第12話 静寂の中心
翌日。
エルネスタは自室のベッドに横たわっていた。
「エル様、いかがですか」
マーヤは、エルネスタの額に置いた氷嚢を取り換える。
引きちぎれたドレスのまま、凍銀の森へ向かったエルネスタは風邪を引き、熱を出してしまった。
「わたくしは平気ですわ。ギルは?」
「お部屋に軟禁しております」
「な、軟禁ですって……?」
がばりと起き上がる。額の上の氷嚢が落ちた。
「彼も傷を負っています。放っておくと無理をしそうなので、軟禁しているだけです。お気になさらず」
マーヤは淡々と答えた。
「ギルは……頬以外にも傷を?」
「ええ。片腹も銃弾を掠ったようで」
あのとき。自身を守る背中からは、怪我をしていたことなど全く気付かなかった。エルネスタは不安げに視線を落とす。
「重症ではありません。大丈夫ですよ」
エルネスタはマーヤを上目に見た。
「……マーヤ。怒ってますの?」
マーヤはため息をついた。
「……怒っていないと言えば、嘘になります。けれど」
一拍置いてから、言葉を続ける。
「エル様とギルベルト様が無事に帰って来てくれて、本当に良かったです」
少し掠れた声だった。
「ありがとう」
エルネスタはマーヤの手を、そっと取った。
そのとき、扉をノックする音が聞こえた。
「エルネスタよ。入るぞ」
父の声だった。
「どうぞ」
父と母が部屋へと入ってきた。
マーヤはエルネスタを一瞥してから、「では、失礼します」と言って、部屋を退出する。
「身体は大丈夫なのか」
「はい」
しばらく、沈黙が流れる。
「お父様」
先に口を開いたのは、エルネスタだった。
「どうしてギルを危険な場所へ向かわせたのですか」
エルネスタの瞳は真っすぐだった。
父は言葉に少し迷ったあと、おもむろに口を開く。
「ギルベルトは、この家の……お前の護衛として雇っているが、この国にとって、有能な兵器だ」
「兵器……」
エルネスタの眉が、ぴくりと動く。
「……言い方が悪かった。戦士だ」
再び、重い沈黙がおりる。
「凍銀の森の任務は国家案件。……あれ以上適任が居なかった」
エルネスタは父を睨みつける。
「エルネスタ。お父様を責めないで。私たちだって、ギルベルトを行かせたくはなかったの」
母が言う。
「彼に伝えた時、本人は自分の意志で向かうと言ってくれた」
「本当に、ギルベルトが戻って来てくれて良かった……」
父が掠れた声で言った。
それでもエルネスタは納得がいかない。
小さな手を、ぎゅっと握りしめる。
「それにしても……エルネスタ。どうしてあんな無茶を」
「貴方がぼろぼろの姿で帰ってきたとき、胸が張り裂けそうだったのよ」
エルネスタは両親を真っすぐに見据えて、きっぱりと告げる。
「わたくしは、ギルが居ない世界で、生きたくはありませんわ」
両親は驚愕した。
だが、何も言い返せない。
そんな圧と気高さが、エルネスタにあった。
いつも不安げに、「ふぇっ……」と怯えていた小さな娘と、同じとは思えないほど。
「もう二度と、ギルをわたくしから奪わないでください」
「……」
両親は呆然とした様子で、エルネスタをしばらく見つめていた。
しばらくして、父は踵を返し、エルネスタに背を向ける。
「……わかった」
小さくそう言ってから、両親は部屋を出て行った。
両親の足跡が遠ざかったのを聞き届けてから、エルネスタはベッドの足元にいるドミトリに、小さく声をかける。
「……ドミトリ。ベッドの上へ」
「くぅ~ん」
ドミトリは鼻を鳴らし、ベッドへ上って来た。
代わりにエルネスタは、ベッドから抜け出る。
そして、毛布をドミトリに掛けて、エルネスタは部屋を出た。
目を瞑る。
人の音、気配がないルートを選んで、ギルベルトの部屋まで向かう。
誰と鉢合わせることもなく、ギルベルトの部屋の前に辿り着いた。
周囲に誰も居ないことを確認してから、一番近くの外扉から、外へと出た。
ギルベルトの部屋の窓際に回り込む。
トントン。
拳で軽く窓を叩いた。
しばらくすると、カーテンが開く。
ガラス越しに、ギルベルトと目が合った。
エルネスタはにっこりと微笑んだ。
ギルベルトは驚いたように、少し目を見開いたが、そのまま窓をそっと開ける。
「ギル!」
エルネスタは名前を呼びながら、窓から部屋へと入った。
小さな身体のエルネスタだからこそ、すんなりと入れる。
「エル様……! 熱があるのでは?」
上半身に痛々しく包帯を巻かれたギルベルトが、勢いよく尋ねた。
普段よりも、表情に熱があるのは気のせいだろうか。
エルネスタは、ふと思う。
「ギルの様子を見に来ましたの」
「エル様は病人でしょう。部屋で安静にしてください」
「ギルだって怪我人ですわ。包帯でぐるぐる巻きじゃない」
一歩も引かなそうなエルネスタに根負けしたように、ギルベルトは小さくため息をついた。
「……大した怪我ではありません」
「ねえ、ギル」
エルネスタは真っ直ぐにギルベルトを見た。
「自らの意志で、凍銀の森へ行くと言ったのは本当なの」
ギルベルトは口を噤む。
ややあって、「本当です」と答えた。
「本心では行きたくなかったのでしょう」
ギルベルトは黙り込んだ。
沈黙が漂う。
エルネスタは、ギルベルトから目を逸らさない。
「わたくしは、少しだけ怒っています。ギルが私に何も言わずに向かったこと」
ギルベルトの灰色の睫毛が僅かに揺れる。
そして、ゆっくり口を開いた。
「行きたくなかった。なにより――」
一拍間を置いてから、続ける。
「エル様から、目を離したくなかった」
その言葉を聞いた瞬間、エルネスタの胸に、じんわりとした熱が込み上げる。
小さな怒りは、春の雪解けのように消え去っていった。
エルネスタはそっと歩み寄り、包帯を巻かれたギルの身体に、今度は痛ませないように優しく、けれど強く抱きついた。熱のあるエルネスタの身体が、ギルベルトの冷えた心を芯から温めていく。
「……約束してください。もう二度と、わたくしに黙ってどこかへ行かないと」
ギルベルトは一瞬、自分の大きな手が主人の背中を汚してしまわないか躊躇うように宙で止める。
けれど次の瞬間には、その小さな身体を強く抱きしめ返した。
「――約束します。俺の、生涯の標的」
窓の外では、凍銀の森から吹く冷たい風が館を揺らしている。
けれど、この音が消えた部屋の中心には、世界で一番安全な、二人だけの静寂が満ちていた。
――第一章・完――
ブックマーク&評価をいただけますと、とても嬉しいです❀




