第十話『商人とリンコ』
わたしは40分経過する前に、先生へ保健室に行くことを告げる。そのあと、選択科目の体育の授業で体力測定と、オルハリコンのレーザー小銃の射的をやった。
もちろん学年で一位をとることは当たり前だし、誰にも文句は言わせない。だけど、わたしの強さを前にして、周囲の人間がとる行動はあまりにも幼稚だった。
いじめとは圧倒的なチカラを前にすると陰湿なものに変わる。例えば、『わたしのこの金髪』は珍しい。これがもうイジメの対象になる。正々堂々と髪を引っ張るなり、『気に入らないんだけどその金髪』って言ってくればいい。だけど周囲の反応はこうだ。
『あの金髪マジで調子乗ってるよねー』
『ちょっと顔がいいからって調子乗りすぎなんだよ』
陰口とモノを隠すという陰湿さ。つまり、女子のイジメに多い。
男子の場合は、女子のイジメにたいする同調圧力と加担、わたしに対する気持ちの悪い性的ないやがらせ、ストーカー、脅迫など。そこにゆがんだ恋愛感情も含まれていて秘密裏の場所で行われるからタチが悪い。そのすべてを思い出すとあまりにも気持ちが悪いので、そんな記憶はこれから下校する途中で出会う『あの子』に上書きする。と、思ったのだが、
──また、靴が隠されてる……。
学校の下駄箱から靴がなくなるのは週一であることだ。お金があまりないので、三か月に一回は買い替える。頭上にあるホログラムに表示されているデジタルポイントは靴を三足買えるぐらいまでに減っていた。前はもうちょっとあったのに。わたしの月一で孤児院からもらうお小遣いだ。
ここで立ち往生していても仕方ないので上履きで帰ることにする。学校の正門まで上履きで歩いていくと、並木道ですれ違う周囲の学生たちがゴミを見るような目でわたしを観察している。
「上履きで帰るとかマジであり得ないんだけど」
「靴を買うお金もないの? だっさ」
それらの心無い言葉をすべて無視し、わたしは正門を出た。息せき切らして走る──。早くあの子に会いたい。そんな気持ちで胸がいっぱいだ。学校のことなんてどうでもいい。ポセイドンの運河沿いの景色が勢いよくスクロールされていく。潮風を頬に浴びて、お日様の匂いを肺いっぱいに吸い込み、それまで起こっていた学校への疲れを吹き飛ばすように、あの子の元へ向かう。上履きの靴底は薄いのであんまり思いっきり走ると痛いのだが、痛覚なんて吹き飛ぶほど、今は脳内が幸福感で満たされていた。
そうこうしているうちに、さっきの奴隷市場へと到着する。大きな橋を渡りきるとあの異様な熱気が感じ取れた。ここは24時間商売が行われている。太陽は沈みかけていたが夜がないので青いままの空。その空の下の檻に『あの子』がいた。
「うっ……あ……っ」
今朝と同じように、その子は言葉にならないうめき声をあげている。
そして、商人が待ってましたとばかりに佇んでいた。どうせコイツの思ってることは欠陥品を早く手放せてラッキーとか、これで場所を取らずに他の奴隷を商品として仕入れることができるくらいのものだろう。
「約束通り、来たわよ。その子を譲って」
「お嬢ちゃん。それがねぇ……」
「なに?」
「この子は今朝、君が去ったあと──行政に殺処分されることが決まってねぇ……」
「はぁ!?」
「色々国の決まりがあってね。お嬢ちゃんはまだ子どもだから難しい、大人の事情ってやつさ」
どこまでも狂ってる。金のためなのか規則のためなのか体裁のためなのか分からないけど、その実情を聞いても納得できないのは確かだろう。
「いいからその子を早くわたしに譲ってよ!」
男は懐から何十枚にも及ぶ紙を取り出して言う。
「この申請書に、拇印──つまり、親指で朱肉をつけてもらって紙に押してもらうんだけど」
「それなら問題ないわ」
「いやあ、でもねぇ。書いてもらう申請書の事項がけっこう長くてね。たとえばアトランティス社会保障法・第8条『危険指定キメラの引き取りには一等市民である保護者の署名が必須』とかね? 万が一、そいつが街で暴れて、重力インフラを傷つけたら誰が責任とるの? っていう現実的な話」
危険指定って……。本当にふざけている。勝手に人間を実験体にしておいて、都合が悪くなれば危険というラベリングを貼る。傲慢にも程がある。
それに、わたしには保護者がいない。ライラに書いてもらおうという考えも浮かんだけど、どうせこの腐った行政のシステムには《正当な血縁者でないと効力はナシとする──》みたいなことが書かれているんじゃないの!? ありえそう……。
「とりあえず、その紙をよこしなさい」
わたしは商人から紙を受け取る。このデジタルが発展したアトランティスで、未だに紙の申請書というところが如何にも行政らしいな──と思いながら、わたしはその紙を一枚一枚、注意深く目を通した。
『──第3条、危険個体の逸失時におけるインフラ賠償責任……第14条、所有権移転に伴う行政手数料……第19条、廃棄予定個体の処理遅延における違約金ペナルティ──』
──なるほど。この分厚い文章、ただの脅しね。
わたしの脳内プロセッサが、無駄な文字装飾をすべて排して、契約の本質を3行に要約した。
1 、この商人は、明日までにこのキメラを処分しないと行政から『処理遅延の違約金』を毟り取られる。
2 、自分で処分施設に持ち込むと、さらに『廃棄処理手数料(300 DP)』が自己負担になる。
3 、つまり、今すぐ誰かに押し付けないと、この商人は帳簿上で大赤字を叩く。
わたしは冷静に状況を分析し、戸惑っている商人に指を差した。
「……長いだけで、中身はスカスカね。要するにこの規約、『明日までにこの子を処分しないと、あんたが行政にペナルティを払う羽目になる』って脅迫状じゃない」
「え……?」
商人の表情が一瞬で凍りつく。まさか子どもが、行政法の特例規約の裏にある『罰則規定』を一瞬で見抜くとは思っていなかったのだろう。
「あんたが今、一番恐れてるのは、ここにいるキメラのせいで自分のマイナス口座が膨らむこと。でしょ? だったら、お互いにシステムをハックしましょう。この紙の申請書、わたしが一度このまま持ち帰るわ」
わたしは、その分厚い紙の束を躊躇なく自分のバッグへと滑り込ませた。どうやら正当な血縁者じゃなくても、一等市民であれば、許可が下るらしい。早とちりしてしまった……。恐らく責任の所在さえあれば、あとはどうでもいいのだろう。それも行政らしい……。
「わたしの孤児院のシスター・ライラは、王宮公認の『一等徳行市民』よ。彼女にこの紙の保護者欄へ直筆のサインを書かせて、明日の朝一番で行政の窓口に直接叩きつけてあげる。そうすればあんたは、自分で廃棄手数料を払うことも、処理遅延のペナルティを喰らうこともなく、手ぶらで安全に帳簿をクローズできる。──どう? 損はないはずだけど、この長い文章を1からわたしに説明する手間、省けたんじゃない?」
「お、お前……本当にただの学生か……っ!」
商人は肩の荷が降りたのか、ほっとした表情で、電子端末を叩き、檻のロックを解除する。ガチャン、と重苦しい金属音が響く。檻の中から、あの子が出てくると。
ガバッ──と、わたしの胸にダイブしてきた。ぴたりと吸い付くように、抱き着いて離れない。か、かわいいけど。
──お風呂入ったほうがいいわね。
わたしは商人のことをスルーし、とりあえず、抱き着いて離れないこの子を引き剝がして、どこかに行かないように手を繋いだ。いつも一人ぼっちで帰る、孤児院までの道のりにわたしの新しい友達。それはこの狂った世界に差す一筋の光のようにも思えた。




