第32話 親族交流会 ⑤
エルネスタの顔がぱっと明るくなった。
「クロード様! お久しぶりですわ」
彼女もまたクロードへと近づこうとする。
だが途中で足を止め、気まずそうに目を伏せた。
「どうされました」
「わたくし、クロード様に謝らないといけないことがありますの」
クロードは首を傾げる。
「あの……せっかく頂いたのに、アレキサンドライトを失くしてしまいましたわ……」
クロードはエルネスタの前に膝をついた。
ギルベルトはクロードから目を逸らさない。銃の安全装置は既に外している。エルネスタに何かしようものなら、引き金を引く――今度は必ず。
クロードは、礼服のポケットから何かを取り出した。
そして手のひらを広げ、“それ”をエルネスタへと差し出す。
「こちらでしょうか」
彼が差し出したのは、ダンスパーティーの際、エルネスタに贈ったアレキサンドライトのブローチピンだった。
「まあ」
エルネスタは目を丸くした。
「どうしてこれを?」
クロードは目を細めた。
「たまたま拾ったのです。――森で」
ギルベルトの背筋がひんやりと冷たくなる。
(拾っただと……。あの霧はセレスティーヌで間違いない。つまり……)
ギルベルトはクロードから目を離さない状態で、視界の隅にセレスティーヌを捉える。
セレスティーヌの鼓動は、どこか張り詰めていた。
クロードと繋がっている。
だが――。
(彼女も、奴の来訪を知らなかったのか……)
セレスティーヌは唇を引き結んでいた。
それは共犯者の顔ではなかった。
獲物を差し出したはずの猟犬が、自分より先に主人の足音を聞いたときのような顔だ。
クロードは無言で、セレスティーヌを一瞥した。
その瞬間、彼女の心臓がどくんと音を立てる。
敬意と恐怖が入り混じるようなノイズ――ギルベルトにはそう聞こえた。
セレスティーヌは完全に硬直している。
完全に首輪を握られている猟犬のような音が、ギルベルトの鼓動をさらに冷たく、鋭く研ぎ澄ませていく。
「まあ! 森で拾ってくださったのですか?」
緊迫する空気など露知らず、エルネスタは純粋な喜びの声を上げた。
「ありがとうございます、クロード様。本当に、ずっと気になっていましたの」
嬉しそうにブローチピンを受け取ろうとした。
だが、その小さな指先がアレキサンドライトに触れる直前――。
すっと、エルネスタの前に影が差した。
「ギル?」
ギルベルトが、エルネスタの前に立ちはだかったのだ。
クロードは膝をついたまま、ゆっくりと視線を上げてギルベルトを見る。
無表情のまま、ジャケットの裏の銃をいつでも引き抜ける完璧な間合いを保ち、クロードを冷徹に見下ろしていた。
「――ザハリアス侯爵。ここは親族のみの私的な懇親会のはずですが」
低く、地を這うような声。
クロードは、ギルベルトのジャケットの内側に向けられた指先を一瞥すると、ふっと、楽しげに琥珀色の瞳を細めた。
「おや。素晴らしい『忠犬』が、ずいぶんと鋭い牙を剥く」
クロードは立ち上がる。
その拍子に、彼の心音がギルベルトの耳に滑り込んできた。
――凪いでいる。
銃口を向けられているかもしれないという極限の状況において、クロードの心音は、恐ろしいほど一定で、静かだった。
(やはり……この男は底が知れない)
ギルベルトは内心で舌を巻く。
この男のまとう音には、戦場にいた戦士たちとは全く違う、冷徹な『計算』と『支配』の響きしかない。
「本日はローゼンベルク公爵より、お招きいただいております」
クロードがそう言ってローゼンベルク公爵の方を振り返ると、セレスティーヌの父親は、冷や汗を拭いながら慌てて頷いた。
「あ、ああ……。そうだ、ザハリアス侯爵には、私が声をかけておいたのだ」
「セレスティーヌ様とは旧知の間柄ですので」
この言葉を聞いた瞬間、セレスティーヌの鼓動がさらに嫌な音を立てた。
――違う。
クロード様は、わたくしを見に来たのではない。
胸の奥が冷えていく。
今まで自分が握っていたと思っていた糸の先を、最初から別の誰かが握っていたような感覚だった。
セレスティーヌの胸の奥では、羞恥と屈辱が綯い交ぜになって、気持ちがどんどん濁っていく。
クロードはエルネスタの前を遮るギルベルトを見つめ、挑発するように、薄く、妖艶に唇を歪めた。
「さて……伝説の『王冠』の輝き。実に素晴らしいものを見せていただきました」
「ありがとうございます」
エルネスタは照れくさそうに笑った。
「こちらこそ」
クロードは静かに一礼した。
「本日はそれだけを確かめに参りましたので。長居すると親族交流に水を差しかねませんので、私はこれにて失礼いたします」
それだけ言って踵を返し、ゆっくりした足取りで扉の方へ歩き出した。
(確かめに……?)
ギルベルトの胸の奥で、靄のかかった不穏な感情が広がっていく。
それにやはり、あの男の音が気に入らない。
戦場で見た狂乱の戦士たちとは違う、狂気的なほど静かで整った音――。
扉の前で足を止めたクロードが、ふと振り返った。
警戒する灰色の瞳と、愉悦に満ちた琥珀色の瞳。
視線がぶつかり合う。
クロードは一瞬だけ口角を上げたのち、部屋を出て行った。
ギルベルトは扉が閉まる音を聞いた。
あの男の音だけが、最後まで理解できなかった。




