第八十七話『襲撃』
「……着いたわよ、メストル」
隣に座るエルメアの冷ややかな声で、私は過去の亡霊から引き戻された。
このアトランティスに夜は必要ない。いつものように人工太陽が偽りのドーム状の天井に投影されている。
我々を乗せた漆黒の反重力輸送車は、王宮の末端にある居住区の路地裏に音もなく停車していた。
輸送車の後部ハッチが開き、重武装を施した十名の特務衛兵たちが無言で降りてくる。
私は降車し、外の開放的な空気を肺に吸い込んだ。海没の危機など露知らず、深い眠りについている愚かな市民たちの寝息が聞こえてきそうなほど、静かで平和だった。時間的には夜で、大抵の人間は眠っているのだろう。
「これが、希代の天才と謳われた男の家? ……呆れたわね」
エルメアが、目の前にあるこぢんまりとした家屋を見上げて鼻で笑う。
彼女の言う通りだ。壁には蔦が絡まり、庭には手入れされた小さな花壇。玄関の扉は重厚なオリハルコン製ではなく、ただの温かみのある木製だった。王立研究所のトップにまで上り詰めた男が住むには、あまりにも陳腐で、泥臭い。
私は、自身の軍靴の踵を鳴らしてその木製の扉の前へと歩み寄った。
扉の向こうからは、かすかに温かな光が漏れ、夕食の残り香──ビーフシチューの甘ったるい匂いが漂ってきている。家庭という名の、非効率で無価値なぬるま湯。
「……吹き飛ばせ」
私が短く命じると、特務衛兵の一人が扉の鍵穴に指向性の小型爆薬をセットした。
──ズドンッ!!
鼓膜を劈く爆音と共に、木製の扉が粉々に吹き飛び、木端が玄関ホールに散乱した。
私は立ち込める硝煙を手で払うこともせず、土足のまま、かつての友の聖域へと踏み込んだ。エルメアと衛兵たちがそれに続く。
廊下を抜け、緑色のモザイクタイルが敷き詰められたキッチンへと足を踏み入れる。
そこには、予想通りの光景が広がっていた。
「お父さん……っ、お母さん!」
部屋の隅で、パジャマ姿の幼い少女──リンコが、怯えたように両親の背中にしがみついている。母親は血の気を引かせながらも、自身の体で娘を必死に隠そうとしていた。
だが、家長であるアトラスだけは違った。
突如として扉を吹き飛ばされ、完全武装の兵士たちに銃口を向けられているというのに、彼はダイニングテーブルの前に静かに立ち、ただ私を真っ直ぐに見据えていた。
その淀みのない澄み切った瞳が、私の劣等感を再び激しく抉り出す。
「やはり来たか、メストル。……いや、エルメア神官もご一緒とはな」
アトラスの静かな声が、火薬の匂いが充満するキッチンに響く。
「こうやって直で会うのは久しぶりだな、アトラス。お前とこんな形で再会したくはなかったよ」
私は冷たく言い放ち、懐から重鈍な輝きを放つエネルギーガンを引き抜くと、その銃口をかつての友の心臓へと向け言う。
「かつてお前は言ったな。いつか二人で、この広い世界を見に行くんだと」
「ああ、言ったとも。今でも鮮明に覚えているよ」
「だが、お前は世界を見すぎたのだ。神の設計図など、我々が触れてはならない。人間の分際で神の力を分け与えられようなどという傲慢な思想が、どれほど危険なものか……なぜお前ほどの頭脳を持つ男が理解できない?」
私の問いかけに、アトラスは悲しげに目を伏せた。
「違うんだ、メストル。僕は神に成り代わろうなんて思っていない。僕の研究を盗用して人工太陽を作った君なら分かるはずだ。ありもしない太陽を作るほうが神にたいする冒涜だと──。僕はただ、この人工太陽の鳥籠から人々を解放し、本当の空を見せたかっただけだ。……君だって、あの頃は同じ夢を見ていたはずだ」
「黙れッ!!」
私は激昂し、銃口をぶれさせた。
「あの頃の私は、お前の狂気に当てられていただけだ! 見ろ、お前のその身勝手な夢のせいで、アトランティスの地殻は今、崩壊の危機に瀕している!」
私は今日、プライベートラボで見た光子演算記録器の地脈データを奴に突きつけた。空中に展開されたホログラムが、これから大陸が沈むことを示唆している。これがフリーエネルギーなんぞに頼った結果だ。
「海没は免れない。これが、お前が神の領域に足を踏み入れた代償だ!」
私がアトランティスの滅亡を突きつけても、アトラスの表情は驚くほどに平然としていた。まるで、それすらもずっと前から知っていたかのように。
「何かが間違っている──だからこそ地殻が変動するんだ。……メストル。君が恐れている人間の私利私欲と傲慢、それを管理しようとした側がそれに呑まれてどうする? これでは木乃伊取りが木乃伊になってしまうようなものだ」
「貴様に何が分かるというのだ!! 神にでもなったつもりか!」
「……前にも言ったはずだ。僕たちはみんな神の魂を持っている。君も例外ではない。僕たちは次の時代へ『希望』を託さなければならない。メストル、君が創ろうとしているのは、新しい世界じゃない。永遠に終わらない、新しい鳥籠だ」
「綺麗事はそこまでだ!! 大人しく『重力関数のコアデータ』を渡せ、アトラス。お前のくだらない夢はここで終わる。これからは私が、新世界を統治する」
私が最後通告を突きつけると、アトラスはふっと微笑んだ。
あの日、研究室で私と拳を合わせた時と同じ、純粋で、残酷なほどに眩しい表情だった。
「……残念だよ、メストル。君となら、本当に星空を見に行けると思っていたのに」
アトラスは懐から鈍く光る懐中時計を取り出し、無造作に私の足元へと放り投げる。
──乾いた金属音が、緑色のタイルに虚しく響き渡った。




