第21話 エルネスタの決意
「ただいま戻りましたわ」
「おかえりなさいませ」
森から帰還したエルネスタとギルベルトを、メイドたちがにこやかに迎える。
だが、その中でマーヤだけは、違和感を感じ取った。
「エル様、髪が乱れていますね」
「え?」
きょとんとするエルネスタの隣で、ギルベルトの雰囲気が少しだけ強張った。
「ああ、これは……。実は先ほど、不思議なことが起きたのですわ」
髪を手櫛でときながら、エルネスタが告げる。
「濃い霧が出てきて、ギルと離れ離れになってしまいましたの」
「まあ、晴れていたのに……」
メイドたちが顔を見合わせる。
マーヤの顔が曇る。
「……ギルベルト様。エル様から目を離したのですか」
少し掠れた声。
エルネスタは焦って、「違うの」と声を出す。
「本当に深い霧だったの。あんなの初めてでしたわ。ギルは悪くありませんの。それに、迷子になったわたくしを必死に見つけてくれたのですわ」
「エル様たちが無事でよかったです」
メイドたちから安堵のため息が漏れる。
だがマーヤは一人、眉根を寄せたままだ。
「エル様。胸元に付けていたブローチはどうなさったのです?」
エルネスタははっとして、胸元に触れる。
少し間を置いてから、
「……失くしてしまいましたの。深い霧の中で」
「まあっ。クロード様から頂いたものなのに」
「もったいないですわね」
メイドたちが落胆する。
だがしばらくして、メイドの一人が、
「エル様、落ち込まないでください。もしかしたら森で見つかるかもしれませんわ」と励ました。
ギルベルトは、黙って立っている。
帰り道で、エルネスタから聞いたのだ。
深く濃い霧が、まるで、エルネスタの手から奪っていくように、ブローチを包み込んで消した、と。
(……さっきの霧と、あの男は関係があるのか……)
ギルベルトが思案していると、
「エル様」
マーヤが静かに声を掛けた。
「はい?」
「お召し物をお着替えください。風邪を引いてしまいます」
「分かりましたわ」
エルネスタは素直に頷く。
去り際、ポケットから、ころりと小さな赤い実が転がり落ちた。
「あっ」
エルネスタは慌ててそれを拾い上げる。
まるで宝物でも扱うように。
マーヤの視線が、その小さな赤い実へ落ちた。
そして――。
その実を見つめるギルベルトの視線が、一瞬柔らかくなった。
マーヤは何も言わない。
だが胸の奥に、小さな違和感が静かに沈んでいく。
◇
夜。
皆が寝静まると、ギルベルトはいつもと同じように、館の外で銃を磨いていた。
背後から聞き慣れた足音がする。
振り返ると、そこにはネグリジェの上に大きなガウンを羽織ったエルネスタが立っていた。
「エル様。どうしました? 眠れませんか」
ギルベルトはエルネスタへ近づいた。
「ギルこそ。なぜいつも外なのですか。寒いですわ」
「……外は落ち着きます」
「気を遣っているのでしょう。居間に行きますわよ」
エルネスタはくるりと背を向けた。
小さい背中が、居間へ行くよう自分に指示しているみたいで。
ギルベルトは口角を緩めるかわりに、小さな肩からずれかかっているガウンをエルネスタの肩に掛けなおす。
「……少し大きいですね。寒さが入ります。採寸の合うものにされては」
エルネスタはギルベルトを見上げた。
「すぐに大きくなりますわ。だからこれくらいで丁度いいのです」
じっとギルベルトを見つめる。
「……いずれ、ギルと同じくらいの背になりますわ」
ギルベルトは、小さく笑った。
「さすがにそれは……」
「あら。わかりませんわよ」
エルネスタはいたずらっぽく笑う。
二人はそのまま、居間へと向かった。
夜の居間は静かだった。
暖炉に薪を入れて火をつけた。
ぱちぱちと、火の粉が舞う。
その明るさに導かれるように、隅で身体を丸めていたドミトリが起き上がって、ゆっくり近づいてきた。
「ギル」
暖炉の火を見つめながら、エルネスタが口を開く。
「わたくし、今のままではだめですわ」
ギルベルトは目を見開いた。
「今日の霧。嫌な予感がしましたの」
「……」
それはギルベルトも感じていたことだった。
不気味な女の声。
あれは紛れもなく、自然現象ではなかった。
エルネスタは顔を上げる。
「わたくし、自分の能力をコントロールできるようになりたいですわ」
ギルベルトは暖炉の火を見つめた。
ぱちり、と薪が爆ぜる。
「……おすすめはしません」
低い声だった。
エルネスタはむっと眉を寄せる。
「どうしてですの?」
「能力は力です」
ギルベルトは静かに続ける。
「力を知れば知るほど、人はそれに頼るようになる」
戦場で何度も見てきた。
武器も、権力も、才能も。
力は人を変える。
「ですが」
エルネスタは暖炉の前で膝を抱えた。
「今日、わたくしは何もできませんでしたわ」
ぽつりと声が落ちる。
「ギルを呼ぶことしか」
ギルベルトの指先が止まる。
「……」
「次も同じことが起きたら」
エルネスタは暖炉の火を見つめたまま続ける。
「またギルを困らせてしまいます」
ギルベルトは返事をしなかった。
ただ、暖炉の火を見つめる。
エルネスタの能力は危うい。
何より、自分はあの力の正体を知らない。
それでも――。
霧の中でエルネスタを見失ったあの瞬間を思い出すと、反対の言葉が出てこなかった。
長い沈黙のあと、ギルベルトは小さく息を吐き出す。
「……館の人には内緒です」
エルネスタの肩がぴくりと揺れた。
「本当ですの?」
「特訓をします」
エルネスタの表情が、花が綻ぶように明るくなる。
ギルベルトはそんな彼女を見ながら、ほんの少しだけ視線を逸らした。
その判断が正しいのかは分からない。
だが、もう二度と、あんなふうに彼女を見失いたくなかった。
「いつから?」
「明日から」
数秒、沈黙が落ちる。
そして。
「やりましたわーっ!!」
エルネスタの歓声が居間に響いた。
暖炉の前で寝ていたドミトリがびくりと飛び起きた。




