第八十六話『メストルとアトラス』
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かつての研究室では二人の男が熱い友情と、契りを交わした。
「なあ、メストル」
「なんだ?」
「僕たち二人でいずれこの広い世界を見に行くんだ」
「ああ。いいなそれは……。だが、アトラス。お前は何故そこまで世界の理に反してまで自分の意思を貫ける?」
「神は平等に人々に命を与えてくださった。だから、神に背くようなことをしてはいけない──。だけど、僕は思うんだ」
「??」
「神の分け御霊である僕たちが神の設計図を理解することは、神に対する寵愛だと──。無知のままでいるほうが、神に背くことだと僕は思う」
「わけみたま? わけみたまとはなんだ?」
「このアトランティスから遥か東にあるヒイズルクニという場所があってだな。宗教なのに人という開祖がいないんだ」
「宗教は人が管理し、教え導くものだろう? なんだそのふざけた教えは」
「ふざけてなんかないさ! 彼らは自然崇拝で、すべてのものに神が宿るという合理的な考え方で生きている。宇宙の法則を分かっているんだよ。僕たちはみな神様から分けてもらった魂。それが分け御霊さ」
「神様が? それでは分けてしまった元の神のチカラが減るであろう?」
「減らないのさ! 神は無限のエネルギーを持っていて、僕たちにそれを与えてくださる──。いつか僕はそれを科学的に解明して、世界を平和にするんだ!」
「確かにそれは美しい。だったら私もそれに乗った! 今の研究でお前に負けないぐらいの成果を出してみせるよ」
「ああ! 僕たちはこれからはライバルだ」
メストルとアトラスは拳と拳を重ね合わした。いつかくる平和のために──。その拳が血で染まらないように──。
※※※
だが、若き日のその誓いは、残酷なほどにあっけなく崩れ去った。
誓いを交わしたあの日から、私は憑かれたように研究に没頭した。アトラスの言う『無限のエネルギー』、そして遥か東の地で語られる『分け御霊』という概念。すべてを数式に置き換え、科学の光で解き明かそうとした。
しかし、私がどれほど血の滲むような演算を重ねても、行き着く先は常に『限界』という名の分厚い壁だった。熱力学の法則、エネルギー保存の法則。既存のルールという鳥籠の中でしか、私の頭脳は機能しなかったのだ。
孵って、アトラスはどうだ。
奴は息を吸うように真理へ近づいていった。私が見えない星空の煌めきを、奴は最初から見透かしているかのように、圧倒的な飛躍で数式を組み上げていく。その背中を追いかけるうちに、私の内にあった熱い友情は、どす黒い『嫉妬』へと変異していった。
なぜ、私には見えない?
なぜ、あの男にだけ世界が輝いて見える?
その劣等感を直視できなくなった時、私は無意識のうちに彼を否定する理由を探していた。
そうだ。無限のエネルギーなど存在してはならないのだ。神の力を人間が分け与えられるなど、思い上がりも甚だしい。人間はどこまでも愚かで、傲慢で、自滅を望む生き物だ。神の設計図を紐解くことなど寵愛ではない。それは神に対する最大の『反逆』であり、世界の秩序を崩壊させる禁忌なのだ、と。
自分がアトラスに勝てない凡夫であるという事実から目を背けるためじゃない。今は上手くいっている奴の研究だって、そのうち必ず破綻する。そうなってからでは遅いのだ。
私はアトラスの天才性を『異端の狂気』として断罪する道を選んだ。
私が彼と重ね合わせた拳は、真理に届かない己の血で、とうの昔に赤く染まっていたのだ。




