第八話『奴隷市場』
12歳の春になった。背丈が伸びたと同時にこの街がどういう風に動いているかも少し理解できるようになっていった。わたしは18歳になるまで孤児院にいることが決定している。相変わらず孤児院では、みんなとは仲良く出来ず、ライラとだけ話しているけれど。それでもみんなとは事務的に会話をしてうまくやっている。
ライラのくれた《都市伝説》という文字が彫られたクリスタルは今でも宝物だ。あれがもしかしたら本当のことかもしれないという疑問が浮かんだのはちょうどこの頃だった。
わたしの暮らしている孤児院から学校までは遠い。ヴィマナで通学できるほどのお金もないので徒歩で通っている。アトランティスは同心円状の大陸で、大陸の中心部へ行くためには必ず橋を通る。わたしの学校は中心のほうにあるので通うのは少し大変だ。この国の運河は王宮から外海までつながっていて、その一番大きい運河の名前を人々は《ポセイドンの大運河》と呼んだ。
ここには世界中から富や奴隷、そしてゴールドを運んできた超巨大な鉄の商船や、軍事用ヴィマナが何千隻も停泊している。
『奴隷』という存在を知ったのは最近で、これまで幼かったわたしは意識もしてこなかった。
奴隷が乗せられている商船は、王宮に連れ去られ、地底の最深部《ポセイドンの遺伝子工学・メドゥーサのマザーラボ》にて人体実験される。あらゆる生物を人間の遺伝子と掛け合わせ、新しい生物を生み出し、科学を発展させようという狂った計画だ。
そんな狂った街の中で、わたしは今学校に向かっている。陽光を反射してきらきらと輝く運河沿いを歩いていると、それまでの整然とした街並みから一転して、熱気と異臭の混ざり合う区画へと迷い込んだ。
そこは、頑丈な鉄格子と太い鎖が幾重にも並ぶ、異種族の奴隷市場だった。
大きな水槽が嵌め込まれた檻の中では、自慢の尾鰭をすっかり濁った水に浸した人魚が、力なく虚空を見つめている。その隣の広い敷地には、引き締まった馬の半身を持つケンタウロスたちが、逃亡防止のオルハリコンの鎖で繋がれ、足を踏み鳴らしていた。
さらに奥の薄暗い檻には、人間を遥かに凌ぐ巨躯を持ったミノタウロスが、鼻に太い鉄輪を通され、荒い息を吐きながら重い頭こうべを垂れている。
人魚に関しては前に本で読んだことがある。人魚の仕事は、三重の巨大な運河ネットワーク(水中インフラ)の清掃、海底の資源(金やクリスタル)の採掘、そして水中の巨大建築のメンテナンスを行うために、人間の上半身にイルカや大型魚類のDNAをハメ込んで作られた、水中作業特化型の『アクア・ギーク(水陸両用)』と呼ばれる奴隷だ。
アトランティスという奇跡の都の足元で、彼らはただの『商品』として、品定めをする買付人たちの目に晒されていた。
「いらっしゃい嬢ちゃん。お小遣いで一頭どうだい?」
髭を生やした小太りの商人がわたしに話しかけてくる。
「いえ、わたしにはお金がないので」
「そうかい。またお小遣いを貯めたら考えておいてね」
その小太りの男の背後には、鉄格子と水槽があり、エメラルドグリーンのキラキラした長い髪と、ボロボロの尾鰭を持った人魚がもの悲しげな顔で泳いでいた。言葉は喋れるのだろうか? わたしはまだ、この街にいるキメラのことをよく分かっていない。
本当に狂っている。この街の人たちは正気じゃない! そんな叫びが胸の中いっぱいに広がっていく。ふと視線を別の商店に向けると、そこには檻の中で、鎖を繋がれている『わたしよりも幼いショートカットの女の子』がいた。ここにいる生き物たちは、みんな遺伝子を掛け合わせたキメラ。なんで人間の女の子が売られてるの???? 激しい憤りと、ふつふつと煮えたぎる怒りで、わたしはその店の商人の胸ぐらを
──躊躇なく、掴んだ。
「あんた自分がなにやってんのか分かってんの!?」
「はぁ」
頭にきょとんとハテナマーク。その男は瘦せていてノッポで如何にも世の中のことなんて知りませんけど? という間抜けそうな顔だ。こんなやつが。こんなやつが。こんなやつが。
奥歯をギシギシと噛みしめる。今にも頭の血管が切れそうだ。
すると、わたしの怒鳴り声がまわりに響いたのか、他の商人や買い付け人たちがゾロゾロと集まってきた。
「なになに? 喧嘩?」
「人魚たちがおびえてストレスがたまるじゃないか。人魚は音に敏感だから気を付けてね」
「お嬢ちゃん学生? 早く学校に行って、王宮のために税を納める立派な大人になるんだぞ」
集まってきた商人や買い付け人たちの的外れな言葉にわたしはもう憤りを隠せなかった。
「あんたたちそれでも人間?! 目の前に女の子が鎖でつながれていて、これを見て何にも思わないわけ!?!?」
喉を傷めつけるぐらいの大声。この世界を呪いたくなってしまう絶望感。この大勢の人間から衆目に晒されることに、もう恐怖なんてない。毎日通っていた道だけれど、その光景はもう看過できない領域だった。だって、自分と年齢もさほど変わらない女の子だったから。
そんなわたしを見て、商人や買い付け人たちは小さな女の子を諭す言い方で
「お魚さん、お馬さん、牡牛さん、可哀そうだよね。だけど王宮のために立派なお仕事をするんだよ?」
人魚のことを魚、ケンタウロスのことを馬、ミノタウロスのことを牛と言っているのだろう。
「飼い主の愛情をいっぱい受けて、毎日エサも与えられて何不自由なく暮らしてるんだ。家族だよ」
「そこの女の子も、人間の子じゃないんだ。あれはね。サーベルタイガーと人間のキマイラで、王宮の方たちがもう使えない欠陥品だって言って、わたしたち商人に譲ってくださったんだよ」
立派な仕事? 愛情? 何不自由なく? 家族? 欠陥品?
大声で怒鳴りそうになったけど、わたしの声は喉元で引っかかる。この狂った世界では、わたしの方が狂っていて、わたしのほうが異常なのだ。だけど、こころの中で思っていることを反芻してしまう。
他の国から拉致してきた人間をキメラに改造して、ずっと昼しかない世界で働かせる、それのどこが愛情? 檻の中にずっと監禁されるどこが自由? 命を競りにかけて何が家族? おまけにこの子のことを欠陥品だと言って、ロクに見ようともせず、買い付け人の顔色ばかり窺っているのが、心底気持ち悪くて吐きそうだった。
すると──鎖につながれていた女の子は、瞳いっぱいに涙をためて、声にならない声を出す。
「あ……う……っ」
その声は言葉が発せずとも、助けてという信号に感じ取れた。女の子の胸元には0マークの値札。
「ほら。君と少ししか歳も違わないのにお喋りも出来ないんだよ? 人間でいうと10歳ぐらいの見た目かな? 人間ならもう喋れるよね?」
「もういい。あんたたちと喋ってたら気が狂う」
わたしは一刻も早くこの場から離れたかったが、女の子と目が合ってしまい、石のように硬直してしまう。この狂った世界で導き出される答えはひとつしかなかった。
わたしにはお金がない。だからここにいる奴隷たちを全員買い占めて、自由にさせてあげる力がない。だけどこの子なら──。
その女の子に貼られている0の値札を見て思うこと。これから先、きっと誰も買い手が見つからなくって、檻の中で衰弱死してしまうことは一番したくない想像だけど、容易に想像できた。愛されているはずがない。その女の子のやせ細った腕と、足と顔色の悪い様子を見て決断する。
「その子、わたしがもらう。学校には連れていけないから帰るときにまたここにくる」
わたしは胸ポケットからお昼に食べようとしてた一切れのパンを鉄格子の隙間から女の子に渡した。女の子はニコッと微笑み、ガブガブと特徴的な八重歯を使ってパンを齧った。




