第33話 調律
親族懇親会を終え、シルヴェスタの邸に帰宅したときは既に、日が完全に暮れていた。
疲れたエルネスタは馬車の中で眠ってしまい、ギルベルトは彼女を起こさないように、そっと抱きかかえ、寝室まで運んだ。
この半年間で大人びいてきたものの、すやすやと眠るエルネスタの顔には、まだ幼さが残っている。
ベッドに寝かせて、毛布を掛けた。
髪につけられた髪飾りが重そうだったので、壊れ物を扱うような優しい手つきでそれを外してやる。
目を瞑りながらも、エルネスタがふわりと笑った気がした。
それを見たギルベルトの唇が僅かに上がる。
部屋を出たギルベルトは、その足でマーヤの部屋へと向かった。
扉をノックすると、「はい」とマーヤの返事があった。
「ギルベルトです。少しいいですか」
扉が開かれ、マーヤが出てきた。
「ええ、構いませんよ」
二人は、広間から少し離れたところにある、小さな空き部屋へと移動した。
部屋へ入ると、マーヤはランプへ火を灯した。
小さな炎が揺れ、室内に橙色の光が広がる。
向かい合うように椅子へ腰を下ろしたあと、マーヤは先に口を開いた。
「親族懇親会、お疲れ様でした」
「……」
ギルベルトは答えなかった。
代わりに、真っ直ぐマーヤを見る。
マーヤもまた、その視線から目を逸らさない。
しばらくして、ギルベルトは静かに口を開いた。
「お聞きしたいことがあります」
「ええ」
「――『王冠』とは何ですか」
部屋の空気が変わった。
ランプの火が、ぱちりと小さく音を立てる。
マーヤは目を伏せた。
まるで、その質問が来ることを最初から分かっていたかのように。
「そうですね……。そろそろ、お話ししなければならない頃かもしれません」
彼女はゆっくりと息を吐く。
「シルヴェスタ家は、代々女に異能が現れる家系です」
ギルベルトは目を見開いた。
「女にだけですか」
「はい」
「今日の懇親会では、セレスティーヌ様の異能が披露されました」
「セレスティーヌ様のお母様は、シルヴェスタ家の人間です。セレスティーヌ様も発現されたのでしょう」
「彼女は白く深い霧を出した。そして……そのあと、エル様も皆の前で重力操作を披露しました」
驚いたように、マーヤの身体が僅かに動く。
カタリと、椅子の音が軋んだ。
「エル様が? 今日はセレスティーヌ様のお披露目会だったのでは」
「セレスティーヌ様が、エル様に披露するよう促したのです」
マーヤは額を抑える。
「だから、旦那様たちの顔色が悪かったのね……」
ぽつりと独り言のように漏らした。
「エル様の能力は……特殊なのですか」
マーヤは目を伏せた。
ランプの火が、ゆらゆらと影に揺れる。
「霧、炎、風を操る能力は珍しいですが、シルヴェスタ家の女ならば、よく発現します。稀に治癒の能力も」
「重力操作は?」
マーヤはごくりと息を呑み込んだ。
「数百年に一度です」
ギルベルトは言葉を失った。
「――『王冠』。それは、シルヴェスタの血脈における絶対的な支配の象徴」
マーヤの声は、ひどく低く、重かった。
「数百年前、王冠を持ったシルヴェスタの娘がいました。初代シルヴェスタ公爵は、その圧倒的な重力操作の力をもって、建国の功臣となったと言われています。……それが、王冠と呼ばれる能力の真実です」
「……ですが、エル様はまだ十三歳です。なぜそのような強大な力が、今になって」
「制御ができていなかったのは、能力が強大すぎたからです。幼い身体では、『王冠』の力に耐えられなかった。だから、感情に呼応して能力が漏れ出していた」
マーヤは真っ直ぐにギルベルトを見据えた。
「それを、あなたがこの半年間で、エル様の能力を完成に導いてしまったのです。――『森での特訓』で」
その言葉が、ギルベルトの胸を鋭く抉った。
森で過ごした半年。
エルネスタが笑えば嬉しかった。
少しずつ能力を制御できるようになっていく姿を、自分も誇らしく思っていた。
だが、それが王冠を目覚めさせる行為だったのだとしたら――。
ジャケットの内側、いつも己の指先が触れている漆黒の狙撃銃の冷たさが、脳裏に蘇る。
「……シルヴェスタ公爵は、エル様の能力を親戚たちに隠したいように見えました」
「王冠の発現が公になれば、周囲の大人たちが黙っていません。他国への抑止力、あるいは国内の権力闘争の道具として、エル様を狙う者が出てくるでしょう。旦那様方が今日、顔色を悪くされていたのは、その未来を予感したからでしょう」
マーヤは目を伏せた。
ギルベルトの脳裏に、懇親会の最後に現れた男の、底知れない琥珀色の瞳が浮かんだ。
クロード・ザハリアス。
あの男は、エルネスタがブローチを失くした森で、すべてを見ていたのだ。セレスティーヌを利用し、エルネスタの王冠を試すために、あらかじめ仕組んでいたのだとしたら――。
「マーヤさん」
ギルベルトは静かに拳を握った。
「既にエル様は狙われています」
マーヤは驚いたように顔を上げる。
「クロード・ザハリアス。親族交流会に、あの男が現れました。エル様の能力を確かめるためだと言っていた」
「クロード侯爵が……」
マーヤの顔が蒼白くなっていく。
アレキサンドライトのブローチを貰った話を聞いたとき、少し引っ掛かっていたのだ。
富と名声を持つ麗しい侯爵でありながら、名家出身の美しい女に言い寄られても、関心を示さないことで有名な風変わりな男が、ひと回り以上年下のエルネスタに興味を抱いたことが。
「ザハリアス家は、国家研究施設とも深い繋がりがあります。爵位以上に、あの家の影響力は大きいのです」
ギルベルトは静かに立ち上がった。
その灰色の瞳の奥に、かつて戦場で無数の敵を葬ってきた、冷徹な『銀の狙撃手』としての光が宿る。
「……関係ありません」
「ギルベルト様?」
「エル様が王冠であろうと、欠落令嬢と呼ばれていようと、自分のやるべきことは変わりません。あのお方を狙う雑音は、すべて自分が排除します」
ジャケットの裏にある引き金に指をかける。
エルネスタが何者であっても、ギルベルトには関係ない。
なぜなら、彼女はギルベルトにとって――『生涯の標的』なのだから。
マーヤは、眼前に立つ若い護衛のまとう、静かで重い『執着』の音を聞いた気がして、小さく息を呑んだ。
「……頼みましたよ、銀の狙撃手。エル様を……どうか、護ってください」
「言われずともそうします」
ギルベルトは短く応じると、ランプの影に背を向け、一歩も引かない足取りで部屋を後にした。




