第26話 誕生日 ④
エルネスタの誕生日祝いは、夜も続いた。
シルヴェスタ公爵夫妻は夜会へ出かけたので、昼食と異なり、夕飯は使用人たち全員がテーブルにつき、エルネスタを囲んだ。
「美味しいですわ~」
エルネスタは嬉しそうに、鹿肉のソテーを食べる。
「光栄です」と料理長が微笑んだ。
「くうん」
エルネスタの足元でドミトリが鳴く。
「ドミトリも食べますの?」
細かく切った鹿肉を、ドミトリの口の中へぽとりと落とす。
ドミトリは喉を鳴らしながら、鹿肉を味わった。
「お嬢様。食後にはケーキもございます」
「まあっ」
エルネスタの顔が明るくなった。
「苺ですの? チョコレートですの?」
「両方です」
「~~~っ!!」
エルネスタは目を輝かせる。
隣に座ったギルベルトが、小さく微笑んだ。
「ねえ、ギル。ケーキは好き?」
「……そういえば、あまり食べたことがありませんね」
「誕生日も?」
「はい」
「一度もないのですか?」
ギルベルトは考えるように、宙に視線を向ける。
「……キャロットケーキなら。幼少期に母が作ってくれていました」
「キャロットケーキ?」
「はい。クリームや豪華な果物はありません。すりつぶした人参を小麦粉に混ぜた、質素なケーキです」
「ギルはそれが好きですの?」
「……そうですね」
エルネスタは料理長に顔を向ける。
「料理長。今度、わたくしもキャロットケーキが食べたいですわ!」
「かしこまりました」
「やった!」
そして、ギルベルトに顔を向ける。
「わたくし、ギルの好きなものを一緒に食べたいのです!」
「エル様……」
ギルベルトの睫毛が、僅かに揺れる。
メイドたちは、微笑ましげにエルネスタたちを見ていた。
カタリと、フォークを置く音がした。
だが、誰もそれに気付かない。
ただ一人、マーヤだけが静かに視線を伏せた。
「もちろん、メイドたちも! ねっ、マーヤ!」
マーヤは少しだけ困ったように笑う。
しばらくしてから、大きな誕生日ケーキが運ばれてきた。
チョコレートクリームでコーティングされたケーキには、苺やイチジク、ブルーベリーが宝石のように所狭しと引き詰められていた。
「わーっ! 素敵ですわ!」
料理長がケーキを切り分ける。
「ギルも食べますわよね?」
ギルベルトの動きが止まった。
「いえ、自分は――」
「誕生日ですのよ?」
「……」
「ギルベルト様の分も切り分けました」
料理長が皿ごとケーキを、ギルベルトの前に置いた。
「いただきます」
ケーキを頬張る。
「美味しいですわ~!」
エルネスタは、隣で静かに食べているギルベルトの方を向く。
「どう?」
「……美味しいです」
エルネスタが、ふふっと笑う。
それにつられるように、ギルベルトが小さく笑った。
嬉しくなったエルネスタは無意識に、ドレスのポケットへ手を伸ばす。
そして、銀の弾丸に触れた。
些細な仕草。
ギルベルトさえ気づかない。
けれど、マーヤだけは、鋭くそれを見つめていた。
マーヤは静かに視線を伏せた。
あの銀色の弾丸が何なのかは知らない。
だが。
エルネスタが宝物のようにそれへ触れたことだけは、見逃さなかった。
◇
使用人たちとの和やかな誕生日会が終わり、エルネスタが宝物の弾丸を抱くようにして幸せな眠りについた、深い夜の館。
片付けを終えたギルベルトが、人気のない廊下を歩いていた。
「ギルベルト様」
振り返ると、ランプを持ったマーヤが佇んでいた。
「どうしました?」
「少し、お話があります。こちらで――」
マーヤは手前の扉を開け、部屋へと招き入れる。
普段から鉄面皮のマーヤだが、いつも以上に重い空気を感じたギルベルトの指先が、僅かに強張った。
二人は小さな部屋へと入る。
マーヤは手に持っていたランプを、近くの棚の上に置いた。
「お話とは?」
マーヤは、ギルベルトを真正面から見据える。
「エルネスタ様のことです」
その名前に反応するように、ギルベルトの心音がひとつ乱れた。
「ギルベルト様」
「はい」
「貴方は優秀な護衛です」
「……」
「ですが、それ以上になってはいけません」
小さな部屋の中に、重い沈黙が満ちる。
しばらくして、マーヤは再び口を開く。
「エル様と毎日のように森へ行っていますね」
「ええ」
「散歩、たまに狩り」
「はい」
「本当にそれだけですか」
ギルベルトは言葉に詰まる。
重力操作の特訓。
館の人間に内緒にしようとエルネスタに言ったのは、自分だ。打ち明けるべきではない――。
ギルベルトが黙っていると、マーヤはため息をついた。
「貴方の人格は知っています。いかがわしいことではないのでしょう」
「……」
「ですが」
マーヤは一拍置いてから、続ける。
「毎日二人きりで、森で過ごしていることは事実です」
ギルベルトは目を伏せた。
マーヤは言葉を続ける。
「エル様はいずれ社交界へ出ます」
「……」
「婚約もなさるでしょう」
ギルベルトは何も答えない。
再び、沈黙が降りる。
マーヤは真っすぐにギルベルトへ視線を向ける。
「エル様の未来を歪めないでください」
ギルベルトの肩が揺れた。
「エル様の未来を歪めるなど……」
「いいえ」
マーヤはきっぱりと言う。
「すでに歪んできています。エル様の中心には、貴方がいる」
ギルベルトは目を見開いた。
「貴方はただの護衛です。それ以上になってはいけない」
ギルベルトは奥歯を噛み締め、視線を落とした。
ややあって、口を開く。
「分かっています」
マーヤが目を上げる。
「自分がどれほど愚かなことをしているかも」
「……」
「身の程知らずだということも」
「なら――」
「でも」
ギルベルトは顔を上げ、真っすぐにマーヤを見つめた。
目の前に居るのはマーヤだが、ギルベルトの脳裏に浮かんだのは、昼間のエルネスタの姿だった。
自分が手渡した銀の弾丸を受け取った笑顔。そして――嬉しそうに彼女が抱き締めてきた姿――。
「もう――止められない」
マーヤの瞳が揺れる。
「……止められない、と?」
マーヤの声は、凍りついたように冷ややかだった。
棚の上のランプが、二人の影を壁に歪に引き伸ばしている。
「それが、命を賭してエル様を護るべき『護衛』の放つ言葉ですか」
「ええ。酷く傲慢で、身勝手な独白です」
ギルベルトの声には、恐ろしいほどの静寂があった。
マーヤを睨みつけているわけでも、開き直っているわけでもない。ただ、堅く何かを決意したような声色。
「お望みなら、公爵にすべてを告発してください。自分を追放しても構わない」
「ギルベルト様……」
「ですが」
ギルベルトは胸元――先ほどまで『銀の弾丸』が収まっていた、防弾プレートの裏側にそっと手を当てる。
そこは今、空っぽだった。代わりに、エルネスタが両手で弾丸を包み込んだときの、温かかった体温の記憶だけが、彼の心臓を侵食している。
「追放されようと。命を奪われようと。自分は――
エル様を諦められない」
マーヤは息を呑んだ。
目の前の男が、エルネスタの未来そのものを永遠に縛り付けようとしていることに、気づいてしまったからだ。
二人の間に、これ以上交わす言葉はなかった。
ギルベルトは静かに頭を下げると、マーヤを残して部屋を出た。
人気のない暗い廊下。
ギルベルトは、窓の外に広がる漆黒の夜空を見つめる。
昼間、ザハリアス侯爵から届いた端正な手紙を思い出す。
いずれ、エルネスタを奪いに来るであろう『光』。
自分の選択が、例えどれほど歪んだ未来であろうとも――。
(……誰にも、渡さない)
――第二章・完――




