↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

42/46

第42話 檻の中の王冠

 冷たい……。

 石床から這い上がる冷気が、じわじわと身体の奥へ染み込んでくる。

 ぽたり、とどこかで水滴が落ちた。その音に引かれるように、エルネスタはゆっくりと瞼を開く。

 目の前には、見覚えのない天井。

 白く塗られた漆喰には細かな亀裂が走り、天井近くに埋め込まれた青白い魔石灯が、部屋を淡く照らしている。

 どこか無機質な気配がただよう。


(ここは……。たしか、セレスティーヌ様のお屋敷に居たはずなのに……)


 意識がぼんやりとしている。

 身を起こそうとして、右手首に重みを感じた。

 かちゃりと金属が鳴る。

 右手首を見ると、銀色の枷が寝台へと繋がっていた。


 意識が徐々にはっきりしていく。と同時に、自分は今、見覚えのない場所で囚われているのだと理解する。

 その事実が輪郭を帯びて、不安として胸に迫ってきた。


(不安を感じたら、だめ。まずは、できることを探さないと)


 エルネスタは枷を見つめたまま、小さく息を吸った。


 枷は外れそうにない。暴れても同じだろう。


 ならば――。


 静かに部屋を見渡した。


 石壁。窓はない。扉は一つだけ。

 暖炉も見当たらない。


 空気は乾き、吐いた息だけが白く浮かぶ。


 耳を澄ませると、違う場所からそれぞれ音が聞こえた。

 規則正しく響く靴音。

 金属同士が触れ合う乾いた音。

 遠くで何かを引きずる音。

 そして、そして、薬品のツンとした匂いが鼻を突く。その匂いだけが、この場所をよく知っているようだった。薬剤の匂いでも、病院とはまた違う。手首に付けられた枷がそれを物語っている。


 重い扉が軋み、ギィ、と低い音が部屋へ流れた。

 白衣姿の男が一人、部屋の中へと入ってくる。

 その後ろから現れた黒髪の青年を見た瞬間、エルネスタの睫毛がわずかに震えた。


「……クロード様」


 クロードは足を止めた。


「目覚めましたか。」


 いつも通り、穏やかな笑みを湛える。

 だが、その「いつも通り」が、この部屋には不釣り合いだった。


 エルネスタの記憶の輪郭がはっきりと蘇る。

 

 セレスティーヌに招き入れられた硝子の温室で、クロードが待ち構えていたのだ。自分はクロードによって、ここに連れて来られた。


 ギルベルトの言葉を思い出す。


『あいつは危険です』


 そのときは、ぴんと来なかった。けれど今ははっきりと分かる。自分はクロードの罠に嵌められたのだと。


(ギルが正しかったのですわ……)


 エルネスタは藍色の目で、クロードをしっかりと見据えた。




「ここは、どこですの」

「国家研究施設です」

 迷いのない返答は、隠す必要もない、と言わんばかりだ。


「帰してください」

「できません」


 クロードは静かに首を横へ振る。


「あなたには、こちらで調べさせていただきたいことがあります。」


 エルネスタは黙って彼を見つめ返した。


 クロードはふっ、と口角を上げ、寝台の傍らまでゆっくりと歩み寄る。


「安心してください」


 瞳だけが穏やかに細められる。


「可能な限り、身体へ負担の少ない方法を選びます」

 

 エルネスタは愕然とした。指先に力が入る。

 

 白衣の男が銀色の器具を机へ並べ始めた。

 細い針に、透き通った硝子管。見たこともない金属器具たち。

 乾いた金属音だけが、小さく部屋へ響いていく。


 エルネスタは目を見開いたまま、その器具から視線を外せなかった。

 息を呑み込む。


「何を調べるのですか」


「あなたです」


 クロードは答える。


「正確には――あなたの中に眠る王冠を」


 王冠。

 その言葉を耳にした瞬間、親族懇親会の光景が脳裏をよぎった。


 宙へ浮かぶ椅子とざわめく貴族たち。


 『王冠ではないのか』


 誰かの上げた声が、今も耳の奥へ残っている。


 エルネスタはゆっくりとクロードを見上げた。


「王冠なんて知りませんわ。わたくしは、ずっと“欠落令嬢”でしたもの」


 クロードは無言で小さく微笑む。

 短い沈黙があってから、口をひらいた。


「人は必ずしも、自分を一番知っているとは限らない」


 部屋から音が消えた。

 白衣の男が器具を整える音だけが響く。


「そして、貴方は自分を知らなくていい」


 エルネスタの胸がぎゅっと縮み上がる。


「準備が整い次第、検査を始めます」


 クロードはそう言って踵を返し、部屋を出て行った。


 再び静寂が戻った部屋で、エルネスタはゆっくりと目を閉じる。


 何も聞こえない。

 それでも耳の奥には、あの日の声だけが残っていた。


『離れていても、あなたの音は聞こえています』


 エルネスタは枷を繋ぐ鎖へ、そっと指先を添えた。

 冷たい鉄だ。温かみなど一切ない。

 だが不思議と、その指先は震えていなかった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。