第九話『学校』
わたしは奴隷市場を立ち去ったあと、学校に到着した。いつものように下駄箱の中に靴を入れ、上履きに履き替えて、教室へと向かう。教室の中に入ると、見慣れているのに異様な光景が広がっている。生徒全員がオリハルコン製のヘッドギアをつけ、着席していた。綺麗に等間隔で並んだ生徒たちに不気味さを覚える。最近のわたしはというと、遅刻はしないけど、時間ギリギリに教室へと入るので、悪目立ちしている。
自分の席へ着くと、オリハルコン製のヘッドギアを頭に装着し、うなじの穴にクリスタルの教科書をプラグインする。
チカ、と耳元で小さな駆動音が響き、頭部に装着したヘッドギアが起動する。
木製の机が並ぶ教室の宙に、色鮮やかな天体のホログラムが次々と浮かび上がった。しかし、それらはロマンチックな宇宙の神秘などでは決してない。星や天体というのはこの世界にとって、あくまでデザインである。
よく見れば、球体の表面を埋め尽くしているのは、網膜が痛くなるほどにびっしりと並んだ、左脳を刺激する無機質な幾何学模様と計算式のデータだった。
地質学の数値、気象制御のロジック、重力計算の関数──。
政府が求めているのは、世界への探求心ではなく、ただ都市を維持するためだけの効率的な『計算機(従順な生徒)』だ。
頭上の疑似天体から降り注ぐデジタルの光は、まるで生徒たちの思考を縛り付ける檻のように、冷たく教室を照らし出していた。
オリハルコンアレルギーのわたしは40分も持たずに倒れてしまうので、いつもクラスメイトの格好の的となる。
『あいつさぁ、すぐにぶっ倒れるから、王宮への忠誠心が足りないんじゃねぇのぉ』
『しぃ──聞こえるってば──』
嘲笑や、陰口や、私物を壊されたりするのは日常茶飯事なので、いつも通り無視して背筋を伸ばす。
すると、教卓の上にいる先生が授業を開始する合図を送った。
「みなさん。右脳を閉じてください! ひらめきやアイデアなんてものはこのアトランティスには要りません!」
「「「「「「「はぁい」」」」」」」
「えー。出席番号27番。ルーズベルトくん!!」
「はい!」
「教科書の7452ページにある。ひらめき、インスピレーションを使った人間たちに神の天罰が下ったとありますが、この方々の何が悪かったでしょう?」
「はい! 先生! 人間は神にはなれません。多神教なんてもってのほか、ひらめきやインスピレーションは、唯一神ベリアル様に背く考えです。人間のアイデアなんて神からみるとちっぽけなもの。人間が神に近づこうなど傲慢な考え。だから、悪いのです」
「「「「おおおおおおぉ」」」
クラスに熱気の渦と、拍手喝采が巻き上がる。
わたしもそれに倣って適当に歓声をあげる。あくまで普通と自然体を徹底していれば、これ以上クラスメイトの嫌がらせはエスカレートしない。
と、思ったのだが。
(何なのよ。これ……)
さっきの7452ページのひらめきとインスピレーションのページが、数学の教科書《重力計算の関数》になっていた。
あたりを見回すと、クラスメイトがニヤニヤと意地の悪い表情で笑っている。ああ、やられた──。わたしが学校に着く前に、机の引き出しの中にある国語の教科書を数学にすり替えられたのだ。これならイジメとして物的証拠も残らないし、わたしの不注意という責任になる。まあ、置き勉していて隙を作ったわたしも悪いけど……。
「あ! 先生! リンコちゃんが答えたがっていまーす」
クラスメイト全員が、待ってましたとばかりに喚き散らす。こいつらの喚き声は、不協和音だ。ノイズだ。胸にグサグサとナイフのように突き立てられる声は、もう毎日のように起こっているので、鬱陶しいハエが飛んでいる──ぐらいにしか思わない(それがけっこうウザいんだけど)
『よー。未来の特殊部隊の総司令官~』と皮肉めいた言葉を投げかける者もいる。わたしが特殊部隊へ入隊するための選択科目の授業を受けていることをコイツらは知っている。わたしの成績を落とすためならどんな手段も使う奴らの冷やかしだ。バカにしている。
「──リンコさん、では教科書の95742ページの、アトランティスのトップ層とミドル層とボトム層についての記載なんだけど。そこのページの朗読をお願いできるかしら?」
「はい」
わたしは強くなった。あれから、たゆまない努力を重ねてきた。
だから──
わたしは席から立ち上がって、脳内の記憶を辿り、教科書の95742ページを誦じた。
「……第1節、トップ層。『永久なる数理の源泉たる王宮』。
大陸の中心、完全なる同心円の起点に座するオリハルコン王宮は、地球上に存在する全ての『重力関数』および『反重力マトリクス』を完全制御下に置いている。
偉大なる王族と神官団は、エーテルとクリスタルを媒介とした超定常エネルギーシステムにより、天上に『永続する昼(恒久光ドーム)』を構築し、夜という原始的な混沌を我が全土から完全に排除された。
宇宙の果てに何かが存在するという未科学の都市伝説を排し、この完璧なる数理グリッドの頂点から下界を正しく導くことこそ、絶対的能力者にのみ許された神聖なる格付けである──
……第2節、ミドル層。『数理の恩恵を受ける特権市民』。
我ら地上の正統なる市民は、王宮より定時配信される高密度クリスタルエネルギーの供給を受け、反重力インフラによる何不自由ない文明的特権を享受している。
我々の義務は、ヘッドギアより配信される最適化周波数と脳波を完全同期させ、提示された能力主義の生産性レースに歓喜をもってログインし、自らの労働エーテルを国家へ最大効率で還元することにある。これに応えることこそが、洗脳なき『知性あるエリート市民』の証明である──
……第3節、ボトム層。『最下層の社会的不適合者』。
帝国の完璧なる数理周波数に適合できず、脳内の論理コードに致命的なエラー(龍のOS)を抱えた怠惰なる不適合者どもは、すべて最下層の地下街へと隔離される。
彼らは重力関数の美しさを理解せず、暗黒のストリートにおいて『大調和』などという非科学的な妄言を唱え、生産性のない退廃的文化に耽溺する社会のバグである。健全なる帝国市民のタスクは、これら社会のクズどもを厳格に管理・排除し、この永久なる光のピラミッドを断固として守り抜くことである。──以上、教科書95742ページ、全文を終了します」
わたしが一言一句間違えることなく読み上げた後、教室中が静まり返った。クラスメイト全員がきょとんとしている。当たり前だ。もうわたしはお父様とお母様に捨てられたときみたく、弱いままじゃない。
「どうでしょう? 先生?」
「完璧でした。ありがとうございます。リンコさん。それでは着席してください」
わたしが着席すると、面白くないといったような言葉があちこちから飛び交う。その言葉はあまりにもノイズが酷くて、詳細な内容までは聞き取れない。まるで異世界の言語だ。そんな雰囲気を察知しながら席に座ると、疲れがどっと押し寄せてきた。
そろそろアレルギーが発症する40分。わたしはいつも、そのタイマーを起動させて授業を受けている。40分経つ前に先生へ了承を得て授業を中断し、保健室に行くのがわたしの日課だ。
先生は良い。先生もあまり自分のことを良くは思ってないが、公の場でイジメに加担するわけではないから。大人は合理的で、生徒のことを好き嫌いで推し量らない。授業を中断してまで、生徒と一緒になってわたしの嫌がらせをするほど職務を放漫するわけにはいかないから。
教卓の前にいる先生をよく見ると。不服そうな顔で、わたしの完璧さを睨んでいる。わたしが何故ここまで誰にも文句を言わせないように努めているのか? その理由は簡単だ。
ここはアトランティスにある唯一の学校で、小等部、中等部、高等部がエスカレーター式になっている。中等部を卒業したら、わたしは地下街のテロリストを取り締まる《特殊部隊》の試験を一発で合格するという目標がある。
特殊部隊は、王族、平民、関係なく志願書を出す事ができる。そこで行われる一次試験、二次試験、面接に合格すれば、晴れて《特殊部隊》へと入隊できるシステムだ。過去に平民が監査官や、総司令官になった事例もある。このアトランティスでは王族は王族、平民は平民という血統主義であるが、能力主義、実力主義でもある。生まれが平民でも努力すれば、エリートになれるという救済処置《特殊部隊》が用意されているのだ。
それにわたしは、捨てられたとはいえ、王族の血筋を持っている。このまま弱い自分で生き続けるのはわたしに流れる王家の血が許さない。わたしの生きている意味、存在する理由はただひとつ。
王宮に帰って、お父様とお母様に認められる立派な人間になるため。そのためにする努力は厭わない──
わたしはライラの言葉を思い出す。
【──ね! 面白いでしょ? 人はやっぱり好奇心とか知りたいって欲望には勝てないと思うの。それを押さえつける権利なんて誰にもないわ。】
わたしはさっきの教科書の言葉とライラの言葉が矛盾することに、もう気づいている。このアトランティスで向上心を持てば持つほど、目の奥にある知りたいという輝きがどんどん濁っていく。これから先、大人になったら濁った眼で世界を見ることになるのも重々承知だ。このまま弱い自分でいることを自分に許せばどうだろう?
ライラとは……その……、もちろん楽しくお話できる。だけど、弱いままだと社会から排除・管理されて、自分を失う。
社会の常識をすべて捨ててまで、自分の人生を生きれるほどわたしは強くはない。
──矛盾している。強くあろうとするのに、常識を捨てるのではなくそれに従う。
わたしはまだ、このアトランティスの歴史と政治について詳しくないし、地下街の人たちが何故クーデターを起こしたのか? その全貌はまだまだ勉強中だ。だけど結局、マジョリティに従わなきゃ消されちゃうのがオチってことは分かっている。強者の前では弱者の願いなどなかったことにされるのだから。
かつてわたしがそうだったように……。
夜空の星を夢見るのは、たった一人──こころの中で味わう、ささやかな楽しみでいい。ライラだって孤児院のシスターとして過ごしながら、そうしているのだから。きっと大人になるということは何かを諦めるということだろう。妥協点を探らないと、強く生きていけない。そういう世の中の仕組みを、システムを、父と母は教えてくれたのだ。
わたしは父と母を恨んでいない。わたしは父と母を恨んでいない。わたしは父と母を恨んでいない。
自分が今、強迫観念のように『その言葉』を繰り返していることに気付いた。けれど、本心に気付いてしまうと壊れてしまうような気がしたので、余計な感情が二度と沸いてこないようにその感情に『弱い』 というラベルを貼って、心の奥底に蓋をした。




