第14話 社交ダンスパーティの夜 ①
社交ダンスパーティー当日。
朝から館の中は慌ただしかった。
「エル様、こちらを向いてください」
「髪飾りが曲がっています」
「ドレスの裾を踏まないようにお気をつけて」
次々とメイドたちに囲まれながら、エルネスタはされるがまま椅子に座っていた。
「……苦しいですわ」
コルセットを締められながら、エルネスタは情けない声を漏らす。
「淑女はこれくらい我慢するものです」
マーヤは容赦なく言った。
エルネスタは助けを求めるように、鏡越しに後方を見た。
部屋の隅には、黒い礼装姿のギルベルトが立っていた。
エルネスタは目をぱちくりさせる。
「ギル……?」
いつもの外套ではない。
黒を基調とした礼装に銀髪が映えて、どこか別人のようだった。
メイドたちが、そっと視線を逸らす。
「……似合いませんか」
ギルベルトが低く尋ねる。
エルネスタは数秒、口を開けたまま固まっていた。
ややあって。
「ずるいですわ」
「……はい?」
「わたくしより目立っています」
「いつもとそう変わらないかと」
「いいえ。なんだか……今日は妙に格好いいですわ」
ギルベルトが沈黙した。
メイドたちも口を噤む。
ややあって、ギルベルトが口を開く。
「……マーヤさん。やはり自分は外で待機します」
「待って、ギル」
エルネスタは椅子から立ち上がった。
そして、くるりとその場で一周回った。ふわりと黒いドレスの裾が翻る。
「シルヴェスタの家名に恥じないドレスですわよ? どう?」
ギルベルトは僅かに視線を逸らしてから、
「……お似合いですよ」
と一言だけ呟く。
エルネスタはぱっと笑顔になった。
マーヤは軽く咳ばらいをする。
「こちらまでお腹がいっぱいになりそうです」
メイドたちがくすりと笑った。
「では参りましょう」
エルネスタは颯爽と一歩を踏み出した。
その姿はいつものエルネスタとは違い、どこか洗練されていて、ギルベルトは静かに立ち尽くす。
エルネスタは怪訝そうに振り返った。
「ギル?」
「いえ」
ギルベルトはエルネスタの背を守るようにして、歩きだす。
館の外へ出て、馬車に乗った二人は、ダンスパーティーの会場へ向かった。
◇
馬車が止まり、エルネスタはギルベルトにエスコートされながら会場へと入った。
煌びやかなシャンデリアに音楽。色鮮やかなドレスを纏った貴婦人たち。
エルネスタは落ち着かなそうに、きょろきょろとあたりを見渡す。
その様子を後ろから見ていたギルベルトが、エルネスタに耳打ちした。
「エル様、大丈夫です」
エルネスタは微笑みながら、ギルベルトを見上げた。
「ええ。ギルが一緒ですもの」
ギルベルトは小さく笑う。
貴族たちの視線が、一斉にエルネスタへと集まる。
「まあ……」
「エルネスタ令嬢?」
「随分と……」
ひそやかなざわめきが広がっていく。
その一方で――。
二階の回廊から、一人の青年が静かにその光景を見下ろしていた。
黒い長髪に、冷えた琥珀色の瞳。
青年は、エルネスタの隣に立つ銀髪の護衛を見つめ、ふっと目を細める。
「……なるほど」
小さく呟いてから、薄く笑った。
エルネスタはテーブルの上にある、チキンに目を遣った。
(この前の晩餐会では食べられなかった……)
くるりと振り返る。
「ギル。あの料理、美味しそうですわ。一緒に食べましょう!」
「先に挨拶とダンスをされては。それが今日の目的かと」
ぎくっとしたエルネスタの眉が、ぴくりと動く。
「……マーヤみたいですわ」
「自分は彼女の代わりにはなれません」
淡々と告げる愛想のないギルベルトに、エルネスタは少しもやもやした。
(……わたくしは、ギルと美味しいものを食べたかっただけですのに)
そのとき。
周囲の雰囲気が変わった。
貴婦人たちの、ひそやかなざわめき。
「エルネスタ・シルヴェスタ公爵令嬢」
低く、落ち着いた声。
名を呼ばれたエルネスタは、はっとして振り返った。
そこには、優雅な佇まいをした貴族の青年が、柔らかな微笑みを湛えて、佇んでいた。
青年はエルネスタに近づき、片膝をついた。
そして、彼女の小さな手をそっと取る。
「はじめまして。クロード・ザハリアスと申します。どうぞお見知りおきを」
そう言って、エルネスタの手の甲に軽くキスを落とした。
周囲の貴婦人たちから、感嘆の息が漏れる。
クロードはゆっくり立ち上がる。
エルネスタは大きく目を見開いて、小さく息を漏らした。
しばらくクロードを見つめていたエルネスタだったが、思い出したように、小さな肩が揺れた。
「は、はじめまして。クロード様。こちらこそお見知りおきを」
エルネスタはドレスの裾を摘まんで、軽くお辞儀をした。
一方、ギルベルトは無言のまま、クロードを見下ろしていた。
灰色の瞳から、先ほどまでの柔らかな色が消えている。
クロードはおもむろに、ギルベルトの方へと視線を移した。
「貴方が、噂の護衛ですか」
「……ただの狙撃手です」
「なるほど」
クロードは微笑む。
「随分と、大切に守られているようだ」
その言葉に、ギルベルトの指先が僅かに動いた。
――カチリ。
手元で、小さな金属音が鳴る。
エルネスタは珍しく、その音に気付かなかった。
がやがやとした周囲の雰囲気もあるが、何より、高揚していたからだ。
今年で十二歳になったエルネスタは、数回、社交界へ顔を出しているが、向こうから親切な挨拶をされたことは、初めてだった。
(せっかくだから、何か話をしなきゃ……)
ザハリアスは確か侯爵家だ。
学者肌が多く、国の研究施設に貢献している人物も少なくないと聞く。
だが――。
政財界に疎いエルネスタが背伸びして、この手の話を切りだしても、墓穴を掘るような気がした。
「えっと……クロード様がお好きな食べ物はなんですか」
これが、エルネスタの精一杯だった。
クロードは一瞬目を瞬かせたが、柔らかく微笑んだ。
「そうですね……肉料理が好きです。羊、鹿、鶏あたりでしょうか」
エルネスタの顔がぱっと明るくなった。
「わたくしも肉料理が好きですわ!」
「気が合いますね。何かもう、食べられましたか」
「いえ、まだ何も」
クロードは軽やかな手つきで、テーブルの上の大皿に置かれたチキンを切り分け、小皿に取り分けた。
そしてそれを、エルネスタに差し出す。
「どうぞ。エルネスタ様」
「あ、ありがとうございます! クロード様は?」
「私も一緒に頂きましょう」
エルネスタは嬉しそうにチキンを口へ運ぶ。
「美味しいですわ!」
クロードが微笑む。
「それは良かった」
エルネスタは振り返った。
「ギルも食べます?」
ギルベルトは無言のまま、クロードを見ていた。
「……自分は結構です」
低い声だった。
クロードはふっと目を細める。
「警戒心が強いのですね」
「仕事ですので」
ふと柔らかく華やかな、バイオリンの音色が響き渡った。
会場の上手では、ちらほらと貴族たちがダンスを踊りだしている。
「おや」
クロードは持っていた皿を、テーブルへカタリと置く。
「気が合う記念に、私と一曲、踊っていただけませんか。シルヴェスタ公爵令嬢」
「ふぇっ……」
エルネスタの肩に力が入る。
クロードは小さく傾げた。
「どうされました?」
「あ、えっと……」
エルネスタは前で指を組み替えながら、もじもじする。
ギルベルトの肩が僅かに揺れる。
クロードはギルベルトを一瞥して、目を細めた。
そして中腰になり、エルネスタの顔を覗き込んだ。
「……お嫌ですか」
その矢先、ギルベルトはジャケットの内ポケットの奥――左胸の脇に革製のホルスターで固定された黒い短銃へと手を滑らせた。
視線はずっとクロードを捉えている。
エルネスタは慌てて首を横に振った。
「いえ。お嫌など滅相もありませんわ! ……ただ、わたくし練習でしかダンスを踊ったことがありませんの」
クロードはにっこりと笑う。
「安心しました」
「え?」
「私とのダンスが、お嫌でなかったことです」
クロードは、エルネスタの小さな手をそっと取る。
「誰しも初めは初心者です。恥ずかしながら……私は二十六にもなって、全く上手くは踊れません。どうかそんな私と、練習だと思って、一緒に踊りましょう」
「はい……」
エルネスタはクロードへ連れられて、ダンスフロアの方へと歩いていった。
「あら。ザハリアス侯爵よ」
「一緒に居るのは……たしか、シルヴェスタ公爵令嬢」
貴族たちの視線が、エルネスタたちへ集まる。
ギルベルトは指先を安全装置にかけたまま、二人の踊る様を、鋭く射抜くように見つめる。
クロードの音が、出会った時から気に入らない。
軽やかなのに、どこかねっとりしていて、ただならぬ気配がある。
エルネスタに危害を加える素振りを見せれば、人目もはばからず引き金を引くつもりだが、今のところクロードに不審な動きはない。
それどころか――。
にこやかな表情で、彼女を導くように踊っている。
しかも……。
今日のエルネスタは上手に踊れている。
平常時――いや、マーヤとのレッスン時よりも動きが滑らかで、ぎこちなさが全くない。
「お上手ですね、エルネスタ様」
躍りながら、クロードが話しかける。
「ふぇっ……。そ、そうでしょうか」
「ええ」
エルネスタ自身も、無理なく踊れている感覚があった。
なにより――。
褒められた。……初めて。
エルネスタは嬉しそうに、ふふっと笑う。
それを見ていたギルベルトの胸が、ぎゅっと締め付けられた。
次の瞬間だった。




