↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

36/46

第36話 温室への誘い

 親族交流会から一週間経った日の午後。

 エルネスタは、広間でドミトリと遊んでいた。


「さあ、ドミトリ。この部屋におやつを隠しましたわ。どこにあるか探してちょうだい」

 エルネスタは得意げに、ドミトリへ指示をする。

 ドミトリは立ち上がって、鼻をくんくんと鳴らしながら、規則正しく、直線的に歩き回る。


「ドミトリ、見つけられるかしら」

「ドミトリは鼻が利きます」

 エルネスタは、壁際に佇んでいるギルベルトへと近づいた。

 そして、声を潜める。

「どこに隠したと思いますの?」

 ギルベルトは静かに視線を動かしてから、「――スツールの中でしょうか」と答えた。

 エルネスタは目を丸くする。

「なぜ分かりましたの?」

「そんな音がしました。けれど――」

 ギルベルトはスツールの方へ向かって行く。

「彼はこれを開けられません。少し可哀想だ」

 そう言って、スツールの蓋を開けた。


「ワンッ」

 ドミトリがスツールの前まで来て、鳴いた。


 エルネスタは駆け寄って、スツールの中に隠したおやつを取り出す。

「ギルの言う通りですわ。わたくし少し意地悪でした」

 

 ギルベルトは目を細めた。


 そのとき、出入口からマーヤがそそくさと入ってきた。

「エル様。セレスティーヌ様からお手紙が届きました」


 その名を聞いたエルネスタの肩がぴくりと動く。

 ギルベルトもまた、目の奥を鋭く光らせた。


 マーヤから手紙を受け取り、エルネスタは封を開く。


「お茶会の招待状ですわ……」

「危険です」

 ギルベルトが間髪入れずに言った。


 エルネスタは不安げに目を伏せた。

 忘れもしない。

 セレスティーヌに呼ばれたお茶会で、「獣令嬢」だと罵られ、血の付いた鹿肉料理を出された。貴族たちの冷笑。突き刺さる視線。

 そして、感覚を奪った霧――。


「欠席するべきです」

 ギルベルトはマーヤを見た。

 マーヤは苦々しい表情をしながらも、小さな声で呟く。

「……ですが、欠席する理由がありません」

「あの女は、ザハリアス侯爵と繋がっている」

「ギルベルト様、口を慎みなさい。エル様の従姉妹ですよ」

「ですが、エル様を危険に曝し、侮辱した人間に変わりありません」

 マーヤはため息をついた。

「ですが……確証がありません」


 エルネスタは顔を上げる。

「わたくし、出席いたしますわ」


 ギルベルトとマーヤは驚いたように、エルネスタを見た。


「大丈夫ですわ。わたくし、前よりも力を使えるようになっていますもの。いざとなれば、なんとかしますわ」

「ですが……」

「それに」

 エルネスタはギルベルトを真っすぐに見つめる。その藍色の瞳には、一切の疑いがない――そんな無垢な目だった。

「ギルだって付いてきてくれるのでしょう」

「それは……もちろんですが」

「なら安心ですわ」

 エルネスタはふわりと笑った。


「――わかりました」

 ギルベルトはそれ以上、何も言わなかった。

 どう考えても、無防備なエルネスタをハメるための罠だ。


 エルネスタは手紙を仕舞い、嬉しそうにドミトリにおやつを差し出した。

 むしゃむしゃと美味そうに咀嚼する愛犬の頭を撫でながら、すっかり安心したように笑っている。


 だが、ギルベルトの脳裏は、考えが張り巡らされていた。


(確証はない、か……)


 マーヤの言う通り、貴族社会において「怪しいから」という理由だけで公爵令嬢の誘いを断ることはできない。

 セレスティーヌは、親族交流会でエルネスタに恥をかかせようとして失敗したばかりだ。ただの嫌がらせでエルネスタをお茶会に誘うだろうか。

 セレスティーヌの影には、必ずあの底知れない瞳でエルネスタを見ていた男――クロード・ザハリアスがいるはずだ。

 お披露目会で見せた、エルネスタの『王冠』の力。 あれをあぶり出した男が、次に行うことなど一つしか無い。


(クロード・ザハリアスは、無意味な手を打つ男ではない)


 ギルベルトはジャケットの内側、いつも己の指先が触れている漆黒の狙撃銃の輪郭を、上着越しにそっと確かめた。

 安全装置は、いつでも外せる。

 銀の弾丸も、すでに薬室へと送り込まれている。


「マーヤさん」

 ギルベルトは、不安そうに二人を見つめていたマーヤへと向き直った。

「お茶会の会場はどこですか」

 マーヤではなく、手紙を読んだエルネスタが顔を向ける。

「ローゼンベルク公爵邸の、離れにある『硝子の温室』ですわ」

「セレスティーヌ様のお気に入りの場所ですね。普段は限られた人間しか入れない、静かな庭園の奥にあります」

 マーヤが続ける。


 その言葉を聞いた瞬間、ギルベルトの思考が冷たく冴え渡る。

 離れの温室。本邸から離れ、周囲を遮蔽物に囲まれた、閉ざされた空間。

 嫌な予感しかしない。


「……そうですか」


 ギルベルトは目を細め、広間の窓から見える、遠くの空を見つめた。

 どんな罠が待っていようと、関係ない。


(仕掛けてくるなら、来ればいい。……エル様には、一歩たりとも近づけない)


 広間では、何も知らないドミトリがおやつを噛んでいた。

 エルネスタもまた、それを見て楽し気に微笑んでいた。


 ギルベルトだけが、遠くの空を見つめている。

 秋の雲は静かだった。

 嵐の訪れだけが、その静けさの向こうで息を潜めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。