第16話 帰り道
夜の八時過ぎ。
ほかの参加者より先に、ダンスパーティを抜け出たエルネスタとギルベルトは、馬車へと乗り込んだ。
クロードと別れた後、数人の貴族たちと挨拶を交わしたが、誰からもダンスに誘われなかったため、料理をたらふく食べて、会場を後にした。
馬車がゆっくりと雪道を走る。
向かい側に座るエルネスタは、頬を上気させたまま、上機嫌だった。
「ギル! わたくし、本当に上手に踊れましたの!」
「ええ」
「しかも、クロード様に褒められましたわ!」
「そうですか」
短い。
あまりにも短い。
エルネスタはぱちぱちと瞬きをした。
「……ギル?」
「なんでしょう」
「なんだか、冷たくありません?」
「気のせいでは」
気のせいではなかった。
いつものギルベルトなら、先回りで扉を開けてくれるが、会場を出る際も、馬車に乗り込む際も、ただ立っているだけだった。
エルネスタは少し不思議に思っていたのだ。
(ギル、疲れたのかな……)
座りながら、エルネスタはうんと伸びをした。
「良かったですわ、クロード様と踊れて」
エルネスタはギルベルトに顔を向けて、こめかみに指を添え、ぐっと目を吊り上げる。
「誰とも踊れなかったら、きっとマーヤが、”ダンス練習をサボったから恥をかいたのですよ”って言いそうですもの」
マーヤの顔真似をすれば、ギルベルトが笑ってくれるかもしれないという、浅い期待があった。
だが、当のギルベルトの視線は冷ややかだった。
ギルベルトは無言で、エルネスタに手を伸ばす。
そのときの表情が、まるで、敵兵を見るように目が据わっていて、エルネスタは思わず後ろに仰け反った。
ギルベルトは、黒革の手袋越しに、エルネスタの頭につけられた髪飾りをすっと外す。
「あっ」
先ほどクロードから貰った、アレキサンドライトのブローチピンだ。
ギルベルトは険しい顔で、ブローチピンを凝視する。
「な、なんですの?」
ギルベルトは何も答えない。
しばらくしてから、小さく息を吐き出した。
「見たところ……何の細工もない」
「え?」
「凶器やマイクロチップのような物は入っていませんでした」
「そんな……」
エルネスタは目を丸くした。
「クロード様は、そんなことをする方には見えませんでしたわ」
「見た目で判断しないでください」
ギルベルトの声は冷たい。
エルネスタはむっと眉を寄せる。
「どうしてそんな言い方をするのです?」
「……」
「クロード様は、わたくしに親切にしてくださいましたのに」
その瞬間。
ギルベルトの灰色の瞳が、僅かに揺れた。
「……あいつの笑顔を、信じるなと言っているのです。エル様は、何も分かっていない」
「……ふぇっ?」
エルネスタは唖然とした。
(どうして。さっき会ったばかりの人なのに……)
単純な疑問から、エルネスタはうっかり言葉を零す。
「ギルに、クロード様の何が分かるのですか?」
これには、今まで無感情を装っていたギルベルトも、たまらず眉をひそめた。
空気が凍り付く。
「これは処分します」
そう言ってギルベルトは、ジャケットのポケットに、ブローチピンを入れようとした。
「えっ!?」
エルネスタが勢いよく立ち上がる。
「だ、だめですわ!」
「危険物の可能性があります」
「でも頂き物ですのに!」
「だから危険なのです」
「返してください!」
エルネスタが、ポケットへ滑らせるギルベルトの手を、掴みに行こうとする。
だが、腕の長さの違いゆえ、なかなか取り戻せない。
「返してくださいまし!」
エルネスタは身を乗り出した。
だがギルベルトは、彼女を避けるように身体を引く。
「ギル!」
「駄目です」
「どうしてですの!」
エルネスタがさらに手を伸ばす。
次の瞬間。
ぐい、と細い身体が引き寄せられた。
「きゃっ――」
気付けば、エルネスタはギルベルトの膝の上に乗り上げるような格好になっていた。
馬車が揺れる。
至近距離で、灰色の瞳と目が合った。
「……危ないので、暴れないでください」
低い声だった。
だが、その声はどこか不機嫌で、僅かに苛立っている。
エルネスタは頬を赤らめて、ギルベルトを軽く睨みつける。
「子供扱いされましたわ!!」
「あなたが無茶をするからでしょう」
「意地悪するギルが悪いのですわ!」
エルネスタはギルベルトの膝の上に乗ったまま、ぐっと左腕を伸ばした。
ギルベルトは、左手でエルネスタの腰をしっかり押さえたまま、右腕を高い位置へと逃がした。
ガゴン、と馬車が揺れる。
「……っ」
揺れた拍子に、エルネスタの身体がさらにギルベルトへ倒れ込む。
気付けば、鼻先が触れそうなほど距離が近かった。
エルネスタは息を呑む。
ギルベルトの灰色の瞳が、真っ直ぐこちらを見ていた。
その目は、狙撃のときみたいに鋭いのに、どこか、熱を帯びている。
「……ギル?」
「……」
ギルベルトは数秒黙り込んでから、低く呟いた。
「そんなに、あの男が気に入りましたか」
「……!」
エルネスタは、今まで感じたことのない、不思議な衝撃を胸に感じた。――自分の心臓の重力が、ギルベルトの方へ、ぐううっと激しく引きずり落とされるような。
能力は発動していない、はず――。
「どうしてそうなるのです!?」
かっと顔が熱くなって、エルネスタはギルベルトから離れた。
ふと、視界の隅――ギルベルトの足元に、紅く光るブローチピンを見つける。
エルネスタは、さっとそれを拾って、宝物を閉じ込めるように、手のひらの中へ仕舞い込んだ。
気まずい空気が、お互いの間に流れる。
ブローチピンを持ったままの手を、胸の前に添えて、ぷいっとエルネスタはギルベルトから顔を逸らした。
ギルベルトは、静かにため息をつく。
馬の、雪を踏む轍だけが、馬車の中を満たしていた。




