第七話『シスターライラ』
それからの日々は、孤児院で過ごし、学校へ行くという二足のわらじだった。孤児院は、ベリアル聖教について教えてくれる。アトランティスは、国家、政府が福祉を万全にできる予算がない。だからベリアル聖教会がバックアップして社会福祉法人を作ったり、牧師やマザー、シスターが身寄りのない子たちを預かって、その人たちが里親のようになってくれる。
そしてここでのわたしの振る舞いは、絶対に王宮の人間であることがバレてはいけないという決まりだ。もし、王宮の人間であることがバレでもしたら、十分に豊かな暮らしができるというのと、親がいるということがバレてしまう。
わたしの両親は二人とも死んでしまったというウソをつき、この孤児院でお世話になることにした。はじめてここに来てからしばらく経った頃のこと。孤児院での生活はあまり楽しいものではなく、みんなと打ち解けるどころか、壁を作って誰とも関わらないようにした。そんな自分に一筋の光明が差す。ほかの子どもたちが遊んでいる中、わたしが唯一打ち解けることができたのはライラというシスターだった。シスター・ライラは、この孤児院のマザーやほかの牧師と違って、良い意味で仕事にたいして真面目じゃない。それが生まれて初めてわたしにとってのカルチャーショックとなった。
「リンコちゃん。神様って信じる?」
「なによそれ……。修道女なのに神様を信じてないわけ? ライラは」
わたしたちは孤児院の喧騒から離れた中庭にいた。そこは驚くほど静かで、まるで時間が止まっているかのようだった。
頭上を覆う巨木の枝葉から、柔らかな木漏れ日がパッチワークのように石畳を照らしている。石造りの古いアーチの向こうでは、小さな噴水が途切れることなく白い水飛沫を上げていた。サラサラと響く心地よい水の音と、湿った苔や青葉の匂いが、張り詰めていた心を不思議と解きほぐしていく。蔦が絡まる古びた回廊の影で、シスターライラの穏やかな声が、水音に混ざるようにして私の耳に届いた。
「いやあ、ね? ほらわたしって好奇心旺盛だから。実際に目で見たものじゃないと信じられないの。昔、宇宙の本とか、科学の本で見た星空が忘れられなくってね。神様が本当にいるのなら、教義とは違うことだとしても、優しく大らかにすべてを許してくれると思うわ」
「わたしもそう思っていた時期があったわ。けれど昔、星空の本を読んでいたらお父様に怒られた……」
ライラはその性格と見た目にギャップがあった。ヴェールの下からこぼれ落ちる、腰まで伸びた圧倒的な銀髪。まるで星の光をそのまま溶かし込んだようなその髪が、風に揺れてきらきらと輝いている。黒い修道服に包まれた華奢な体躯と、神秘的な銀髪のコントラストは、まるでこの瑞々しい中庭に舞い降りた精霊のようだった。ライラはわたしの目をじっと見つめる。その目はアメジストのようで、神秘的な紫の光を帯びている。ちゃんと真面目に仕事しそうな見た目なのに……。
「へえ。お父様に……」
お父様に怒られたと言った瞬間、しまったと思う。余計なことを言って、墓穴を掘らないようにしなきゃ。両親が死んだというウソでここに来たのだから。
「お父様の話はもういい……。それよりライラ! あんたのその子どもの頃にみた本の内容どんなだったの?」
「うーん……そうね。宇宙人の話とか?」
「宇宙人!?!? そんなのいるわけないじゃない!」
「あははっ……。そうだよねえ! わたしだって本気で信じているわけじゃないけど、神様がもし宇宙人だったら面白くない?」
平気で、教義に反したことを言う。ベリアル聖教では、この宇宙には太陽と地球しかないという教義。当然、宇宙人なんているはずがない。わたしが両親と暮らしていたころ、ヴィマナをUFOだと言って怒られたことがあったことを思い出した。
「ライラ、あんたね。話す相手がわたしだから良いものの、敬虔なベリアル聖教の信徒だったら迫害に合うレベルよ」
「けど、リンコちゃんはわたしの話、きちんと目を見て聞いてくれる」
ライラは妖艶な表情でわたしを見つめる。その吸い込まれそうな瞳に思わず見とれてしまった。思わず顔が熱くなる。前言撤回!! きちんと仕事しそうなどころか、男を惑わす色気みたいなのがある!
「べっ、別に。ちょっと面白いなって好奇心に思っただけ」
「ね! 面白いでしょ? 人はやっぱり好奇心とか知りたいって欲望には勝てないと思うの。それを押さえつける権利なんて誰にもないわ」
にこっと笑うライラ。
「確かにそれは分かるけど……。でも常識的に考えて、創作ものとかでも、宇宙人って、このアトランティスとか地球とかを侵略しに来るものでしょう? それにベリアル聖教は、この地球が世界の中心で、宇宙には地球と太陽しかないっていうのが教えでしょう?」
「まあ、そうなんだけど。王宮のクリスタルなんかは、人間の精神エネルギーだけじゃなくって、星からのエネルギーを吸収して動いてるって噂もある」
「陰謀論じゃん」
「あははっ──。……けどね、誰も説明できないじゃん!!」
わたしはライラの話を妙に納得してしまった。確かに、エーテルのエネルギーでずっと昼間みたいに明るい世界だ。誰も太陽が沈んでから暗くなったところを見たことがない。カーテンを閉めたら部屋が暗いという概念はある。けれど、誰も夜空を見たことがないから、そこに星があるかどうかを証明できないのだ。
【──ありもしないものを信じたり、手を伸ばそうとするのは愚かなこと。】
ならばこの目で直接、夜空を見てみたいという気持ちは膨らんでくる。たしかなものにすれば、たとえ星空がなくたって、それは美しいだろうから。
ライラと喋ってたらダメになる。捨てたはずの感情が蘇ってくる……。
「地下街の人たちは、星があるって言ってるみたい。信じてるというより、知っているって感じだね」
「地下街の人間は悪いやつらよ! 妄言に決まってるじゃない! ライラ……。あんた、さすがにそれは発言としてやばいんじゃない?」
「良い悪いとかじゃなくて、もし本当だったら面白いなってこと! こういうの好きなんだ」
ニシシッ! と悪いブツでも差し出すような感じでクリスタルをわたしの手元に押し付けてくる。クリスタルには都市伝説という文字が彫られていた。
「ここから遥か東にあるムー大陸。かわいい妖精から怖いバケモノまで、いっぱい出てくる。かわいい妖精さん多めかな。だからリンコちゃんこういうの好きだと思う」
「ぐ……っ」
わたしがメルヘンなことバレてる。かわいい妖精が出てくるなら仕方がない……
「って──、ほだされないわよ! だって、こういうのって異教徒が信じるものでしょう?」
「信じるとか信じないとかじゃなくって。こういうのはエンタメとして楽しむもんだぞー。いいから受け取っておきなさいって! リンコちゃんは真面目過ぎるから肩のチカラ抜くのも時には重要」
もっともらしいことを言う。けれど、今までわたしの見てきた世界はお父様とお母様から教わったことだけだから、わたしの見ていた世界が狭かったのだろう。知らない世界は怖いけれど、ワクワクさせてくれる。わたしの震える手を『大丈夫だよ』と言ってライラが沖の方まで連れて行ってくれる。この海の向こうに、この空の向こうに。もし、おとぎ話のような世界があったら……。そう考えると胸の高鳴りが止まらない。
それがもしも、開けてはならないパンドラの箱であったとしても、
好奇心には勝てない。
【──ありもしないものを信じたり、手を伸ばそうとするのは愚かなこと。】
その言葉はライラと話すことで、どんどん小さくなってくる。ライラは絶対に愚かじゃないから。
もしかしたら、存在するかもしれないのに、最初から『ないもの』としての烙印を押すのは絶対に違う。
「ライラ。わたしって真面目かな……。ただ、他人に嫌われたくないだけだと思う。ライラにも嫌われたくない……」
言っていて恥ずかしくなった。これじゃあ、『ライラのことが大好きです』って言ってるようなものだ。オリハルコンに触れてもいないのに、さっきから心拍数が上がっている。ドクドクと血管の脈打つ音が頭の中で鳴り止まない。だめだ……。顔も、耳も熱い。
学校でも孤児院でも浮いていて、友達なんかいないし、お父様とお母様にも捨てられたわたしに唯一できた大切な人。
「リンコちゃんってすごく可愛いよね。その反応は、反則だよ」
「っ──。いきなり何言ってんのよ!!!」
もう目なんて合わせられない! 視覚も、聴覚も、サラサラと静かに流れる噴水のほうへ向けて誤魔化す。そんなわたしを見てライラはほっぺたを指で突いてきた。びくっ──と脊髄反射で動いてしまう。心臓に悪すぎる……。
「素直じゃないんだから。わたしはリンコちゃんのことが大好きだよ」
「わたしも……その……」
人に好きと言ったことがないので躊躇ってると。
「素直に言った方がラクになるんだけどなあ。わたしは絶対にリンコちゃんのことを嫌ったりしないよ?」
「あの……その……すき……です……」
「うん。よくできました」
ライラがわたしの頭を撫でる。頭の先からつま先まで、暖かな光に包まれるような高揚感。こうやって、誰かに頭を撫でられたことがないから、ちょっと泣いてしまいそうになる。大げさだと思われるから涙なんて引っ込めるけど!
「わたし、リンコちゃんを好きな理由って『常識を疑う』そんなところだと思う」
「なによ。それ。わたしなんて結構、常識に惑わされるというか。常識人間というか……」
「そうなろうと必死に取り繕ってるだけ。目を見れば分かる」
否定できない……。その何でも見通す『紫色の透き通った目』で見つめられると、わたしの全細胞が降伏してしまう。確かに、何度も常識に従おうとしても、お父様とお母様に認められなくって捨てられたんだ。常識が向いていないのは確かだろう。
「このアトランティスって夜空を覆い隠したり、上級国民じゃないと海の向こうにも行けない。世界地図だって国民には非公開でしょう?」
「う、うん」
「だけど、反重力で動くヴィマナがあったり、人の手でつくられた、ケンタウロスや、ミノタウロス、スフィンクス、人魚や巨人なんて、他の世界の人たちから見たら、おとぎ話のように見えるかもしれない」
──なぁんてね。
ライラはそういうと、石造りのアーチへと足を運び、
『そろそろご飯の支度しなくっちゃ。リンコちゃん。この話は二人だけの秘密ね』と言って、孤児院の食堂にあるキッチンへと向かって行った。
たしかに、昔にはなかった技術がこのアトランティスではどんどん作られている。なのに情報を非公開にしたり、なかったことにする《見えないチカラ》が働いてるように思えた。ライラと出会って、わたしは初めてこの世界の仕組みを疑った。




