネスタの耳元で囁いた。
「位置を知るには、自分を見るのではなく、周りを見るのです。風がどちらから吹き、雪がどこに溜まっているか。そして、『どの音が不自然に消えているか』を。狙撃手は、気配を消すために周囲の音を殺します。もし世界が静まり返ったなら、その静寂の最も深い中心に、自分が潜んでいます。音が消えた方向を見据えてください。そこに自分がいます」
ギルベルトの低い声が、エルネスタの耳の奥を心地よく震わせる。
「……難しいですわ」
「エル様ならできます」
一切迷いのない声だった。
できないと思っていたのに、その一言でできるような気がしてくるから、不思議だ。
「……静寂の中心」
エルネスタは窓の外、月光に照らされた白い世界を見つめた。
誰もいない、音もない世界。
恐ろしいはずのその静寂が、ギルベルトの言葉によって、世界で一番安全な「彼の居場所」へと変わっていく。
「よく覚えておきますわ。もし迷子になったら、一番静かな場所を探します」
エルネスタがふふ、と笑うと、ギルベルトはそれ以上何も言わず、ただ暖炉の薪を静かにくべ直した。
ぽかぽかと温かい火の光に包まれて、今度こそ、エルネスタの瞼が重くなっていく。
エルネスタは、自分で気付かないうちに、眠りの中へと落ちていった。
夢を見た気がする。白銀の雪景色と、森の静けさ。
次に目を開けると、エルネスタは自身のベッドの上で朝の光を浴びていた。




