第37話 閉ざされた温室
お茶会当日の朝は、曇っていた。
めずらしく霧が出ている。
ドレスアップしたエルネスタが、マーヤと一緒に館を出ると、馬車の横でギルベルトが待機していた。
先日の誕生日に贈られた淡紫色のドレスに包まれたエルネスタの顔は、少し不安気だ。
ギルベルトは「エル様」と呼んで、優し気に目を細める。
「やはり、ドレスがよくお似合いです」
ギルベルトなりの気遣いに思えて、エルネスタの胸がぽかぽかした。
「ありがとう」
ギルベルトはそっと近づいて、エルネスタの小さな手を取った。
「大丈夫です」
エルネスタは小さく頷く。
マーヤは無言で、憂いを帯びた目をギルベルトに向ける。
ギルベルトは、その視線を静かに受け止め、小さく頷いた。
――必ず護る。
言葉は交わさない。それだけで十分だった。
エルネスタとギルベルトを乗せた馬車は、ローゼンベルク邸へ向けて、霧の中を静かに走り出した。
シルヴェスタ邸から、馬車で二十分ほどの距離に、ローゼンベルク邸がある。
館の外観が見えてきたところで、ギルベルトはふと、裏口に付けられた一台の黒い馬車が視界に入った。
見覚えのない馬車には、ローゼンベルク家の紋章がない。
嫌な予感が背筋を這うように駆け巡る。
館の前に辿り着いた二人は、馬車から降りた。
門の前には、門番のほかに、メイドが二人佇んでいる。
「お待ちしておりました、エルネスタ様」
メイドたちがお辞儀をした。
ギルベルトは辺りを見渡す。
自分たち以外、馬車も貴族たちも見当たらない。
(……他に客はいない)
ますます嫌な予感がした。
エルネスタの後をついて、門を潜ろうとしたとき、門番に止められる。
「お待ちください。本日は、セレスティーヌ様の極めてプライベートなお茶会。招待状をお持ちでない護衛の方が、これ以上先へ進むのはご遠慮ください」
ギルベルトは眉をひそめた。
エルネスタの足が止まり、不安そうに振り返った。
「ギル……」
「いかなる時も主を守るよう、シルヴェスタ公爵から命じられております。お茶会には参加致しません。ですが、エルネスタ様の近くに居させてください」
鋭い灰色の目にあてられた門番は、ごくりと唾を飲み込んだ。
少し間を置いてから、渋々口を開く。
「……セレスティーヌ様に確認してまいります」
「その必要はございませんわ」
聞き覚えのある高く、よく通った声。
セレスティーヌが、こちらに向かってしゃらしゃらと歩いてくる。
「今日のお茶会は、わたくしと懇意にしている限られた方しか参加しない“特別”なものです。ましてや貴族ですらない、ただの護衛である忠犬が入っていいものではなくてよ」
「温室には入りません。なるべく近くに待機させて頂きたいと申し上げている」
ギルベルトは引かない。
セレスティーヌは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「『硝子の温室』近くには、ローゼンベルク家の護衛たちを控えさせています。戦場上がりのどこの馬の骨とも知らない者とは違う、訓練された優秀な護衛たちですわ。ですので、ご心配なく」
セレスティーヌとギルベルトの視線が、鋭くぶつかり合う。
「それから――館の前に、そんな物騒な銃を隠し持ったあなたがうろついているのは非常に不愉快ですわ。馬車で大人しく待っていなさい」
セレスティーヌは不快感を隠そうともせず言い放ち、踵を返す。
「セレスティーヌ様、ですが……」
エルネスタが声をあげるが、セレスティーヌはフンと鼻を鳴らして取り合わない。
「エル様」
ギルベルトは静かにエルネスタの前に一歩踏み出し、その藍色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「大丈夫です」
その声音は、穏やかでありながらも、揺るぎない。
「離れていても、ほんの数百メートルの距離です。俺の耳には、いつでもあなたの音が届いています。ですから、安心して行ってください」
エルネスタは、ドレスのポケットにある『銀の弾丸』にそっと触れ、力強く頷いた。
「ええ。行ってまいりますわ、ギル」
セレスティーヌに促され、エルネスタは硝子の温室へと続く小道の奥へ歩いていく。
その小さな背中を見送ってから、ギルベルトは踵を返し、馬車へと向かう。
馬車へ戻りながらも、ギルベルトの視線は館の裏手に停められた黒い馬車から離れなかった。
あの馬車だけが、この屋敷で異質な静けさをまとっていた。




