第15話 社交ダンスパーティの夜 ②
音楽に合わせるように、クロードはエルネスタの細い腰に手をあてた。
そして、彼女の耳元に顔を近付ける。
「きっと、練習相手が悪かったのでしょう」
クロードが穏やかに微笑む。
エルネスタは目をぱちくりさせた。
「まあ。ギルはダンスが得意ではありませんの」
無邪気にそう返した瞬間。
遠くで、カチリ、と小さな金属音が鳴った気がした。
だがその無機質な音は、豪奢な音色によって、すぐに掻き消される。
遠目から二人を見ていたギルベルトは、腹の底で、じりじりとした怒りを覚えていた。
耳がいいだけでなく、読唇術を心得ているギルベルトは、クロードが言い放った言葉を読み取っていた。
エルネスタに向けられた言葉なのに、どこか自分への挑発のように感じる。
落ち着かせるように、息をひとつ吐き出した。
クロードは、音楽に合わせてエルネスタをくるりと回転させた。
ふわりと黒いドレスの裾が花弁のように広がる。
「わあ……」
エルネスタは目を輝かせた。
自然と身体が動く。
まるで、自分が風になったかのようだった。
「素晴らしい」
クロードは穏やかに微笑む。
「身体が軽いのでしょうね。貴方は」
エルネスタは、きょとんとした。
「軽い……?」
「ええ。まるで空気のようだ」
その言葉に、エルネスタの胸がどくりと高鳴る。
能力のことを言い当てられた気がしたからだ。
けれどクロードは、それ以上は何も言わない。
ただ優雅に、エルネスタを導いて踊っている。
遠くから二人を見つめるギルベルトの瞳が、僅かに細められた。
(……何故、今の言葉を)
偶然か。
それとも――。
ギルベルトはクロードの足運びを見る。
やはり、気に入らない。
音が妙だった。
社交界の貴族らしく、洗練されている。
だが、磨き上げられた靴音の奥に、ひどく冷たいものが混じっている。
まるで、薄い氷の上を歩いているような。
そのときだった。
クロードがふと、ギルベルトの方を見た。
琥珀色の瞳と、灰色の瞳が、遠く離れた場所で交差する。
クロードは微笑んだまま、エルネスタへ語りかけた。
「貴方の護衛は、随分と過保護なようですね」
エルネスタはぱちぱちと瞬きをする。
「そうでしょうか?」
「ええ。先ほどから、一瞬たりとも貴方から目を離さない」
エルネスタは思わず、ギルベルトの方を振り返った。
ギルベルトは壁際に静かに立っている。
表情はいつも通り無愛想で、何を考えているのか分からない。
けれど――。
目だけは、ずっとこちらを見ていた。
エルネスタの胸が、くすぐったいように熱くなる。
「ギルは、優しいのですわ」
クロードは目を細める。
「なるほど。貴方は、あの男を随分と信頼しているのですね」
「もちろんですわ」
エルネスタは迷いなく答えた。
「ギルは、わたくしの一番大切な護衛ですもの」
一瞬だけ、クロードの笑みが、微かに止まった。
「……そうですか」
音楽が鳴りやみ、ダンスが終わる。
「ありがとうございました」
軽くお辞儀をするクロードに、エルネスタも慌ててお辞儀を返した。
エスコートするように、クロードはエルネスタの腰に手を添える。二人はダンスフロアから、ギルベルトの待つ場所まで戻ってきた。
「ギル! わたくしとっても上手に踊れましたのよ」
頬を上気させたエルネスタが、嬉しそうにギルベルトに話しかける。
「ええ。見ていました」
抑揚のない声だった。
「きっと、森でたまにギルがエスコートしてくれた成果が出たのですわ!」
「森?」
穏やかな表情で、クロードが尋ねる。
「はい。館の近くに森がありますの。ギルがよく連れていってくれるのです」
「そうですか……」
クロードは一瞬だけ、ギルベルトへ視線を移してから、エルネスタに目線を戻す。
「自然がお好きとは。豊かな感性と深い愛情を持った女性なのですね、エルネスタ様は」
エルネスタの顔が、陽だまりのように明るくなった。
「ありがとうございます。とても嬉しいですわ!」
ギルベルトは無意識に奥歯を噛み締めた。
「エルネスタ様。今夜の素敵な出会いに、感謝いたします」
クロードは片膝をついて、エルネスタの髪にそっと触れる。
ギルベルトの鼓動が逸る。
ジャケットの内側――左胸へ手を滑らせて、短銃を抜こうとした。
だが――。
すぐに、クロードはエルネスタから手を離す。
「まあっ。これはなんですの?」
エルネスタは、髪につけられたものに触れながら尋ねた。
「アレキサンドライトのブローチピンです。髪飾りとしてもお使いください」
「えっ? 頂けるのですか?」
エルネスタは驚いたように、藍色の目を大きく見開いた。
「ええ。お近づきの印に」
「わあっ! ありがとうございます」
エルネスタの頬が紅潮する。
静かに微笑んでから、クロードは立ち上がった。
「では、エルネスタ様。またお会いしましょう」
「はいっ」
エルネスタは満面の笑みで返す。
クロードは踵を返し、一瞬、ギルベルトを見て目を細める。
視線がぶつかった。
その矢先。
立ち去ろうとしたクロードの背に向けて、エルネスタが口を開く。
「クロード様」
「はい?」
振り返る。
エルネスタはドレスの裾をぎゅっと掴みながら、
「また、一緒に踊ってくださいまし」と言った。
引き金に指先を掛けていたギルベルトの手の感覚が、すっと、ぼやける。
「ぜひ。何度でも踊りましょう」
クロードは優雅に微笑んだ。




